宇宙戦艦ヤマトとアニメブームの周辺(その3)

 その日。

 ジュリーがアニメソング界にやってきた。

 少なくとも、わたしにとっては晴天の霹靂だった。

 1978年、初夏。

 劇場用アニメ『さらば宇宙戦艦ヤマト ―愛の戦士たち―』の主題歌を沢田研二が歌うというのである。

 「なんで?」

 そう思わなかった〈ヤマトファン〉はいなかっただろうとおもう。

 少なくとも、わたしとわたしの周りのヤマトファン(主にわたしより年長)はそうだった。

 沢田研二といえば、当時、歌謡界の大スターだった。

 その歌手が、なんでわざわざアニメの主題歌を歌わなければならんのか。

 というか、なんで、そんな人気歌手を連れてこなければならないのか。

 (どこか陽性な宮川先生の楽曲では西崎氏が満足できなかったというのが音楽方面での噂である。後の「サーシャ・わが愛」の島倉千代子と事情が異なる)

 断っておくが、これは沢田研二がいいとか悪いとか、好きだとか嫌いだとかという問題はない。

 ダンディズム路線真っ只中の沢田研二が歌うことで、ダンディズムに酔った沢田のファンがわたしたちのヤマトに闖入してくることが嫌だとは思っていたが、それ以上でもそれ以下でもなかった。

 当時、中学生のわたしは、この事実に大いに不満であったし、その理由をプロデューサーの西崎氏に問いただしたい気分であった。 といっても、一介の中学生にそんなことが出来るわけがない。

 年長のファンの方たちですら、手紙を書くくらいが関の山だったようだ。

 それどころか、なんだかんだいって、結局はジュリーのシングルレコードを生まれて初めて買ってしまう(後に友人の姉に高値で売り渡す。「Love・抱きしめたい」が一か月後にリリースされたため、映画公開後は入手難だったようである。)のだから、えらそうにいう資格はない。

 

 アニメファンの中には「アニメソングでなければ聴いていなかった歌や歌手・好きにならなかった歌や歌手」というのがあるはずなのだ。

 わたしが沢田研二の「ヤマトより愛をこめて」のレコードを買ったのも、まさにそれが『さらヤマ』の主題歌だったからである。

 この歌、タイトルにこそ「ヤマト」ということばが入っているが、中の歌詞にはひとことも出てこない。

 タイトルが違っていても、あるいは、成立する歌なのである。

 今になって、このときの憤りと困惑の理由を考えてみると、なんでジュリーの歌にあれほど抵抗があったのか、自分でもよくわからない。