見出し画像

浪人決定前後の思ひ出

雲一つ無い青空。真に澄みきった透明のガラスの様な空。その空の下には、地方都市特有の、何とも微妙な程の賑わいが広がっている。とはいえ、その賑わいも街から外れていけば、畑と田圃が広がった田舎的状態があるのみではあるが、この水戸の駅前の喧騒、特に北側などは、今にも消えてしまいそうな、風下に灯るロウソクの火の如きものである。簡単に云えばショボいのだ。人や車の数などは絶妙なもので、この関東のはずれに位置する街は、魅力の無い街とはいうものの、住み易さはなかなかのものであると個人的には思うところである。
階段を上りきり、そんな街並みを眼下に写すと、大川澂雄は通路の奥の扉の前に立った。インターホンを鳴らすと、出てきたのは松井浩二である。
「澂雄か。入れよ。」
背中のギターケースを下ろし、澂雄はソファに座った。松井はお茶を入れてきた。
「市毛はもう来てるぞ。」
「そうか。早いね。」
「おう、澂雄。ギター持ってきたか。」
「市毛、君がこの間言っていたあのグループ、なんだっけ。」
「えっと、あれはーー」
市毛大吾は松井の家がこの日初めてであったらしい。市毛は窓から街を見下ろした。
「それにしても、このマンションはすごい。綺麗だし広い。」
「松井家は金持ちだし。さすが、父親が歯医者であることはある。」
「いやいや、お前らが言う程金持ちというわけではないぞ。」
そんなたわいもない会話を経て、澂雄と市毛はギターを鳴らし始めた。

夕方になり、日も落ちてくる頃、松井は一本のたばこを持ってきた。彼らはまだ18歳であった。そして、松井は言った。
「先輩にもらったたばこだ。吸ってみようぜ。」
臆病者の市毛はいらんと言った。澂雄は松井のあとについて外に出た。
「わしらは本当に大馬鹿者だ。」
「ははは、じゃあ止めるか。」
「いや、吸おう。」
澂雄は火をつけた。彼らにとって初めてのたばこであった。
「げほげほ。喉痛え。これがたばこというものか。」
「こんなもん、吸えたもんじゃない。」
半分も吸わないうちに、2人はたばこを外へ捨てて部屋に戻った。

部屋に戻り、3人は再びギターを鳴らし始めた。市毛は言った。
「なにか曲を作ろう。俺たちの曲。」
「では、こんなのはどうだろうか。」
澂雄はでたらめにギターを弾き始めた。そして歌い始めた。
「たばこがきれたー。やな気分ー♫」
澂雄は高校時代バンドのリーダーであった。作曲もできたし、高校の文化祭で演奏したりした。CDを作って、友人たちに一枚百円で売ったりもした。しかし、彼の作る曲は明らかにおかしいものであった。そのため、彼は自分の曲にちなみファニーボーイと呼ばれていた。友人たちは面白がっていたが、本気で素晴らしいとは思っていなかったと思う。それでも彼は自分の曲に密かな誇りを持っていた。

夕方の7時になった。澂雄と市毛は帰ることになった。そして、翌日は大学入試の結果発表の日であった。澂雄は某国立大学の工学部、市毛は別の某国立大学の工学部を受けていた。歯学部志望の松井は、センター試験で大失敗したため、どうせ受からんと言ってどこも受験していなかった。そのことで松井は担任の教師と大喧嘩したらしいが、澂雄にはよくわからない。
「明日は結果発表だな。」
「どきどきするぜ。」
「もし受かってたら、また遊ぼうぜ。」
「おう!じゃあなーー」
澂雄は自信がなかった。良く出来たというわけではなかったが、特に悪くも思われなかった。なんの手ごたえも感じなかった。本当にわからなかったのだ。だから、澂雄はきっと受かっているだろうと自分を落ち着かせることにした。結果が出るまでは何をしても仕方がないのである。

翌日の昼、午後2時に結果は発表された。結果はインターネットで見ることができた。澂雄と母は澂雄の受験番号が無いことを知って絶望した。全ての努力は無駄となったのである!
父は、大学は国公立しか許さんと日頃から言っていた。私立は授業料が高く、貧乏な大川家に支払いは不可能であった。澂雄は父がただ単に吝嗇であるのだとしか思っていなかったが、そのために澂雄には私立大学を受験する機会がなかった。つまり、澂雄はどこも合格しないまま受験を終えたのである。
そんな時に、LINEがきた。市毛であった。結果はどうだったかという内容である。不合格と返信しておいた。市毛はこの日の午前中に合格を知らせてきていた。
すると、再び携帯電話が鳴った。市毛が澂雄の不合格を知った上で、何の配慮もなく電話をかけてきたのだ!
「澂雄、残念だったな。今ここに何某、何某、何某(全員澂雄がよく知るクラスメイト)がいるんだ。」
「澂雄、元気出せよ。」
「澂雄、残念だったな。」
「しょうがない。落ち込むな。」
「うん。」
「澂雄、辛いだろうが元気出せ。また近いうちに遊ぼうな。じゃあな。」
市毛は電話を切った。澂雄は、市毛が澂雄を励ましたいという気持ちを理解した。しかし、彼は本当に未熟な人間だった。何も知らないのだ。彼は心優しい親切な人間なのだが、大馬鹿野郎なのである。澂雄は市毛を恨めしく思った。二度と会いたくないと思った。

数日後、澂雄は二週間前に卒業したばかりの高校へ行った。澂雄がかつて所属したバレーボール部の集まりがあったからだ。卒業する学年と、残る学年の最後の交流の場が作られたのだ。そこで、澂雄はかつてのチームメイトと再会した。
しかし、澂雄はこの会に参加することに積極的ではなかった。
一つ目の理由は、澂雄がバレーを嫌っていることだった。友人らに誘われて入部したものの、ほとんど上達しなかったため、最後まで補欠だった。真面目に練習するのもアホらしく、部活に出るのも億劫になった。澂雄はバレーをつまらんものだと思っていた。だから上達しなかったのだろうが。
二つ目の理由は、大学の不合格である。絶望の渦の中にいた澂雄は、チームメートたちと顔を合わせる気分になれなかった。
しかし、澂雄は参加した。キャプテンだった石井にしつこく誘われたためである。これが最後だということもあったと思う。澂雄はバレーは嫌いでも、チームメイトたちを嫌ってはいなかった。澂雄は、面倒が起こらないことを願いつつチームメイトたちに笑いかけた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?