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手を伸ばすこと 掴むこと
わが家の胡蝶蘭は見ごろを迎え真っ白な花がたくさん咲いています。
6株それぞれのペースと自由な姿で花を咲かせているのは圧巻で、よくぞここまでという感謝と自分の中にある余計なものが剥がれ落ちてゆく感覚になります。
そんなこんなで気付けば日が長くなりました。
少し前まで春待つ寒い日々だったのに。
もうすぐ夏がきます。
一年前のわたしに会えたら話したいことがたくさんあるなあ。まずは
もう、ぜんぶもってるよ!
と言いたい。探しているもの、ぜんぶ持ってる、手のひらのなかにある。
よぉぉぉく見てごらんよ!!って。
ないないない、と探していたものは
ずーーっとわたしの中にあった。
正確に言えば、あることは知っていたけど、
これは違うと決めつけていたものだった。
そのことに気づいた時の衝撃と驚愕。
何年探していたのかとか考えると気が遠くなりそうだけど、このおそろしくなるほどのまわり道や遠回りも実は自分で選んでいたことでもあったと気付き言葉も出ないくらいだったけど、でもこれこそが宝で、今わたしの中に浮かぶ景色は道中に出会った人や出来事によって彩られている。
ということは、
ということは、いまのわたしも
ぜんぶもっている。
きっと一年後のわたしはそう思うはずだ。
そして、もうひとつ。
よくやったね、
と声をかけるとおもう。
今の(これからの)わたしの行動が実を結ぶきっかけになるはずだから。
そう思ったら、ぐっとおなかにチカラがはいる。
さっき、湯船に浸かりながらここまでに書いたことをぼんやりと考えていたら、
自分を信じよう。と思った。
これまでを振り返って自分で選んだものや道のりに、常に「今」「今」「今」がある。
それぞれの「今」に必要なものは少し前の「今」のわたしが選んだものが目の前に並んでいるんだなあと改めて思った。
(もちろん、何もかもが自分で選んだ選べたものばかりではなくて天災のようにわたしの意志や気持ちなんて関係なく降って湧いてきたような出来事もたくさんある。)
そして、「その先」にありたいわたしのために「今」のわたしが選んでいくことで変化したり、変わらなかったりしているなあってこと。
今のわたしもまさにその中にいる。
そんなことを思っていたら、時々道を間違えたり迷ったりしてるけど、それも含めてわたしちゃんと選んで歩んできてるし、そのとおりになってるんだなって思えた。
そんな自分を信じようって思った。
自信を持つ、持っているとまでは言い切れないけど、自分を信じるのはできる。
あと、振り返って思ったのは、やっぱり
出逢うべき時に、出逢うべき人に出逢っている。ということだった。
これについては高校生くらいには自信をもって頷いて生きてきた気がする。人の縁とか運みたいなのはとても恵まれていて、それによって生かされてるくらい感謝している。
ずっとずっと繋がっているというのではない。繋がっている人もいるけど、基本的に時間の長さでは計らないからそこはあまり気にしてなくて、その時その瞬間でぎゅっと密度で感じるというのかなあ、一対一の間にあるものみたいなもの。
そうゆうものをこの一年は特にだけど、ここ数年の特有の時間の中ですごくすごく見つめ直す機会となったし、肌で感じていたからかな。
なんとなくかんじていること、ものを信じることと、手を伸ばして掴むこと。
この手を伸ばす、掴む。ものすごく大事だなっておもう今日この頃なのであります。
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