前回の⑤で登場したTさんとSさん、おまけにDさんというやはり父と同世代の肺癌患者さんが増えた。 前回同様、プライバシーを考え、過小過大に書いてますが、全体像としては、こんな感じです。 娘さんと来院したTさんは、あらゆる検査の末、肺以外の転移は無いものの、肺全体に癌が広がっており、切除不能で、化学療法の方針となった。 歩行困難、お子さんが病気のSさん。リンパ節転移、骨転移で、緩和目的の放射線照射をし、緩和ケア療法として病院を卒業となった。 初診時には、私が診療に就い
何の因果か、仕事で呼吸器内科の担当をしていることは前述している。 今年度に入って(まだ5月!)、2人、父と同じ歳で、肺の異常陰影有り、急に立てなくなったという患者が病院に来た。しかも、受付時間ギリギリに紹介状を持って。さらに加えて、異常陰影有りと紹介状に書いておきながら、画像を持ってきていない。どちらも似たような患者で、若い頃からの喫煙歴あり。仮にTさんとSさんとしよう。 プライバシーを考え、過小過大に書いてますが、全体像としては、こんな感じです。 Tさんは、娘さん
父の手術は、コロナ禍の終盤の期間にあったので、手術中の家族の病院での控えも無く、終了の知らせは主治医から母への電話だけであった。あっさりしたものである。胸腔鏡下で5日間で退院のはずが、長年の喫煙の影響なのか抜管が遅れ、10日弱の入院となった。 その後、標準治療としての化学療法と進んでいった。この頃になると、私も妹も、なるようになれと、心配はしつつも興味は薄れていった。特に私の方は、娘たちの国家試験や大学受験に気を取られ、それどころでなかった。 周りがどうであろうと、化学
県立病院紹介後は、あれよあれよと進んで行った…らしい。 私が聞いたのは、手術が決まったという電話。実家近くに住む妹への連絡も同時期。とにかく、それを聞いた時の私と妹の怒り様は只事では済まされなかった。まず、健康診断で異常陰影で要受診の段階で連絡を入れて欲しかった、から始まる。手術が決まった時には各種検査もほぼ終了していたのだ。 手術説明は、父と母だけでも可能である。(原則、大抵の病院では本人と家族1人の説明が必要)。だが、なんせ癌である。しかも、手術が決まったという連絡の後
病院勤務なんてしていると、自分の体の心配はもとより、家族の健康に超過敏になる。禁煙は当たり前。飲み過ぎ、食べ過ぎに注意、適度な運動の推進などなど。 ベビースモーカーの父。二十数年前孫たちが生まれてからは、家の中で吸わなくなったが、今でも頻回に庭先に出て吸っている。運送会社を定年退職後、趣味の畑仕事とグランドゴルフで、さらに吸う本数は減ったが、止める気配はない。 いくつかの診療科を担当しているが、メインは呼吸器内科。何の因果か、父が肺癌なんて笑い事では済まされない。 呼
仕事を終えて、今日は直接実家へ帰る。東北の片田舎。空港へ行き飛行機に乗り、到着空港には妹が迎えに来てくれて、それから1時間半車に乗る。もしかしたら2時間かもしれない。 本当は空港からJRで30分街まで移動して、高速バスに1時間乗り、さらにJRで30分、そこに誰かが車で迎えに来て20分で実家へ到着。15時に職場を出て到着するのは多分22時。空港へ到着してから5時間弱という時間は待てないと、痺れを切らした妹が空港まで迎えに来てくれると。ありがたい。 私の紹介。職業は、総合病院