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また一年が終わる意気込みをどうぞ

結構ヤバめの頭痛がきた。
大学からの帰り道でそれはどんどん酷くなり、電車の中は本当に地獄。(後から考えると普段ならおそらく気づかない程度の)香水やら食べ物やらのにおいで吐きそうになりつつ、半ベソで帰宅した。
手洗いと着替えだけ済ませて、部屋の灯りを消してすぐベッドで横になる。こんなに酷い頭痛は初めてだった。吐きそうだし、動悸もするし、とにかく目の奥あたりがありえなく痛いし。

死ぬ時はこれより苦しいのかなとか考えながらただただ目を瞑った。

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数年前癌で亡くなった祖母の、昼夜問わず痛みを訴えていた姿をよく覚えている。
入退院を繰り返していた祖母だったけれど、最期は母の希望もあって、自宅の南向きの明るい部屋で過ごすことにしたらしい。当時東京に住んでいた私も頻繁に帰って祖母と同じ部屋で寝たりしていた。
そうしてぼんやり昼の光の中で過ごす時間は、穏やかに過ぎていった。

医学は全くわからないけれど、痛みが出るのは癌の特徴らしい。やはり見ていて辛くなる場面も多かったが、それでもこうして終末期を自宅で過ごせたのは田舎育ちの祖母にとっては良かっただろう。

びっくりするくらい雑なところもあったし、はちゃめちゃに気が強くてよく怒っていた祖母。
けど東京で一人浪人生活をして肩身の狭かった私を、帰省のたびに大喜びして出迎えてくれてたのはありがたかったし、思い出すのはあの時の笑顔ばかり。
祖母が亡くなる日の前日、家族に呼ばれ急いで帰宅した私に、その頃にはもうほとんど意識のなかった祖母が一瞬目を覚まして、また喜んだ顔でおかえりと言ってくれた。
そのすごく掠れたおかえりは、最後に聞いた祖母の声となった。

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私の死因は、死場所は、最期に思い出す瞬間はいつだろうと考える。
認知症になって全てを忘れても、覚えている歌は。

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部屋でぼんやりしてると、今が人生の最高地点だったらどうしようという不安に襲われる。
もう実は下がっていく一方で、あの頃は良かったなんて言って、もう存在しない故郷の光を思い出す日が来るかもしれないと。

母の手料理を思い出しながら、ひとりぼっちの狭い部屋で泣いてるおばあちゃんになった私。その私が、今の私を羨ましそうに見つめている。

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ここ数年の選択で、何だか全てが決まりそう。

それなのに何も変わらない一年だった。同じ大学、同じ人間関係、同じような評価。
来年少しでも何かを変えなきゃ、もう、一生このままかも。
今止まったら、一生歩けない気がする。

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