ベスコス書くのやめた

風の時代ってなんやねん。
そんなんこれまで言ってたっけ?急にどした?

12月30日くらいからこつこつ書いてたベスコス記事を新年早々全部削除した。
「リンク貼るのだるい」「画像貼るのもだるい」と愚痴りながらもちゃんと書いてあとはアップするだけだったのに。
何かどうしても違和感が拭えなくて。
自分のツイートもnoteも一切読み返さないからわからないけど、多分毎年やってたことだと思うし、何なら上半期は書いたし。
でも何か急に、これ、やらされてね?と思って。
友達が楽しみと言ってくれるから、とかそういうのじゃなくて、見えない力…いや「年末にはベスコスを書く」という美容垢の雰囲気に。
よく考えたらお気に入りのやつは大体Twitterに繰り返し書いてるし、別にいいか。と。
何より違和感をきちんと受け取った自分、ちゃんと一度立ち止まって考えて、偉い。
今年はこういう些細な違和感にきちんと気付いていきたい。
私がいつもうっすらと重圧に感じている「世間の普通」なんかは、じゃあ私はちゃんとそれが欲しいのか?って問い直したら、え、別にいらないけど。って回答だったりするじゃん。
そういうのに振り回されている時間があったらもっと楽しいことしたいよね。
noteの下書き消すのはほんの一瞬だった。


この間、昼休みにTwitterを開くと「いとうあさこ」がトレンド入りしてて、このご時世だと人名が入っているとまず「あーコロナ感染かな」と思ってしまうんだけど違って、
あさイチにゲストで出たときに「今年の目標も『生きる』です!」と発言したらしく、それに感銘を受ける人たちのツイートでバズっていた。
私はそれよりも、彼女が昔のポエムを見せられても「あらかわいい。見せちゃお。私夢の中に生きてたのよ!」「過去の自分は他人」と言っていた、というツイートを見てめちゃくちゃいいなと思った。
多分過去の自分と今の自分をある程度まで切り離せないとこの発言は難しいよね。
この日のあさイチ、結局自分ではちゃんと観てないけど、見逃し配信あるのかな。

私も常に1秒前の自分とまでは言わないまでも、昨日の自分は他人で、整合性がとれてなくても全く問題ないよ!という人間なので、「今の自分が書きたくないから書かない」とかそういう、気ままな自分をちゃんと許していきたい。
たまに風化したmixiという宝箱をこじ開けて昔の日記とか読むと尖ってるし今と違ってるしで面白いから、過去をばっさり切り捨てるのではなく慈しんでいきたいとは思っているけど。
私の近しい友人たちや姉はちゃんと毎日日記をしたためたりするタイプなので本当にすごいと思う。
(書いてて思い出したけど、昔よく姉と喧嘩の時『こないだ○○って言ってたじゃん!」「その時はそうだったけど今違うから!」「なにそれキー!」ってな会話になってたなあ。こっちからすると、そこに私はいません…なんだよな。)
そういう人たちを見てると私は結構過去を軽視してるのでは?って気もしなくもないけど、まぁ人それぞれの自分との付き合い方がありますよね。
振り返ろうと振り返らなかろうと他人と言い切ってみようと、どうせ地続きの自分であることには変わりがないからな。

またテレビの話になってしまうんだけど、去年観たマツコ会議で、今もたまに思い出してしまう良い回があるので話していい?
「若き才能!ティーンズ作曲家」的なテーマで、でんぱ組に曲提供している諭吉佳作/menさんが出るのでチャンネルを回したんだけど。
一番最初に出てきたアーティストの青年とマツコの会話がとても印象的だった。
まあ読んでくれ。

わからん、この記事だけで伝わるのかわからんが。
私もずっと流されて生きてきた人間で、自分でこれやりたい!とか思って決めたことってほとんどないんじゃないかなあって思っている。
だからといって親があれやれこれやれ言及してくるタイプでもなかった(美容の専門に行きたいかもと言ったときに、四大出てくれと言われたのが唯一かもしれない、今思えばそれも結構でかいけど、当時の自分はぶれぶれだったし親の金で進学するのだからある程度聞かなければなと思っていた)ので、人の敷いたレールの上をきたという気がしてるわけでもないのだが。
自分で全てを選ぶのが良しという概念がうっすらと自分の中にあって、ずっと劣等感みたいなものがまとわりついていた気分だったんだけど、「流されて初めて見えた世界がある」というマツコの言葉を聞いてちょっと楽になった。
結局、自分で決めようと流れ着いたのだろうと、自分がなんとなく気に入ればそれでいいんだよな。

それでめでたしめでたし!とはならず。
今年はマジで色々をきちんと自分の意思で決めなければいけないフェーズに来ている。
さーてどうしようかな。って感じ。
迷うのも疲れる、選ぶのも疲れる。
やっぱりよーく注意して見つめて、自分の心にフィットしないものたちをひとつずつ丁寧に取り除いていくしかないんだろうな。
ものすごく骨が折れそうだけど、もし迷ったら、楽しくなりそうな方を選ぶ、っていうのを自分に約束しよう。

って色々新年から思ってたら、こういう考え方がぜーんぶ「風の時代」が象徴するもんだったからウケる、って話。

諭吉佳作/menさんがでんぱに提供した「形而上学的、魔法」は令和版「ファイト!」で令和の「乙女のポリシー」なので、みんな聴いてね。
「どんなに形が変わってもひとりきりになっても わたしがわたしのために見つけたいの」