お金のこと / 母のおしえ
商家の生まれ、育ちではない母のこと
私の実家は零細企業の一族、でしたが、私の母はそんな下世話な商いとは距離のある家から、嫁いだ人、でした。
時折、思い出すのは、生まれついての商人の家に育った私や兄のことを、母が「あなたたちは、凄いわね」と褒めてくれていたのは、私や兄がお客様に自然に「いらっしゃませ」と笑顔で言えていたこと、程度のことでした。確かに、母はお客様にまともに、それが言えなくて、辛かったかもしれません。
でも、そんな母が私たちに、おしえ続けていた「お金のこと」は私や兄が、道を踏み外すことを防いでくれていたのだと、この歳になって思います。
「お金の貸し借りをしてはいけない。」
「特に、友達とは、ダメよ。」と。すごく簡単だけど、とても分かりやすくて、でも、難しかったです。
助けたい、そう思って「友人にこれこれの金額を貸したい」と言った私に、母は静かに
「貸し借りは友人を失うわよ。どうしても助けたいなら、返してもらわなくて良いだけの金額を、その友人にあげなさい。」
いまの自分にこれだけしかできないから、と。
今になって思い出しますが、いまはそれなりに活躍する友人に、母からこんなにずっと言われていたのに、学生になりたての頃、仲の良い友人に貸してしまった1万円の話しについての母は、この言葉と違っていました。
「彼を大切に思うなら、返してもらいなさい。」
いつものおしえの後段を適用して、もう彼にあげてもいいかな、と思い始めていた私に、そう何度も何度も、私に言い続けた。
この二つの言葉は、ある意味では相反する言葉なのですが、よく考えると、母の頭の中には、きっと、先ずは学生の身で扶養家族、アルバイト程度しか収入も少なく、家に生活費を入れているわけでもない分際で、友人にお金を貸すなんて百年早い、と思っていたのかもしれません。しかも、当時の自分達にとっての1万円は、小さな金額ではありませんでしたから、それを返さずに大人になったら、彼と私がまともに付き合っていけなくなる、と。
数ヶ月後、彼からお礼とお詫びの手紙と共に、1万円が、戻ってきました。実を言えば、結婚して何度目かの引っ越し荷物の中から、この時のレポート用紙に書かれた手紙を見つけるまで、この出来事のことは忘れていました。「返してよ、お金。」と、何度か言った時の、ジャリっと音がするような気まずくてイヤな気持ちも、すっかり。
そうかぁ、母はこの出来事を忘れられるようにしてくれていたんだ、と。
彼とは、たまにしか会えませんが、いまも何のわだかまりもなく、会えています。
きっと彼も、この事は忘れているのでしょうね、母が願った通りにw
(母のおしえ、もう少しあります、次にまた。)
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