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もう少し深めてみよう

好きも嫌いも分かるほど
私はまだ何も知らない

それを語るほど
私は何も知っていない

今朝、そんな風に湧いてきて
ノート(紙)にメモしました



人、物、仕事、何でも
好きか嫌いか分かるまでには、時間がかかる

そんじょそこらの関わりで
何かや誰かを 好きだの嫌いだの語れない 

だって 
知らないもの

世の中の大半は
好きでも嫌いでもなく どちらでもないもの

私の世界を彩っている 風景と同じ
ただそこに存在している

それを許している
それが 仲良くというもの

そんなことを 好きな人が言っていた


世の中のあらゆるものに対して

知らないものに対して

好きだの嫌いだの 良いだの悪いだの
合っている 間違っているだの語るのは

変なのことだったのか
そう思うと 大半から自由になる

そうして考えてみると、

私が、好きか嫌いか判断可能なのものは
母業(子育て)、主婦業だけかも知れないな 笑

他のどの仕事においても ここまでの熱量ではやっていない

これだけは、膨大な時間を使い
手間暇をかけ 一生懸命にしてきた
やるしかなかったからやれた とも言えるけど

時間をかけるから 好きになる
最初から好きなんて そんなにない

子供も自分の時間を使い 共に過ごすから
愛着が湧くわけで 最初からそこまで好きだっかというと
多分違うなぁ もちろん可愛かったけど

生まれた時に感じたものより 今のが比べ物にならないもの

そこに対して 誇りを持てているのは
結果とかでそうなったわけではなくて
続けた、積み重ねたという事実がそうさせている

時間を使うって
愛以外の何ものでもないね

自信を持って 子供達を
大好きと言える今が 幸せだなと思う

それは喜怒哀楽全てを 一緒に感じて体験したからこそ
嘘がなくて 人間らしくて好き

合う合わない、好き嫌いを
自信を持って言えるって なんかいいね

言ってもいいくらい 関わったってことだから
堂々と嫌いでも 好きでも 判断していい


だから 世の大半の人や物や出来事に対して
どちらでもない、でいいのね

そう思ったら 判断がいらなくて
いいなと思った

どっちでもない

判断するところまでいっていないのだから
嫌う必要もなかったんだね

また、癒えた瞬間



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