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平成の恋1: milk tea

私の長男は、病気で、生まれた翌日に亡くなった。

長男の病気のことは、妊娠中からわかっていた。
また、その病気のせいもあって、私の体も危険な状態だった。
そのため、母校の病院である東大病院に入院し、安静の日々を送っていた。

職場は、本来の産休より前に、入院と同時に、急に休みに入ることになってしまった。
多大な迷惑をかけたと思うが、皆、良い人ばかりで、仕事のことは考えるな、と言ってくれた。

直属の上司からは、事務的な最低限の連絡しか来なかった。業務連絡のように受け止められるような連絡は、避けてくれたのだろうと思う。
その代わりに、上司と先輩の中間のような役職にあった、少し年上の男性が、割と頻繁に連絡をくれた。

仕事の連絡は、もちろん無い。
たぶん皆が気にしてくれていたであろう、私や赤ん坊の容態に関する質問も無い。
その代わりに「年末年始の休みに各地の神社を巡った」とか「それぞれの神社でおみくじを引いたら結果はどうだった」とか、他愛のない内容のメールを送ってくれた。

ある日のメールで「退院したら、まず一番に何をしたい?」と聞かれたので、私は「カラオケに行きたい」と答えた。
その時は、いつもの他愛のないやり取りだと思っていた。そのうちカラオケのことも忘れていた。

その後、出産を終えて、長男の供養とか、諸々のことを終えて、産休が明けて職場に戻った。
彼はその直後に、私のためにカラオケ会を企画してくれた。今から思えば、付き合わされた若い後輩たちは、さぞかし気を遣うイベントだったであろう。

カラオケで、彼はほとんどマイクを離さなかった。
私が予めリクエストしておいた、福山雅治の歌を何曲も何曲も歌ってくれた。どれも上手だった。
「milk tea」が、抜群に上手だった。

翌朝、カラオケを企画してくれたお礼と、どの曲も上手だったけれど、「milk tea」がダントツに上手だったと思ったことを告げた。
そしたら彼は、「あれを一番、一生懸命、練習したから」と言った。「俺、本当に死ぬ気で練習したんだぜ」とも。

特に福山雅治の代表曲というわけではない、この歌を選んだのはなぜ?
そう聞きたかったけれど、怖くて聞けなかった。
少し期待してしまった答えも、期待していない答えも、聞かないままの方がいいだろうと咄嗟に思った。

その後、それぞれ違う職場になっても、時々、飲み会に誘ってくれたりした。
でも私が退職してしまった今、もう会うこともない。

でも今でも時々思う。
「あなたに逢いたい いまこの胸の奥で叫んでるよ」

あの時の歌声は、きっと天国の長男も聴いていただろうと思う。ママは幸せそうだな、と思いながら。


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