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【JFAスポーツマネジャー】養成講座とは

 昨年、11月にスポーツマネジャー養成講座を受講した。母校サッカー部の監督に勧められたからだ。

 スポーツマネジャー養成講座について、日本サッカー協会のホームページにはこう記されてある。「自立した魅力あふれるスポーツ組織づくりを推進し、スポーツ文化の創造、人々の心身の健全な発達、社会の発展に貢献出来る、優秀なスポーツマネジャーを養成する人材育成事業です」。

 自身はスポーツクラブで従事している訳でもなければ、スポーツクラブを新たに設立しようとも考えていないが、プラスになると思って受けさせて頂いた。
 結論からいうと、参加して大正解だった。

 講座を開催するにあたって、たくさんのサッカー関係者がサポートしてれた。講座のプラットフォームになって頂いた熊本サッカー協会と日本サッカー協会の皆さん。そして、新型コロナウイルス感染拡大の影響でリモート形式での開催になったのにも関わらず、密度高く、学び多き環境を創ってくださった講師の坂口さん。
 本当にありがとうございました。

 1人でも多くの人達にスポーツマネジャー養成講座で体験した視座を持ってもらいたく、講座を通して学んだこと、新たに得た感覚について記していきたいと思う。

それぞれが持つ「境遇」と「スポーツの力」をどう掛け合わすのか

 一言で言うと本講座はスポーツマネジャーになる為の"答え"を講師から提供してもらうというものではなかった。というのも、世に存在するスポーツクラブの数だけ、運営手法は存在するし、まったく同じ境遇(地域性、街の歴史、地理、課題、機会)を持ったスポーツクラブなど、無いからだ。つまり本講座の意義は、目の前に並べられたピースをどのようにデザインすれば、それぞれの「境遇」と「スポーツの力」を掛け合わす事が出来るのか。という事をひたすらに思考し、議論する場を提供するということだった。
  
 僕は本格的にクラブに従事している訳ではないので、"仮設定"で「兵庫在日サッカーを強化する」というテーマを持って臨むことにした。
   
 僕以外のほとんどの方は実際にクラブを運営していたり、クラブ設立に向けて動いている方が多く、議論する過程で様々な実情を知ることが出来た。先ほども記したように、クラブの数だけ、地域の数だけ、それぞれが抱えている課題や機会が存在し、こんなにも特色が違うのかと、感じた。
 と同時に、その地域やコミュニティが抱える課題や機会が千差万別なのであれば、"課題というネガティブ"も、捉え方によっては"機会というポジティブ"に変換することが出来るのではないかと、考えた。要は課題すらも、その地域やコミュニティの"個性"にしてしまえばいいという考え方だ。
    
 “仮設定テーマ”である「兵庫在日サッカーを強化する」という目標が達成されたとき、その地域やコミュニティは喜ぶのか。その地域やコミュニティにメリットをもたらすことが出来るのか。
 また、我々が住むコミュニティや地域に混在する課題を、「スポーツの力」によって解決させることが出来るのか。現在、在日が抱える課題は様々だが、無償化制度適用外などによって生じる「学生数の減少」だけをピックアップするならば、「兵庫在日サッカーを強化する」というテーマを達成することによって、「学生数の減少」というネガティブを、ポジティブに導くことが出来るか。そのわずかな可能性に探りを入れることこそ、スポーツマネジャーの仕事なのか。
      

傾聴力が必要な理由

 本講座ではグループディスカッションの時間が多く与えられた。何かしらのテーマに対して、時間内に一つの主張(主張に伴う根拠)を導き出し、代表者がプレゼンを発表するというグループワークだ。
 十数人が参加しているため、主張が合わないこともあるが、本講座では、ディスカッションにおいてこのような“ルール”が提示された。
    
 「無理やり決めつけず、人のアイディアを否定しない」
    
 間違っている、もしくは自身の主張と合わない場合、自身の主張をハッキリと伝え、「あなたとは考え方が違う」と意思表示する事も時には重要だと考えていたが、そういったルールが設定されているので、自身もそのような姿勢でディスカッションに参加することにした。
 すると、分かってきたことが一つあった。 
    
 それは、人は自身の意見を主張をする時、その意見の一部分しか相手に見せる事が出来ていないということだ。
    
 つまり、「人のアイディアを否定しないというルールが設定されていない土俵」で議論をしてしまうと、その一部を露出した時点で、「それは違う」という横槍が入ってしまうため、何故そのような主張をするのかという背景までを表現することが出来ないのだ。
 もちろん、同じ主張をする人達だけを集めた“安心感が担保された状態”で行われる議論の場では自分の主張を最後までを話すことが出来るし、そうすることによって自己肯定感は高まるのかもしれない。しかしそれでは「A」と「B」を掛け合わすことは出来ない。
 それぞれ違った主張を噛み砕くからこそ、新たな価値が生まれるのだ。
    
 また、マジョリティ(多数派)こそ、マイノリティーの(少数派)の声に耳を傾けなければいけないし、自分とは違う主張が飛び交ったとしても、「なるほど」と、マイノリティーの背景を知ろうとしなければならない。
 スポーツマネジャーの仕事は、地域やコミュニティが持つ「境遇」と「スポーツの力」を掛け合わすことである。だからこそ、「傾聴力」が必要不可欠だということを本講座では説いていた。 
    
たかがスポーツ、されどスポーツ

     
 我々はスポーツにのめり込んだ青春時代を過ごし、スポーツを通して成長段階を踏んできた、スポーツの力を誰よりも信じる「スポーツ信者」だ。言葉を慎まないのであれば、一種の“変人”である。
 それはスポーツに限った話ではない。例えばプロピアニストだって幼少期からピアノと向き合い続けてきたは“ピアノの変人”であるし、大学の教授は「何故?」という探究心と好奇心だけで研究を繰り返し続けた“学問の変人”だ。

 その、それぞれが持つ“変人的価値観”というエネルギーを、社会に投下することによってイノベーションを起こすということがマネジャーの仕事であり、そのためには世間の声に耳を傾けなければいけない。彼・彼女らだけが持ち得る変人的価値観が世間にも理解されるように「翻訳」しなければならない。そうして世間に「共感」されてこそ、初めてスポーツの価値を発揮することができる。

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