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美化されてしまう怖さ

私は運良くプロ生活で20年という長いキャリアを過ごす事が出来た。細く長くではあったがたくさんの選手、監督、スタッフと出会い色々な経験を得た。現在、指導者という立場になり、現場に立つ時、頭に浮かぶのはJリーグの試合であり、毎日のトレーニングでの映像だ。選手達に声をかける時、経験から得た感覚的な事を含め声がけをする。指導者としての俯瞰した目線と、選手として得た局面で起こっているであろう選手の目線。その両方を持ち合わせていることは自分の付加価値ではあるとは思う。ただ、それだけの目線で選手に声をかける事は危ないと自分に言い聞かせる。

なぜなら、20年間得た経験は既に過去の事であり、サッカーの技術、戦術は進化しているからだ。

サッカー選手としてのキャリアの中で得たものは本当に大きなものだか、それに縛られ、信じすぎる事は危ない事とも思う。

そもそも私がプロサッカー選手になれたのは、高校時代に全国高校サッカー選手権大会に出場し、そこで優勝出来たからだと思う。だから当時の監督、仲間には感謝している。あの時がなければプロとしてのキャリアを歩む事は出来なかったはずだ。

しかし、当時の高校サッカーで普通に行われていた理不尽な上下関係や体罰的な事を「あの時があったからメンタルが強くなった」みたいな発言には非常に違和感を覚える。

当時の仲間が集まり、笑い話の中で思い出話をするのは良いとは思う。しかし理不尽な事が普通に行われていた事を美化し、あたかも良かったと思ってしまう、それを世間へ伝えてしまう事への怖さ。先輩が寝るまでマッサージをする、先輩が後輩を奴隷のように扱う。そんな事がなくてもチームは強くなるし、サッカーは上手くなる。むしろそんなもの無い方がもっとサッカーを楽しめたはずだ。

もしかしたら少なからず自分もそのような事を当時ノリでしてしまっていたかもしれない。そうであれば本当に申し訳なく思う。

ただ私はその3年間に感謝をしつつ、疑問を持ったからこそ長くサッカー選手としてのキャリアを積め、現在もサッカーが何よりも大好きで、指導者としてピッチに立てているのではないか。

自分の経験は経験として自分の土台として持ち、進化するサッカー界に対して敏感に、常にアップデートしたい。

「美しく勝利せよ」という信念が変わる事ないと思う。その方法論、トレーニング理論、チーム戦術は日々進化する。

過去の自分に捉われすぎず、世界のサッカー界の進化についていきたいと思う。





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