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クロザクロ=植物型コンテンツ

前々から何度か書こうと思ってたけど長くなりそうなんで後回しにしてたんですが、いつまでも先延ばしにしそうなんで書き始めることにします。

価格は投げ銭用で基本的に本文は全文無料で読めます。

マンガオーナーのキャンペーン

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現在こちらで「クロザクロのマンガオーナーになろう」というプロジェクトに参加させていただいています。詳しい内容の方はこちらの記事などでも紹介されていますのでそちらをご一読いただければと思います。また私のほうの見解としてはこちらの一連のスレッドで以前にご説明させていただきました。

世界で話題のNFTと呼ばれる仮想通過を使ったデジタル上のアート取引の動きを日本でいち早く取り入れることができたと思います。

今回はそもそもなぜ私がこういうのに積極的に参加しているかということをもう少し詳しく語ってみようかと思います。基本マンガにご興味ない方は知らないだろうし、興味があってもそれほど知られた作品でもなく、さらに結構マンガには詳しいぞという方からすればそんな十年以上前の、それもメディア化されるようなインパクトを残した作品でもないものがなぜ今頃、最新の技術を使ったプロジェクトに参加しているのか、などなど疑問はいくらでもあると思いますので、順を追って書き出してみようと思います。


クロザクロ=植物

「クロザクロ」という作品に関しては、それまでの自分が漫画家になりたいと思ったときに思っていたものとは違う、漫画は一人の頭の中でできるものではないということを強く実感・経験させてもらった作品です。

だから自分だけのものではなく、どんどん関わる人の手によって違う広がり方ができることのほうが、これまで関わった全ての人に対する恩返しだと思っています。

ご存知の通り漫画界というのは強烈な生存競争のピラミッドで成り立っています。勝ち上がるのは百獣の王、毎日のように数多く出てくる漫画から抜け出たもののみです。書店の棚はおろか、ネットで流れる無料の漫画、専業から趣味の人、かつての名作などと同じ土俵で戦い続けなければいけません。

そんな、いわば肉食が食い合う世界の中で言えば、この作品はとっくに忘れ去られている、まさに作品の冒頭のピラミッドで言えば下の、食物連鎖で言えば植物のコンテンツです。それでも、今でもこうしてネット上で作品タイトルを含む記事が扱われたり新しい読者を獲得できている。その時のヒット作に似たシーンがあれば誰かがタイトルを思い出してくれる。

作者の手を離れて、かつて読者だった人が種をまいてくれることで、作者の手が届かないところでも少しづつ芽が出続けてくれることに心から感謝いたします。

かなり昔の話ですが、書いて問題のない範囲になるように気を付けます。

連載までの経緯

このクロザクロという作品は週刊少年サンデーに2004-2005年にかけて掲載された、私にとっては二度目の連載となります。

まず誕生までの経緯として、私はその前の連載である「トガリ」が途中で終了する形となり(のちに他誌で完結編「咎狩白」を連載)、その後も連載に向けネームを描き続ける日々を過ごしておりました。(ちなみにこのときのキャラはのちの「B-TRASH」で登場することになります。)

その際私は期限を設けていました。無収入でネームを直し続けるのは一年とし、その後は他誌に前作を持って行って話を聞こうと。いつまでも同じことをしていても終わりがないとずるずるいくし、何か環境を変えようと。それは事前に担当編集にも伝えていました。

実際言われるところを一年修正して提出したネームは通らず、もう何をどう直せばいいのか分からないので、別の会社に話を聞きに行きました。

ただ正直、これは漫画家さんなら分かると思いますが、一年も読者に読まれることのないネームを描き続けていると、もう何が面白いのか、なんなら何が描きたいのか自分でもよく分からなくなっているのです。下手に一度目の連載の反省点もあり次はこうしよう、こうしたほうが人気が出るという知識が邪魔をすることもあり、逆に作風から自分が何を描くべきなのか教えてくださいというような状態でした。

ただ持ち込んだ先の編集さんはそんな私の話も真面目に聞いていただき、当時二十代後半にさしかかって新人とは言えなくなった私に対しても、若い十代の投稿者はマンガの知識だけでマンガを描く勢いがあるから、その代わりの武器としてたくさん本を読むように、当時は中国の武侠ものや歴史小説を勧めていただきました。のちにキングダムが始まる前の話でしたので、この編集さんには本当に感謝しています。

私も本を読んだりしながらもやはりうまくネームが描けず、前の連載から一年は印税やら海外版権で収入があったけど二年目はそれも途絶え、焦りも出てきてどうすれば分からなくなってきたころ、元いた少年サンデーの、担当とは別の編集さんから連絡をいただき、海外小説のコミカライズをしてみないかとお誘いいただきました。画風や作風があっているので推薦したいというような感じでした。それで原作小説を全巻読んで、キャラクターデザインなどをしていました。海外の作品と言うことで海外コミックの絵なども勉強し取り入れたりもしました。

実際にはその話は先方の都合で流れてしまうのですが(のちに他の作家さんがコミカライズして素晴らしい作品になったのでそちらが適任だったと思います)その後も半年ほど別のネームを続けながらも、あのときのキャラクターやネームをベースに何かオリジナルができるのではないか、ということでようやくネームが描けるようになり、また当時は話が作れなくなってたところ、偶然友人の結婚式で同席した原作者と編集者との間で進んだ企画である「P專嬢のダリア」の作画に専念することで話の整理や演出の勘が戻り、そちらもほぼ同時期に雑誌掲載され漫画家に復帰することができました。

クロザクロは私一人の発想から産み出したのではなく、周囲のあらゆる人との出会いや出来事との延長で偶然生まれた作品なのです。

ちなみに友人にタイトルを言っただけで「人を食う話か?」と聞かれ驚きました。ザクロ=人肉の味、という迷信についても全く知らなかった、まさに偶然の産物でした。収集、と携帯で変換したら蒐集という鬼の文字が出てきたときも本当に驚きました。

連載のテーマは食物連載、それをオープニングにもっていきました。


連載から終了まで

連載中はいいことばかりではありませんでした。前回の連載ではわりと自由に話を考え、分かりにくい点だけを修正する程度でしたが、こちらは完全にネームから赤ペン先生状態で修正を入れられ、自分で考えたエピソードが変わってしまうので先の展開も作ることができす、それこそ自分の作品と言えるのかどうか分からない状態になってしまいました。

これは他の作家さんから見たら連載って当たり前にそういうものだ、と感じるかもしれません。前のが自由すぎただけで。

今になってみればこの期間は大変勉強になりました。一話ごとの読者に残す部分を絞ったり読みやすさを優先することなど、今までキャラクターに考えさせその行動を追っていくような話の作り方をしていた自分だけでは身につかなかった技術が付きました。あと不思議なことに、読者があとで編集にやらされたと推測してるのは実は僕が考えた部分と言うのが結構あって、ある意味どうせ話としてはあとで勝手に整えられるからと、ネームの時点では振り切った演出や外連味のあるキャラクターを堂々と登場させていました。

幸いにも読者のアンケートは何度か一位も獲得し、毎週答え合わせのように確認していた順位も平均して真ん中あたりにずっといました。前回の連載ではアンケートは気にしなくていいと一切見ていなかったデータをほぼほぼ後半から最下位近辺だったことも見せられていたので結果は出ていたとも言えます。

それは同時に苦痛でもありました。実は単行本は前の連載の方が売れていたのです。(少しだけですが。時代的に徐々に本が売れなくなっていたこともあります)

当時は描くのが苦痛で、誰の作品か分からないと思いながら描いたものが、アンケートが下がらないことで同時に終わりが見えない苦行になっていました。そこまで苦しんで結局前の方が売れたならそっちのほうが正解だったのかよく分からなくなりました。前の連載の時はどうせ終わるならと却ってやる気が出ていたものが、いつまで続くか分からないことでますます迷走し始めたときに、連載終了を告げられた時は正直ほっとしました。良くも悪くも、アンケートだけで連載を決めていない判断に助けられました。

終ることが決まってからは憑き物が落ちたように、全てのキャラクターに感謝できるように幕を閉じられたと思います。


海外で売れたので漫画家をやめようと思った

二度の週刊連載でヒットが出せず三十代になり、もう漫画家として売れる才能はないなと気づき始めたところでした。今ならまだやり直せるかもしれない。

それでもまた一年と期限を決めネームをやっていましたが、正直その頃にはやはり何が面白いのか、何を描けば載るのかも分からなくなっていました。またバスケのキャラを描いたりしてましたが(ちゃっかり世界バスケに取材パスで入ってたのもこの頃)逆にすでに固まってるキャラを売れそうな路線に変更することもできず、だんだんタイムリミットが迫っていました。

少し話は戻りますが、クロザクロの開始前にフランスからサイン会に招待されました。当時は日本の漫画はアジアでは売れても欧米では売れないということで進出が遅く、海外出版に関しては向こうが出したいとオファーがきたものだけ出すという形で積極的に売り出してなかったので、フランス語版が出ること自体が珍しいという扱いでした。英語版も出てなかったし。

そこでフランスの出版社の方々に大変歓迎していただき、向こうの漫画ファンの作家さんの友達もできました。エルザ・ブランツさんもその一人です。(ご夫婦で漫画家で日本の漫画ファン)

当時フランスではまだ日本の漫画は多く進出してなくて、その中でトガリは日本での大ヒット作と同じくらい売れてるとの信じられないお話しでした。売れたと言っても市場規模が違うのでそこまで大きな数字ではないのですが、最初は編集にも海外印税なんて日本から見て一割以下、誤差というくらいに言われてたけど、感覚的に自分の場合は全収入の三割くらいは海外からでした。またフランスはヨーロッパの中ではマンガ先進国ということで、フランスに買い付けに来てる各国の出版社とも知り合い、スペインやイタリアでも出版されることになりました。

クロザクロの連載が終了し、今度はプライベートな旅行でフランスに行きました。クロザクロも同じ出版社から翻訳出版されていました。

フランスはたった数年で状況が変わり、アニメがリアルタイムでファンにネットで翻訳され日本のヒット作はそのまま向こうでもヒット作で、当時本棚の一角だったマンガコーナーはフロアの2/3を占め、もともとのフランスのコミックであるBDよりもはるかに大きな扱いでした。

同時に、日本の出版社の人と同行しなかったことで、日本出版界の暗部を知ることにもなりました。今では考えられないことだしもうやってない(できない)と思うんだけど、それは海外の会社だけではなく、権利関係で働く日本のアニメ会社の人なども同様のことを言っていて、それはファンの熱狂と対極の強烈な光と影でした。

自分は幸いにも漫画家としてその両方を見る経験をさせてもらったので、これから勉強して、架け橋になるような仕事ができるんじゃないか、とその時漠然と考え始めていました。ただ会った関係者全員に「マンガが描ける人はマンガ描いて!」と言われましたが。描けなくなる期間がこうも長いと次の手を考えざるを得ないので。


「トガリ」ハリウッドで映画化か?

ちょっと話がそれましたが、そういった中でトガリのハリウッド映画化という企画が来ました。

いやまだ気が早いよ。どうやらこれは結構あるあるなのです。企画だけなら。明らかに大金が動くヒット作ではなく、ベンチャー企業があらかじめ安く手に入るマンガの権利を買って映画会社に売り込ませてくれ、とかそういう類の話です。実現する可能性は一割もないよ、と言われましたが、一割でも充分に夢のある宝くじです。

ただ、ハリウッドなのに肝心の英語版が出てないのではそもそもマンガ読んでもらえないじゃん、と思い編集部に聞いても海外からオファーがないと言われ、外国人の友人に相談したところ「アメリカは待ってるだけでチャンス来るわけないじゃん、自分で行かないと」と言われそれもそうだなと思い、自分でアメリカの出版社とアクセスする方法を探していたところ、偶然にも友人の友人(アメリカ在住)がアメリカの大手出版社に転職して来週から勤務する、という話が舞い込み、連絡するとやはり日本の漫画家とアクセスする方法がない、今度マンガ部門の最高責任者と日本に行く、とお互い待ってましたの状態に。

そこでトガリやクロザクロをお見せすると「出したい」と言われてこんなうまく進むのか、と思った矢先、先方と日本の出版社の両方から詳しく聞けない理由で全てストップしてしまいました。

そこからアメリカの会社から「じゃあ最初からうちでバットマン描いてもらえばいいじゃん」という話になりました。今のようにアメコミヒーローが一般にも浸透した時代とは違い、一部の有名な作家さんが日本の出版社と協力して描いた例がいくつかあっても、日本の作家が海外の出版社と直接契約して先行して海外で出て、その翻訳版として日本で出るという形態は初めてだったと思います。

ここで私はもう、ある意味漫画家としての最後の仕事でこれ以上のものはない、ヨーロッパとアメリカで他の作家さんがしてない経験をすれば、ここで見えた問題点を漫画家として見てきた私しかできない仕事があるんじゃないか、くらいに甘~く考えていました。

ところが。ところがです。海外の出版事情は日本のそれとは違い、分厚い契約書と仕事の領分のハッキリした分業。基本的に編集者の仕事自体が編集作業以外何もしない、してはいけない。漫画にのめりこむ日本の編集者との差を大きく実感することになりました。向こうの印刷所とやりとりしたり、マンガを描く以外の面倒な作業をいろいろやるうちに、いかに日本の編集が漫画家のためになんでも屋として時には育て、時には考えいろいろしてくれたかを知りました。

同時に、みんなに言われたように、マンガに関わる仕事の中でマンガを描く仕事がしいていえばまだ一番向いている、他の仕事にだって才能も必要なら向き不向きもあるということも分かりました。

ヒットしてもしなくても、マンガを描いていられるうちはマンガを描こう

そう思うようになっていました。


予想外のアメリカ進出

アメリカで発売されたバットマンは、一応マンガランキングにも入り、向こうも偶然飛び込んだ話から言えばこんなところで第一歩、という感じだったのかもしれません。

ただ、当時アメリカはリーマンショックを迎えます。それが直接影響したかどうかというのは正直分かりませんが、会社はMANGA部門から撤退、提携していた日本の会社もコミック事業部を売却になったりいろいろありました。正直アメコミの話だけで一つ文章になるくらいいろいろあるので割愛します。

ではこの話はムダだったのか?というとそうではなく、ここにきて日本の出版社も動きが変わります。日本で本が売れなくなる一方で海外に目を向け、今までマンガ翻訳の海外の会社の儲けは本来日本の会社のものだったのでは、と現地法人を作ってそこから翻訳出版するという方向に動きます。電子書籍とかはまだ遠い未来の紙の時代末期の話です。

そこで、まず翻訳されるのは、確実に人気を得られるであろう、少なくとも日本でアニメ化されているような一部の作品が英訳出版作品として選ばれたのですが、その中にトガリクロザクロが含まれたのです。これはヨーロッパでの売り上げが比較的よかったことと、バットマンでアメリカにすでに進出していた作家であることが考慮されたから、と聞いています。

ちなみにそれより前、バットマンの仕事でアメリカでサイン会をしたときに、熱心な日本の漫画ファンはクロザクロのイラストを持ってきてくれていました。フランスもそうですが、本当に好きなファンは日本語で輸入して気合で読む、そのために日本語を覚えてしまうのです。

その結果、クロザクロは2012年のアメリカ青少年図書協会(YALSA)が推薦する図書の優れたティーン向けグラフィックノベル部門にノミネートされました。

あくまで十作品ほどに選ばれただけで受賞はしなかったのですが、ノミネート作品は全米の図書館に置かれる可能性が高くなるとのことで、これによってアメリカで日本のマンガに興味を持った読者の目に触れる可能性が格段に上がりました。実際昨年アメリカに行ったときに図書館から借りてきてもらいました。

これにはもう一つ大きな意味があって、漫画はどうやっても発表から年月が経つほど忘れられるものです。日本では2005年に終わったこの作品が、アメリカでは2012年から知られることで結果的に寿命が延びたとも言えます。日本でクロザクロを読んでいた世代にとっては十年前、中高生も社会人になってるところ、アメリカではこの時期にまた子供たちの目に触れることができました。

さらに海外翻訳版で言えば、インドネシアではクロザクロは月刊誌で連載という形で翻訳されていました。普通海外印税は単行本一冊ごとに入ってだいたい終わりですが、インドネシア版は毎月、数年に渡って入り続けました。これは連載のない時期に収入的に大変助かった(生活できるほどではないにせよ)のですが、それ以上にこれも作品の寿命が延びたことも重要でした。読者が若返るのです。


本格的な電子時代へ

アメコミの仕事でアメリカに行った時、電車で隣に座ってた人がすでにkindleを読んでいました。日本ではまだまだ本は紙、という時代でしたが技術的には可能で、そろそろwebで読むマンガも増えていました。

そして電子書籍と言えばコピー、海賊版と切っても切れぬ関係でした、紙の本をスキャンするサービスが問題になり、それらの解決策として赤松健先生Jコミ(現:マンガ図書館Z)の運営を開始していました。

とはいえまだ大手の出版社は電子に懐疑的で、電子書籍も売り上げが見込める名作を先行、ただ名作の先生ほど紙にこだわり許可を出さない、そんな状況でした。

すでに自分の作品は事実上絶版で古書店以外で入手は不可能でした、売り上げは作家や出版社に入らないことも問題になっており、かといって電子化するほど売れるとも思われてないんだから、こちらで電子化権をもらってJコミで公開したほうがまだ読者と出会えるのではないかと思い、編集部に相談しました。ちょうどトガリの権利を咎狩白の会社に移したりで、出版社も契約関係を再確認している時期でした。

編集部はまずは作家の意思を尊重してくれる姿勢で、そこは本当に感謝しています。その上でうちでも将来的に電子出版は考えてるからという話をされました。だったらそれはそれでJコミ公開は別にできるように契約書に盛り込んでもらいました。

当時のJコミは主に過去の絶版マンガが主で、比較的新しい少年マンガというのは赤松先生のラブひなが大きく目立つ以外は、バトルマンガだと次にクロザクロが目につく状態でした。これは実際の書店での売り上げなどで言えばあり得ないことで、早い段階でwebやアプリで目につく場所に置いてもらえたことで過去の読者にも見つけてもらいやすく、また新しい読者に出会うチャンスも増えました。

そして出版社の電子書籍のほうも、同時期の連載などよりもかなり早く電子化されて販売されるようになりました。


次のステージのマンガの形

そこから電子書籍やマンガはアプリで読むものへと、時代はさらに進みます。

その頃からマンガ図書館Zとしての配信が電子書籍販売も含むようになり、小学館版と混同するようになりました。また小学館版も数多いサンデーの名作が電子化されることで頭打ちになり、電子のキャンペーンなどでも新しいヒット作がどんどん生まれて行く中で、他に売り出せる名作がたくさんある中にこのまま置いておいても読者の目に触れる機会はないだろうと思いました。サンデーにとっては持ってても利益を生まない作品ですが、私にとってはまだ価値のある資産でした。

私も自覚しているのですが、クロザクロは少年サンデーの作品であったことに価値がある作品です。単行本の売り上げよりアンケートのほうがよかった、単体の作品としてではなく、当時のサンデー作品が好きだった読者に支えられていると思っています。ただ当然ですがこのアドバンテージは、全てがサンデー作品である中に置いてあっては全く通用しないのです。

逆に一歩外に出ると、大きな会社以外でなかなかサンデーというブランドを扱わせてもらえないとこから見たらかなりフットワークの軽い作品として便利に使ってもらえるんじゃないかなと思います。作品は使われて、読まれてようやく命が吹き込まれるものですから。

そこで電子化から数年経ったこともあって、こちらから完全な絶版を申し入れました。元担当も、電子書籍やアプリ上のキャンペーンなど行き届かない位置にある作品であることも理解してるので、このままここに置いとくより多くの人の目に触れるのならと作家の意思を尊重して進めていただきました。

また同時にマンガ図書館Zのほうでも作品が増えるにつれ埋もれつつあり、さらに無料で読める広告モデルから有料アプリなどの配信を始めたとき、電子書籍として正式に作成した図版ではないものでお金を取れるのか、他の有料の電子書籍と同様に扱っていいものかという不安がありました。

kindleの個人配信なども進み、電子書籍の強みというのも分かってきていて、カラーなどもそのまま収録できる今、販売できるクオリティのデータを作成すべきなのではないか。しかしその手間はどれくらいかかるのか。そして自分も作家として過去の作品に時間をかけている場合ではない、現在進行形の作品に全力を注ぎたい。

ちょうどそのタイミングで声をかけていただいたのがナンバーナインの工藤さんでした。うまくいきすぎだろ!

実はこのもっと前、電子化黎明期のスマホもないケータイマンガの時代からも、ホームページのアドレスに作品を扱いたいという話はいろんなとこから来ていました。それでもメールの名前で検索するとマンガは金になるからというベンチャーのウェイウェイな感じだったり同じ文面のコピペをあらゆる漫画家に送るbotな感じで、作品を預けるに信頼できないところとはコンタクトを取りませんでした。また別の読切などで挑戦した新しいサービスの中では失敗したものもあります。

その中でナンバーナインはその前のトリガーを利用していたことや社長の小林さんとも面識があったこと、他にも私が信頼してる人が信頼してる会社、というイメージがあり、やっていることもまさに私が求めていた出版社以外のエージェント、経営の実績なども含め、マンガ関係の仕事はそのプロのほうが漫画家がやるより上手くやれる、そういう会社だと思いました。

そして声をかけてくれた工藤さんも、他にも今いろんなプロジェクトを一緒にしてるスタッフさんもかつての読者さんで、マンガに対する情熱は本物だと感じたこと、もう作家としてはベテランを過ぎた自分に若い視点と感性の刺激を与えてくれること、また進行形の連載の読者と過去の読者を話題でつなぐことで相乗効果も作れる、あくまで今の連載を中心に考えることもできました。

そういった流れで、ただ電子化しても誰も気づかないから、過去の読者も巻き込んで新しく一話作ってみんなにプレゼントしよう、と企画したのがクラウドファンディングでした。不安もありましたが見事達成額を超えて成功することができました。またこの機会にこの作品を知ってくれた読者の感想などもあり、種はどんどん飛んで広がっています。

主人公が人喰いの怪物になるマンガ、人を喰う鬼のマンガ、魔物の力を喰って体を乗っ取られて力を手に入れるマンガ、敵が植物で不死身のマンガ、いろんなヒット作、勝ち上がった肉食獣の陰で思い出してもらえる植物のようなマンガとして、これからも読者が増えていき、新しい読者、世代を超えた若い読者の目に触れるきっかけになればと思います。


最後に

ここまで読んでいただきありがとうございました。

ハッキリ言いまして、過去の作品をいつまでも扱ってる漫画家がなんて言われてるかくらいは自覚しています。全ての人から好かれる気はないです。結果を出せば周囲は黙るとかウソで、どんな結果を出したり非の打ち所のないような人でも、だいたいあの羽生結弦のことだって悪く言う人はいるんだから不可能だよ。自分もそこまで清廉潔白に生きてきたわけでもないし。

「待ってるだけでチャンスは来ない」この言葉のようにどんどん広がった経験からも、新しいことにはどんどん挑戦していこうと思いますし、一緒に挑戦してくれる作品としてまた新しい認知を得られたらまた読者が増えてくれればと思います。失敗しても特に失うものがないのも強みです。

ただ自分はこれだけにしがみついてるわけではないので、クロザクロに関してはこうやっていろんな人の手で勝手に育ってきた作品としてどんどん使われることで、長い期間で価値を高めていけるんじゃないかなと思っています。世界中の読者とアクセスできる今、どこかの国のかつての読者が大人になって大きなプロジェクトを持ってきてくれたら、もしかしたら大きな花が咲く可能性もなくはないし。

スベテはツナガッテイルノダ!


この先は投げ銭用スペースで読み物はないです。


追記)詳細について有料ゾーンに書きました。

自分の実例に基づくもので一般的にどこもそうかはわからないのですが、経験した日本と海外との漫画業界のギャップについて。


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