『さがしに行かないか』超合体魔術ロボ・ギンガイザー:エンディング
どんなに出来の悪いアニメでも
どこか一つくらいいところがあるもので
心に残るところがある。
まさしくこの歌がそう。
『超合体魔術ロボ・ギンガイザー』は1977年。
『マジンガーZ』にはじまる巨大ロボットアニメブームの中
ついにあの児童文学原作の名作路線中心の日本アニメーションが
独自企画の商品パブリシティ色が強いアニメを作る葦プロダクション(現:プロダクションリード)と組んで、ロボットアニメに手を出したのだが、当時のこどもにすら相手にされなかった作品である。
ありていに言えば、ズッコケた。
しかも、葦プロが独自企画でズッコケたのは『ブロッカー軍団Ⅳマシンブラスター』に続き二回目だ。
このあと、葦プロがロボットアニメで一発当てるには『宇宙戦士バルディオス』(1980年)と『戦国魔人ゴーショーグン』(1981年)まで、しばらく待たなければならない。
余談だが、『宇宙戦士バルディオス』の主題歌『あしたに生きろバルディオス』(作詞:保富康午、作曲・編曲:羽田健太郎、歌:伊勢功一)は、詞、曲、歌が一体となった名曲。
『戦国魔人ゴーショーグン』のエンディング『21Century~銀河を越えて~』(歌:藤井健、作詞:荒木とよひさ、作曲:あかのたちお)も
アレンジャーのあかのたちおが作曲を手がけた名曲なのでどちらも別稿をもうけることにする。
ことおもちゃの販売においては、題名にもなっている主人公ロボット「ギンガイザー」を完成させるのに必要なパーツ
(単体でもロボットの姿をしている)の一部は発売されずにおわったようであり、
完全に商品パブリシティも失敗したのだろうことは想像に難くない。
「ギンガイザー」と「マシン・ブラスター」の二作は、忘れようとしても忘れられない、迷作中の迷作といってもいいだろう。
なにしろ「超合体魔術ロボ」である。
「超能力」や「魔法」で動くロボットは数あれど、「魔術」あっさり言ってしまえば「手品」で動くロボットは、この作品以外に聞いたことがない。
必殺技からして「超常スマッシュ」である。
主人公は移動遊園地マジックランドのマジシャンで超地味な丸刈りの青年(声は井上和彦)。
彼等は移動遊園地で全国(ひょっとしたら世界各国?)を巡業しながらアンタレス大魔玉という、地球征服が可能なほど、すごい力をもっているらしいことは語られるが実態はわからないままの物体を探して旅をしている。
敵も、太古の地球にやってきて、天変地異に巻き込まれて一族もろとも生き埋めになったサゾリオン帝国と名乗っているが、帝国の割に少人数の集団。
皇帝は美系悪役の元祖(でもないんだが、いちおうそういうことになっている)『勇者ライディーン』のプリンス・シャーキンにそっくりなのもおどろくが
ナンバー2とおぼしき「トーカイリンリンソクチョウ」というへんな祈りでロボットとも怪獣ともつかない蘇生獣というメカ
(機械獣から連綿と続く敵メカの総称の定番命名)を作り出す祈祷師も『勇者ライディーン』の祭祀長ベロスタンそっくり。
とまあ、このようにやる気があるのかないのかはっきりしないおはなしである。
では、こんな作品のエンディング・テーマのどこが名曲なのかというと
さりげなさというか、押し付けがましくないところというか
あるときにふっと口ずさみたくなるような感じ、とでもいうのだろうか。
別に「消えた大魔玉」や「ギンガイザー」を探しに行きたいわけじゃないけれど、
仕事や日常の雑事に追われて、いつのまにかなくしてしまった「なにか」を探しに、旅に出たくなることって、ありませんか?
と、語り掛けてくれているような歌詞は、保富康午の手練の技が冴える。
たしかにそれは強烈なメッセージではないけれど、主旋律を補うギターの哀切な音とあいまって、
心にぽっかりと口を開けている空虚な部分に、ふわりと寄り添う感じがするのは、
テレビ劇伴の名手、横山菁児がオープニングの圧倒的なシンフォニックサウンドから一転、
あえてシンフォニックな持ち味を廃して挑んだ故だろう。
ささきいさおの穏やかで芳醇な歌声も余人をもって代えがたい。
本来は子どもが対象の歌なのだけど、そういった読み替えはじゅうぶんに可能で
日常に疲れていればいるほど心に響く度合いが急上昇する歌なのである。
あ、最後に。
カラオケで歌うなら、Joysoundオンリーです。
オリジナルのフルコーラスを聞くにはCDを探してください。
Youtubeの「歌ってみた」はメロディを間違って歌っている方が多いです。
ご注意を。
『さがしに行かないか』超合体魔術ロボ・ギンガイザー
作詞:保富康午
作曲/編曲:横山菁児
歌:ささきいさお&東京荒川少年少女合唱隊