令和5年3月場所14日目雑感

日中に若隆景休場の報が飛び込んできた。昨日、取り直しとなった琴ノ若との一番での取り直し前の一番で痛めた膝が相当に悪かったようだ。これにより、この時点で14日目の若隆景の対戦相手となる霧馬山の白星が確定し、とりあえず14日目での優勝決定はなくなった。その若隆景の休場で不戦勝を得た霧馬山が3敗を守り、大栄翔も翠富士に勝利し2敗を守った。その大栄翔に敗れた翠富士は4敗となり、この瞬間に今場所の優勝はなくなった。そして残る3敗の若元春は豊昇龍に敗れ4敗となり、優勝は関脇霧馬山と小結大栄翔のどちらかに絞られた。

■力士のアドレナリンには恐ろしいものがあるのだろうか
昨日の取組で若隆景は「二番」相撲を取ったわけだが、取り直し前の一番で膝を痛めたことは分かった。取り直しの一番での仕切り前も右ひざを気にしているような仕草はあった。だが、取り直し後の相撲を見る限り、痛めたのは間違いないだろうが、相撲は取れる。そう思えた。万全ではないにせよ、若隆景は7勝6敗、勝ち越しても負け越してもいない状況。はっきり言えば休場するなんていうのは、まるで頭の中になかったし、無理すれば相撲は取れるレベルだと思っていた。だが、そんなことはなかった。報道ベースだと「歩けないレベル」だそうだ。もちろん、一夜明けて状態が悪化したというのもあり得るだろうが、無慈悲、失礼承知で言うのなら、取り直しの一番は普通に相撲が取れていたじゃないか。あれはなんだったのだ。とすら思えるくらいだ。だがこれは、それだけ力士は目の前の一番に集中し、どれだけのアドレナリンを分泌させているのだとすら思う。時折、土俵上でケガをしても全く痛くないけれども、支度部屋に戻った時だったり、部屋に戻った時だったりと、何らかの緊張がほぐれた瞬間に急激に痛みが出てきたなんていう話を聞く。若隆景はまさにその状況だったのだろうか。今場所の話とは全く関係ないが、かつて現理事長の北勝海の最後の優勝場所は北勝海が14日目にケガを負ったがそれを隠し通し千秋楽の横綱土俵入りだったり、これより三役そろい踏みを行った。だが、自身の取組の前に大乃国の敗戦で優勝が決定すると急にそれまで感じなかった痛みが出てきて相撲が取れなくなった。はっきり言えば、千秋楽の北勝海の取組は無気力相撲ではないかとすら思わせるくらい、立ち合いで立つと、自ら土俵の外に出るかのように旭富士に押し出された。この話を聞いた時、どうせ最初から相撲なんて取れる状態ではなく、本割でのヘタレ相撲の言い訳にでも作ったのだろうとすら思ったものだが、13日目の若隆景のようなものを見てしまうと、北勝海の話もあながち作り話、体裁を整えた話とは思えず、それも事実かのように思える。新横綱の場所の稀勢の里の2連勝での逆転優勝だったり、当時の小泉首相の「痛みに耐えて頑張った!」で知られる貴乃花ー武蔵丸戦。こんなのも、力士が勝負に向かう心構えの中で、大量にアドレナリンを分泌されていき、どんな状況でも戦えてしまう話なのかもしれない。若隆景個人で言ってしまえば、優勝争いからは関係ない状況だし、残り3日の成績で勝ち越せるか、すなわち関脇の座を守れるかどうかだけの話であったといえばそうなのだが、力士の闘争本能がアドレナリンを大量分泌させられるとでもいうのかも知れない。

■霧馬山はスイッチを入れなおす必要があるのか
不戦勝で3敗を守った霧馬山だが、この不戦勝は吉と出るのか凶と出るのか。「不戦勝は1日だけでもリラックスできて白星もついてくるのだから幸運」という力士の声を聞いたこともあれば、「支度部屋に入ってもその日の白星が分かっているからいつもと同じことをしようとしても気が入らないし、それでリズムが崩れたり緊張の糸が切れるので好きではない」という力士の声も聞いたことがある。霧馬山はどちらなのだろうか。ちなみに霧馬山の不戦勝は4回目で、過去3回の不戦勝の翌日の成績は1勝2敗だが、果たしてどうなるのだろうか。もし、この不戦勝で抜けたものがあったのであれば、そこは締めなおさないといけないはずだ。中にはいつものルーティンを崩したくないとの理由で、その日の白星が決まっていても、あたかも対戦が普通にあるかのように「調整」をする力士もいるようだが、霧馬山は幕内土俵入りから勝ち名乗りを受けるまでの1時間半程度だろうか。その時間をどう過ごしたのだろうか。

■いつも通りに見えた大栄翔
11日目以降、大栄翔は毎日霧馬山より先に土俵に上がっていた。14日目も霧馬山より先に土俵に上がっているわけだが、大栄翔が土俵に上がった時には霧馬山が3敗を守ることは「確定」していた。つまり、心理的には「霧馬山が勝った後に土俵に上がる」ようなものだ。それにより、大栄翔にとっては「より負けられない一戦」になったとも思える翠富士戦。3連敗中で格の違いを見せつけられてたとも思える翠富士だが、そこまで完敗と言える完敗を喫していたわけではない。少なくとも、食らいつける相撲は取っていた。翠富士は軽量ゆえに、大栄翔の押しが一気に決まるパターンは当然想像できるわけだが、翠富士に上手く潜られたりすれば、大栄翔が前に落ちる。それこそ得意手の肩透かしを食らう姿も想像できた。だが、今場所特に良さが目立つ、大栄翔が相手に手を当てる位置とでもいうのだろうか。狙いを定めて、その狙ったところでしっかりと押す。これが特に際立った一番と見えた。翠富士は小さい分、「的」は小さいだろう。だが、その小さい的をピンポイントでついていける。まずは目先の一番にしっかり集中して取り切れた、ここ数日、いつも通りの大栄翔だっただろう。これができたことは明日に向けて大きな収穫だったのではないかと感じる。

■大栄翔には「2回チャンスはあると思え」と言いたい
両者の地位はともかくとしても、優勝争いが2人に絞られ、その2人が1差で対戦するケース。追われるほうは「負けても決定戦があるとは思ってはダメ、本割で決めに行かないといけない」と言われることもあるし、「負けたって決定戦があるのだらか、焦らずに行こう」などと言われることもある。前者は自らによい意味でのプレッシャーをかける言葉だろうし、後者はプレッシャーから解き放つ言葉だとも思う。いろいろな人から、前者の言葉も、後者の言葉も言われ、そのまますべてを受け入れてしまったら。どっちにすればいいんだ、ともなってしまうだろう。だが、敢えてこのどちらかを大栄翔に言えと言われれば、私は後者を選びたい。そもそも大栄翔の相撲はツボにはまれば、白鵬ですら全く太刀打ちが出来なくなるような相撲なのだ。端的に言えば、押し切れるか押し切れないかだ。そして、今場所の大栄翔は狙いを定めて突くことが出来ている。そして狙いを定めやすい形を作れている。だから翠富士戦での見てから突いていく立ち合いができる。たとえ1回それに失敗しても。またチャンスはあるのだし、2回やれば1回ははまるだろうという思いでやっていけばいいのではないかとは思う。

■霧馬山は余計なことをしなければよい
霧馬山は相手のツボにはまってしまったらしょうがないくらいの思いでいいのではないだろうか。それさえ外せれば霧馬山優位の展開に持ち込める可能性は高いように思う。立ち合いで先手を取られないこと。ここに尽きるだろうし、立ち合いは五分でもいい。大栄翔の狙いが外れたときが勝機になるはずだ。大栄翔の動きが止まれば相当に霧馬山優位になっていくとは思う。さすがにないとは思いたいが、霧馬山は時折、余計なことをしてしまい墓穴を掘ることがある。ここ数場所はそれが見られる頻度も減ってきているとは思うが、少し前までの霧馬山であれば、なんでそこでその動きをするか、といった動きがみられることもあった。大栄翔のツボにはまる相撲を取られてしまえば、どうにもできないが、今の霧馬山にはそれをさせないだけの力もある。あとは、どうしても強引になったり、いらぬことをしてしまったり。そういうことがなければ。左前を獲るだけでもどうにかできるだろう。2連勝すること以外に優勝する手段はないが、1つ取って、もう1つ。落ち着いて自分の相撲を取ろうじゃないか。

■今場所の優勝者は間違いなく今場所一番強かった人
まだ場所が終わったわけではないが、全休の照ノ富士を抜いて、番付が少し上だったらと置き換えてみる。要するに、1横綱貴景勝、3関脇は大関、4人いる小結を関脇。そして平幕筆頭の2人を小結。こうやって考えてみると、実に素晴らしい場所なのだ。「横綱」の休場は残念だったとしても、「大関」は3人のうち2人は2桁。そして「関脇」は2人は14日目終了時ですでに2桁勝利に届かせ、もう1人も千秋楽に2桁をかける。最後は「大関」と「関脇」が優勝争いに残った。こうやって見てみると、非常に優秀な場所とも言えそうなのだ。若隆景は残念な結果となってしまったが、皆勤した中で最上位の負け越し者は翔猿だ。そして西筆頭の正代、東2枚目の阿炎と勝ち越した。その分、玉鷲、竜電、御嶽海、明生と上位だけで4人の2桁負け。上位が充実すればするほど、その少し下の地位で大きく負け越す力士が出てくる。一昔前の見慣れた光景ともいえるかもしれない。2桁負けが多く出ているのは残念なのかもしれないが、星取の観点で言えば、自然な姿でもある。場所の総括は場所が終えてから行いたいが、横綱、大関が不在の中、強さを示すことができた上位力士たちは立派だっただろう。そしてその中から優勝者が出る。翠富士が14日目に力尽きたが、本来優勝争いに加わる立ち位置にいる人たちが優勝を争った展開になったと言ってよかろう。最後、その上位者の中で最も強い人は誰だったのか。ある意味、今場所出場者の中で間違いなく一番強かったと言い切れる人が優勝する。大栄翔が優勝すれば翠富士に2差つけられた瞬間もあったわけだが、しかるべき人に勝っての優勝となる。関脇戦では豊昇龍には負けたが、たとえ本割ではなくとも大栄翔の優勝は霧馬山に最低でも1番は勝つことが絶対条件だ。そして霧馬山が優勝すれば、少なくとも「14日目まではもっとも強かった」と言える大栄翔に2つ勝っての優勝となる。14日目までの強さを誇った大栄翔に2つ勝てる力士。これは間違いなく今場所最強の力士だろう。今の時点で、今場所一番強いのと二番目に強いのは大栄翔と霧馬山。ただ、どちらが一番で、どちらが二番かはまだ決められない状況。この両者で優勝した人が一番。優勝できなかったほうが二番。これは異論のないところではなかろうか。そして、この一番になるのはどちらか。両者ともに持ち味を出せなんて言わない。どちらでもいい。勝ったほうが自分の相撲を取り切って勝つ。これに期待したい千秋楽だ。

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