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私がよさこいを好きな理由



 こんばんは。毎年8月12日のこの時間はひろめで騒ぎまくってるお時間ですね。何かしてないと踊り出しそうなので久々のnote更新します。

 今回はタイトル通り、"私がよさこいを好きな理由"をつらつらと書いていこうと思います。ほんとにほんとに今、高知の気温と太陽と熱気が恋しくてたまらなくて、このままじっと座ってられなくこれを描き始めました。私と同じく高知を恋しく思う方々は、是非最後まで目を通してってください。


1.ときめき

 生まれた時から自分の「ときめき」だけを信じて生きてきました(盛りすぎた)。でも私がよさこいをはじめたきっかけも、偶然目にしたポスターにときめきを感じたからに他ならないのです。

 少女漫画でイケメンがぐっとくるセリフを言った時、素敵な音の力が胸をぐっと掴んだ時。その時に心臓のあたりがきゅ〜ってなる感じ。これがわたしのときめき。

 そしてよさこいに出会って、鳴子の揃った音、綺麗な衣装を着た時、大きな音で自分のチームの曲流れる嬉しさを感じた時。同じように心臓がきゅ〜ってなるのを感じた。そしてこの胸の痛さがときめきだということを思い出した。

 ここ3日間ほど、Twitterに流れてくる写真を見る度、その写真に満点の笑顔が写っている時、同じように胸がきゅ〜ってなるのを感じた。久々の感覚に思わず顔が綻んだ。そしてこの痛みにひどく翻弄されていたんだなと、今日沢山の写真に気付かされた。

 ずっと忘れていた、このなんとも言えないきゅ〜の感覚が好きだということを思い出した。


2.自由

 よさこいに出会う少し前。中学生の頃の私は吹奏楽に命かけてた。音楽が好きだったし、みんなと合わせる感覚がたまらなかった。

 だけど1つの曲に対して、私はこう解釈したからこんな風に吹きたい!と考えても、「また言ってるw」みたいな空気が感じられて、私の考えを真剣に聞いて、考えてくれるようなことはなかった。みんなは、自由や音楽の楽しさではなく強さを求めてたように感じた。それでも吹奏楽は楽しかった。

 だけどよさこいの練習中、私の意見に耳を傾けてくれる人がいて、私はこう思う!って伝えられて、だけどそれは違う!とか、もっと素敵なのが!ってできたことがすごくうれしかった。私がやりたかった自由な楽しさとばっちり噛み合わさった気がした。


 よさこいも音楽と同じで自由なものだと感じている。強さばかり求めて自由ということに目が向かなくなることほど、面白くないことはない。前に進む自由な踊り。私はこの高め合う自由な強さの、自由な踊りの虜になった。


3.やさしさ

 イベントが終わる度本当に本当に色んな人のやさしさを感じる。待っててくれる人や、待っててくれる場所があるだけで、こんなにも日々の原動力になるなんて思ってなかった。そして、また来年!がこんなに力を持っていることに心底驚いている。


 どんなとこに行ってもあたたかく迎えてくれる人がいて、応援してくれる人がいて、声をかけてくれる人がいる。困ってる顔を見逃さない人がいて、私たちを1番に思ってくれる人達がいる。

 そんな人達は、ここ最近ずっと「コロナの影響で…」という寂しい顔をして話しているばかりだった。いつになるかはまだ全然わからないけど、私はそんな人達がもう一度祭りの時にみた、あの笑顔になる瞬間がまた見たい。またみんなで集まって、顔を合わせて、笑って、叫んで、泣いちゃうようなそんな日を私は本当に心待ちにしている。

4.おわりに

 つらい時もイベントに行けば不思議と元気になったし、仲間の顔を思い出せばあと一歩、と頑張れた。いつのまにか私の生活の中心によさこいがいて、そのことに私が1番驚いている。色んなことに手を出してすぐ冷めちゃうような私が、こんなに胸がきゅ〜ってなるなんて思わなかったし、こんな自由でやさしさに満ちたものに出会えるなんて思わなかった。

 踊っている仲間の顔や、高知で見た憧れの踊り子さんのキラキラ感。爆音で流れる音楽、あの景色を想い、あと少し。あと少しを踏ん張ってみようと思う。

 

 

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