失って、そして得たもの

考え始めるとキリがないから一息に。

できればnoteはもうすぐ卒業して、違うサービスに引っ越したいと思っているけどとりあえずここに書き残す。

ベルリンに来て2年が経ち、私はもうすぐ日本に帰る。

ここに来て悪い癖がついて体調は少し悪くなって、コロナ以降体力がなくなって、ストレスかコーヒーの飲み過ぎかどちらかのせいですぐにえずく最近だけど、私が得たものは小さくないと思ってる。

私は人権についてをよく学んだ。

私の自他境界線が薄くてそのせいで不安定になっていることも知った。


人権はみんなが持っていて、それは揺るぎなくて、誰に理解されなくても存在しているもので、他者に侵されるものでない。

書いてみると当たり前みたいに感じられるけど、

私は日本で生きていた時、自分の人権を、他者の人権を、侵し侵されながら暮らしていた。

他人に関わりのないはずのことに干渉し、干渉されることがあまりにも当たり前で、理解していないと、理解されていないと、それはいけないのだと思い込んでいたんだけど、

それは思いこまされていたんだし、私は本当は、誰に理解されなくても私のままでよかったし、

あの人もこの人も誰に理解されなくてもそれでよかったはずだった。

理解されないことは寂しいということもきっと思い込みで、孤独ってどういうことなのかというと、きっと

誰かに理解されている実感がないと安心できない状態のことだと思う。

私は人には優しくできるのに、私は私にして欲しいように人にするだけで、私は私に優しくすることの本当の意味をわかっていなかった。

そんな状態で誰かに認めてもらってもその言葉を信じることができなかったし、褒められている私は私ではなくて別の何かだとそこだけ切り離し続けていた。

すべてを環境のせいにするつもりではなくても、今の日本で、自然に、

ただ自分を自分で認めて、許して、愛することを知っている状態でいられる可能性はとても薄いと思う。


テンペルホフという空港跡地で、

パンツのお尻が丸見えの丈がおへそからお尻の途中までしかないヒラヒラしたスカート、というより短い布がついた水着みたいなものを着た人がお尻をふりふりスケートで私を追い抜いて走って行った。

そこになんの意味もない。

私が彼女をこんなにも覚えていることにもなんの意味もない。

私は、いつも私だし、それを変えられないし、理解されたいといつも思っていたのも、叶えられない願い、というよりも理不尽な願いだった。

私はきっとこれからも私と一人きり、私と私で認め合って確認しあって手を取り合って支え合っていく。

そんな中で誰かを好きになり、支えたいと願い、支えることができなくてもそう願ったことを記憶し、微笑みかけ、微笑み返されなくとも微笑んだ自分を慈しみながら生きる。

それでいいと心から思えていることが、

私がこの街で学んだ一番大切なこと。

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