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過去の自分の判断は間違い、という今の自分の判断は本当に正しいのか?というパラドックス

いろいろやることが多くなって、優先順位をつけると報酬が発生する仕事が上に来てしまうので、こちらに書く機会が減ってしまっています。いや、いいことなんですが。自由に描くにも会員制のほうが優先してしまうし気が楽というのもあるし。そして時間がないというのは時間を作ろうとしない言い訳でしかないということも承知の上で。

でも仕事で生活時間が埋まるのは本当にいいことで、その正反対の地獄のような時間を長く過ごした身としてはなかなか外せない。逆にそういう地獄の時期を救ってくれたのなここのnoteに描くことだったので、感謝してます。


幸いにも複数のラインから仕事の話がある中で、最優先してるのは当然毎週締め切りのある連載仕事なんだけど、これも有限の時間の中で最善を探しつつ、思考時間と作業時間を天秤にかける日々なわけです。

当然締め切りが近づくと本当に最善なのか?というまま作業を始めることも正直なくはない、というかありまくりなんですが、たぶんそうでもしないと僕は結局最後まで何も描き終えられないタイプだと思うし、そういう制約があったからこそ無理やり出したアイデアこそが作品に魂を与えてるとも思っています。物語世界は自分一人の力で作っているわけではない。


でもその中で、やっぱり「あのときのあれは間違いだったんじゃないか」というのはあります。本当に単純なミスであれば修正対応するんだけど、深く根差してる部分であれば描き変えることは不可能でもうそれを前提に続きの方を変えていくしかない。修正するのは前回ではなく次回のほう、このライブ感が連載に魂を与えてる部分であり人生とシンクロする理由でもある。

プロとして仕事をしてお金をもらい、仮にもそれを愛してくれてる人が少しでもいる中で、作者がそれを失敗だとか間違いだとかいうことは作品に対しても読者に対しても冒とくであり失礼である、という考え方もあります。

ただやっぱり、自分がそう思ってしまうこと自体は否定できない。表で言うかどうかは別として。嘘は必ず必要だからこそ、どこでつくかが重要で。

で、やっぱり「あのときのあれはミスだったな」と思った、その時の自分が正しいという確証も実際はないので、「あの時のあれはミスだったと思ったのは間違いだった」と永遠のパラドックスにハマる可能性もある。

何も作中や作品のことではなく、今までnoteのマガジンで漫画家になってしまったルートを洗いなおしてるし、漫画家になってから以降のことでも、当時は挫折だったり失敗だとしか思えなかった判断や行動が、次の作品や自分の人生にとってなくてはならないキーポイントだったということは枚挙に暇がない。

だから基本的に過去は描き変えてはいけない、描き変えられないものとして立ち向かうというのが正解なんだと思う。今の正解。やっぱわかんねえな。


なんでこんなどうでもいいことを書いてるかというと、このところのネームについて、自分なりに優先順位をつけて最善を進めてきたつもりだったけど、改めてその優先順位が間違ってたかもしれないと思うようになって、でもこれはもう展開的に戻れない部分だなというところで次に向けての切り替えをしています。

あと同時に、過去作の扱いに関していくつか進行中の企画があって、それに関してまさにこの過去の自分の選択を今の自分の価値観で修正すべきか、という問題に立ち返った上で、それでも自分は今の最善を信じてみようと思っています。結局やってみないと分からないので。


あとnoteのマガジンについて、ご購入者の皆様ありがとうございます。一応漫画家になるまでで区切りをつけようと思って時間がかかってますが、これも早いうちに完結させる予定です。


いつもご愛読ありがとうございます。 育児系は基本的に無料公開にしています。 同じ気持ちを共感する方々の心が少しでも軽くなればと思います。 今後の活動を賛同・応援していただける方からの サポートに感謝いたします。