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澪つくし番台に立つあの顔のやっとあなたに追いつきました

ある映画の感想文

2019年11月15日
主人公を、社会に適応できない人間として見ていた。前半の彼女を自分に投影し、お前は「喋らないことで自分を守っている」この子だと突きつけられているようでとてもとても苦しかった。すごく狭い捉え方をしていたと思う。私を典型的な現代の若者であると仮定すると、現代の若者にとっては、彼女という社会に適応することが難しい人間ですら、向こう側の人間なのだ。
銀次が恋した人が彼女なら、彼女に対してあまりに意地悪な描き方だと思ってしまった。(今考えれば全然そんなことないのに…)
私のトラウマ映画第2位に君臨。

2022年9月17日
主人公を自分に投影していた。最後のカットまで。彼女が自分の居場所を見つけていったように、私もいま、自分の居場所がいくつかできている。そしてそのコミュニティの人たちとこの映画を見ている。銀次が撮った映画を銭湯で上映したのと同じように、私も今この場所で映画を上映していることに感動を覚えていた。私は、最後のカットまで来るのに3年かかった。やっとこの映画をちゃんと心穏やかに鑑賞することができた。

2022年10月28日
変わってゆくものと、変わらないものの対比として映される街、人、自然、光、そして言葉。彼が映像を撮る理由に「俺は風を切り取りたいの」と答えるシーン。主人公にいいところを見せようとして、映画館の裏方の通路に誘うシーン。商店街で働く人たちの飾らない姿、お母さん、おじいちゃん。ドローンで撮影された、湖の浮桟橋を力強く歩く主人公。どう終わるかってだいじ、しゃんとしましょう、という台詞。主人公の成長物語ではないことを表現している最後のカット。全てが愛しかった。愛しい、という感情が生まれていた。


この映画が公開されてから3年経った。3年前に見た風が、私を導いたのかもしれない。そんなことが、本当に、あるのだろうか。

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