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クランシー・ギルロイと箱庭の幸福

こんにちは。
年末からミッドナイトゴスペルに出会ってから現在まで進行形でクランシー・ギルロイに狂っております。

ネトフリを開けばとりあえずミッドナイトゴスペルをみているので、AIに"こいつこれしか見ねぇな…"と思われていそうです。

本日はそんなクランシー・ギルロイとミッドナイトゴスペルへのクソデカ感情をぶちまけに来ました。

ミッドナイトゴスペルの考察なんて時期外れのn番煎じですが、俺はまだ煎じてねぇんだよの精神で書きます。ネタ被りとか気にしない。俺は俺の言葉で愛を吐く。
宜しければオタクの萌え語りにお付き合いください。

四畳半の主人公

ある日こんな記事を読みました。

なかなかに面白い記事で楽しく読ませていただいたのですが、この中に少し気になる文が出てきたんですね。それがこの部分。

クランシーは一人で小さなボロ屋に住む。たぶん他の人も同じだ。日本で言えば四畳半住まいかな。

え、あれってボロ屋なんだ、と思った。
わしはクランシーのあの家は、そりゃ豪邸とまではいかなくても、なかなかいい家だと思っていたからだ。

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流行りのタイニーハウス。ネトフリでもタイニーハウスを作る番組があるし、都会暮らしの日本人からすればタイニーハウスでも全然広い方。オタク的には秘密基地ぽくてむしろ良い。ナイス。

しかし言われてみれば、一般的なアメリカ中流階層の暮らしと比較したら、あの家はボロ屋なんだろう。四畳半とまで言うかと思ったが、そうなのかもしれない。なるほどだ。もう一度声に出して噛み締めてみよう。

クランシーは、辺鄙な土地のボロ屋にひとり、住んでいる。

うん。今回はこれを前提にミッドナイトゴスペルとクランシーを見ていきたいと思う。

サイケでマッドなミッドナイトゴスペルの世界。一見現実からかけ離れたその世界は、クランシーというキャラクターを観察することで具体的な実感を伴い、やがて現実と交差する。
その感覚をこれから書いていく。

キャラクターとしてのクランシー

この記事をわざわざ読む人がご存知ないということは少ないと思うが、一応ミッドナイトゴスペルというアニメの概要を書いておこう。

ミッドナイトゴスペルは、ダンカン・トラッセルというコメディアンのポッドキャスト音声を元に、アニメーションをつけた作品だ。

主人公の自称スペースキャスターであるクランシーは、シミュレータと呼ばれる装置を使って多元宇宙の星にアバターとなってぶっとんでいき、そこでゲストに取材するというのがアニメの基本ストーリー。

そのゲストというのが、ダンカンのポッドキャストのゲストである。アニメ映像という箱に現実のポッドキャストを入れ込んだ構造になっている。

従って、クランシーの声はダンカンだし、ダンカンはクランシーというキャラクターを間接的に演じている。

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そんな二重の役割を担うクランシーは、度々キャラクター崩壊を起こす。

1話では瞑想に凝っていると言っていたのに

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6話では瞑想なんてやるやつの気が知れないと宣う。

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シミュレータの外では"キャラクター"クランシー、シミュレータの中では"ダンカン"クランシーが展開されているのがその原因だ。

ちなみにゲストも度々「ダンカン」と言っており、ダンカンが「クランシー」と訂正する。中の人を隠す気はさらさらない。そう言うところ、めちゃくちゃ好き。

さて、ここで注目するのは"キャラクター"としてのクランシーだ。
アニメの尺の殆どはゲストとの対話なので、"キャラクタークランシーが全面に出ているのは毎回最初と最後の数分しかない。
しかし、このわずか数分にクランシーの"やべぇ"ところが詰まっている。

ざっと思い当たる行動を書き出してみよう。

・姉から金を借りてシミュレータを買った
・宇宙配信で稼ぐと言っているが登録リスナーは1人
・実質無職
・動画のアップロードが滞ると暴言
・新しくできたリスナーにいきなりシャツとか舐めたアイスとか送っちゃう狂った距離感
・姉からの連絡やビデオ店からの返却催促メールは問答無用で削除
・留守電のフリをする
・姉にド正論で諭されると発狂して電話をぶち切る
・シミュレータのメンテナンスを怠り壊す
・そもそもシミュレータの取扱とか見てないし聞いてないし知らないから
・シミュレータからの警告やお知らせもガン無視
・シミュレータがウイルスに感染して調子が悪くなったら電源ぶち抜き
・失敗したパイを隣人に押し付ける
・隣人家に盗みに入る
・シミュレータのモニタにガムを張り付ける
・44歳(おっとこれはダンカンの年齢だ

うーーーーーーーーーーん。
これが"推し"なのヤバくねぇか??
そりゃどこかの汚いドラえもんジジイよりは随分マシだが。。。いや、中途半端にリアリティがあってむしろタチがわるい気さえする。

クランシーの現状を纏めるとこうだ。

地球から離れた星にボロ屋を(恐らくほぼDIY)で建て、姉の金でシミュレータを買い、スペースキャスターを自称する無職

現代日本風にするとこんな感じかな

田舎の土地にボロ屋を借りて、親のすねかじりで配信環境一式を揃え、YouTuberを自称する無職

……キッツいなぁ~~。

しかしこのクランシーのキャラクター、みんなうっすら思い当たるフシがあるのではないか?

勉強や社会や結婚から逃げ
正論に耳を塞ぎ
見たくないメールは削除して
役所の手続き等面倒なことは後回し
都合の悪いことは見て見ぬふり
満員電車でソシャゲに没頭
生活リズムはVTuberの配信に合わせ
見たいものだけやりたいことだけ
家が汚くても
貯金なんてなくても

今がよければヨシ!

オエエエェ…
身に覚えがありすぎて胃がグルグルしてきた。

みんな少なからず、『管理された幸福』その片鱗は持っている。だってこれ、スマホかパソコンで見ているだろ?
ほら、ここはバーチャル世界の片隅。見つけてくれてありがとう。嬉しいよ。話を続けよう。

クランシーはその粗雑な行動からして見るに、恐らく社会から溢れた側だ。
何があったのかは知らないが、兎に角、ひとり辺境の地で友達もなく、家族からの連絡も自ら絶ち切るという生活を送る。

クランシーにあるのは一台のシミュレータのみ。

そんなクランシーに、スマホとパソコンに熱中する我々の姿を投影するのは難しくない。

そして、我々が自分の暮らしにそこそこ満足している様に、クランシーもその生活にそこそこ満足しているようだ。

世界の片隅、誰にも関心を持たれることのないボロ屋の一角。でも、シミュレータに頭を突っ込んでいれさえすれば幸せだった。
世界のどこにでも行けるし、誰とでも話せる。内臓を食いちぎられてもミンチになっても、別に平気さ、アバターだから。
ゲストの星が滅んでも、他の星は文字通り無限にある。
ちょっと他人の人生に片足突っ込んで、インタビューをして土産気分で靴をコレクション。
寂しさなんて感じるわけがない。
ここは優しい、僕の箱庭。

これが"キャラクター"クランシーの全てだった。


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転機

この箱庭が崩壊するのが、メンテナンス不足でシミュレータが壊れる6話だ。

この回はどちらかというと評判がイマイチな回だ。
ミッドナイトゴスペル全8話のうち、1~5話は起承、6が転で78が結である。

1~5話はダンカンのポッドキャストの中でもハイライトとなる部分が惜しみ無く放出され、"ダンカン"クランシーはとても冴えており、アニメーションもキレキレだ。
全てとても楽しく、考察のし甲斐もある。
わしも気が狂ったように何回も見ているよ。

それに比べると、6話は些かパッとしない。
8話のうち唯一、話の殆どがシミュレータの外で進行し、最後にちろっとシミュレータに入っておしまい。
ガンギマリで1~5話までを見てきた視聴者には少し物足りない回と言えるだろう。

しかし、この回は初めてシミュレータ内で"キャラクター"クランシーにスポットが当たった回なのだ。

今まではシミュレータの中では"ダンカン"クランシーが主導権を握ってきた。
しかし、6話はシミュレータが壊れて不機嫌で当たり散らしている"キャラクター"クランシーが維持されたままシミュレータに入る。

従って"ダンカン"クランシー程のキレがないし、少し瞑想していきなり「悟った!」と叫び出す。拍子抜けするほどチョロい。

1~5話までは、映像(キャラクタークランシー)と音声(ダンカン)は二重構造を保ってきた。
それが6話は"キャラクター"クランシーにスポットが当たり、"ダンカン"クランシーは殆ど出てこない。

この違和感が、"キャラクター"クランシーの変化の予兆なのだ。

クランシー・ギルロイの誕生

6話での違和感は維持されたまま7話に入る。
7話はまた"ダンカン"クランシーが主導権を握る構成になっているが、シミュレータから出てきた後にクランシーが口ずさむ歌にはハッとさせられる。

♪Even though your life is out of tune(人生の調子が狂っていても)
♪You can still sing along with it(それに合わせて歌えばいい)
♪And it's better to be you and out of tune(調子が悪くても自分でいる方が)
♪Than acting like someone else who has found enlightenment(悟った誰かになるよりいい)

これは1話開始時点での"キャラクター"クランシーには歌えなかったであろう歌だ。

"キャラクター"クランシーは"ダンカン"クランシーと旅をすることで、気がつかない内に世界を広げてきた。シミュレータにより開かれた物理的な世界ではなく、クランシーの内に広がる内面的な世界を。

映像と音声の解離
"キャラクター"クランシーと"ダンカン"クランシーの解離

7話までの二重構造は視聴者の脳を刺激する代わりに、少しずつ、しかし確実にフラストレーションを貯めてきていた。違和感の歯車は軋み、もうこれ以上回らないよと鈍い音をあげる。

そして満を持して8話が来る。
時は来た、存分にやりたまえと言わんばかりに。

8話は、今まではミッドナイトゴスペルの構造を全て破壊する。

映像と音声が初めて意味をもって完全に一致し、クランシーはダンカンに、ダンカンはクランシーに違和感なく統合される。

8話のテーマは母の死。

今までのフラストレーションはカタルシスに昇華され、クランシーというキャラクターが初めて実感を伴って登場する。

母にインタビューしていい?と問うクランシーは、後半にはどうしたらいいのかわからないと母の胸で泣く。

第三者としてゲストにマイクを向け続けてきたクランシーに、母からのマイクが向く。

その時初めて、視聴者にもマイクが向けられる。

クランシーを第三者の目線で見ていたリスナーが強制的に舞台に引きずり出される。

君はどうするの?と真っ直ぐに問われるのだ。

この有無を言わせない構成力。

だから!ミッドナイトゴスペルは!8話で1話なんだって!!

ちなみにこの8話の元ネタだけでも聞いてみてほしい。

ママに「You cry.」と言われた後、放送事故レベルの沈黙が数十秒続く。世界で一番優しい沈黙だと思った。沈黙の後、コメディの枠なのにと泣きながら笑うダンカン。
この瞬間、クランシーというキャラクターは『誕生』した。

"キャラクター"という皮を脱ぎ捨て、クランシー・ギルロイは、産まれた。

おめでとう。
僕は君を待っていた。

ミッドナイトゴスペルという福音

さて、長ったらしく限界オタクのクソデカ感情を聞いてくれてありがとう。
真面目に読んだ人がいるのかわからないが、とりあえずこの狂おしい感情を一部だけでも吐き出せて僕は満足している。

いや~~~、クランシー・ギルロイ……お前……罪深いなぁ~~~!
ほんとにさぁ??狂おしく愛しいな!?なんなんだお前はもう~~~!!好き!!

ミッドナイトゴスペルがこういう構造になっている以上、シーズン2を期待するのは少しハードルが高いのかもしれない。
クランシーは肉体を捨ててしまったしね。
まぁあったらあったで狂喜乱舞するんだが。

アニー賞にもエントリーされたみたいだし、円盤が発売されることを祈っている。
設定資料集も頼むよ。切実な問題なんだよ。

幸か不幸か、ポッドキャストには400回を越えるダンカンのインタビューがある。
ミッドナイトゴスペルの世界はこの世界と地続きになっているようだ。憎らしいな。

それを理解するために、わしは今日もぼちぼちと英語学習をする。

エネルギーは言葉に乗って伝わる。
クランシーの言葉を、僕は理解したい。

いつかどこかの多元宇宙で、君に会えたら嬉しい。



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