(再録)虹の彼方
2008年、琉球新報の「落ち穂」で連載していた頃に書いた文章。
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東京のある街の、ゲイのみを客とするバーへ足を運んだときのこと。そのバーへ来るために、地方から飛行機で上京してきたという、僕とほぼ同年の人と知り合った。
彼は、そのバーのマスターの大学時代の友人だという。たまたまゲイ雑誌を開いたときに、店の広告にそのマスターの写真が掲載されていたので、連絡をとり、店に来るようになったと話してくれた。
彼は、自分がゲイであることは思春期の頃から自覚していたが、本人の言葉を借りると「勇気がなくて」、ゲイが集まる場に足を踏み入れることは一切なかったらしい。よって、仲間と知り合うこともなかったという。そのバーに来たのも、雑誌で見てから数年経ち、今年に入ってから。40歳を過ぎての「デビュー」となったわけだ。
「ここに来て、初めて、自分のことを隠さず、嘘をつかずにいられる場所があることを知った」とうれしそうに語る彼の言葉に、僕は自分の若い頃を思い出した。ようやく居場所を見つけられたような安堵感を感じていたあの頃…。
今でこそ、インターネットを通じて仲間と出会える時代だが、少し前まで、このようなバーがゲイにとって、友達と集えるほとんど唯一の場所だった。そういうところへ行くようになって、励まされ力づけられたゲイは多い。そして、そこで知り合った友人が自分を支える大切なネットワークとなることも。
遅めの「デビュー」を果たした彼は、「もっと早く来ていれば」と少し後悔したような表情を見せた。
彼のように、自分が同性を好きであることを受け入れられないまま、あるいは、その気持ちをどう実現していいかわからないまま、思春期や青年期を過ごしてしまう人も少なくない。時に、結婚し、子育てがひと段落し、定年を迎えてから自分の気持ちにようやく向き合える人もいる。
もちろん、自分らしく生き始めるのに遅すぎるということはない。彼のこれからにも楽しいことがたくさんあることだろう。だけど、少しでも早い時期に、自分が自分のままでいいと思える社会であれば…と思わずにいられない。
そのバーからの帰り道、なぜか僕の頭の中では、「虹の彼方に」の歌が流れていた。
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