トルストイ「3びきのくま」を読んで。

夏休みを挟んで読み聞かせボランティアは少しお休みで、こちらの更新もお休みになっていました。
夏休みのある日、実家を訪れたときに母の部屋の片隅の本棚に、私が小さい頃好きだった絵本が少し残って並んでいました。その中にあったのがこの本。

ロシアの文豪、トルストイの書いた「3びきのくま」です。

懐かしさで手に取りました。小さい頃この本が大好きだったからです。

ものがたりの筋としての記憶は「くまのいえに女の子が迷い込んでスープを飲んだりしちゃう」という、その程度だったのですが、鮮明に覚えているのは木のテーブルの上に並んでいる3つのスープボウルや寝室に3台並ぶベッド。

和食と畳に布団、で育った私。

スープ(だけ!)の食事や木製のベッド、そこにしつらえられたカラフルなカバーや部屋の調度品、そして寒い地方を思わせる針葉樹の森の様子…そこに描かれている、別世界のような雰囲気に魅了されていたのだろうと思います。

ページをめくりながら改めてその重厚感のある絵、一枚ずつ額に入れて飾りたくなるような、深みある色使いと印象的なクマや部屋の様子に見入っていたら、3歳の末っ子がやってきました。

興味しんしんで眺めていたので「読む?」と聞くとひざに座った末っ子。

読み聞かせながら、最後のページに行き着いたとき、「あれ?」って思ったのです。

それはこのものがたりの結末が意外なものだったから。

※以下、あらすじになります。

森に迷い込んだ女の子はくまの家を見つけて入り込みます。椅子を壊し、スープを飲み干し、ベッドにもぐりこんで眠ってしまった女の子。

散歩から帰ってきたくまの親子が荒らされた部屋に驚き、寝室で眠る女の子を見つけます。

大きな声で怒るお父さんクマ。飛び起きる女の子。噛み付こうとするお父さんクマから一目散に逃げる女の子。

で、終りです。

え?これで終り???と正直驚きました。

きょとんとする私に、末っ子が言いました。

「おもしろかった!もういっかい!」

せがまれるまま、4回ほど読んだでしょうか。何度読んでも私には、この絵本の結末にモヤモヤしたものを感じました。ここから子どもたちは何を得るんだろう…と。

メッセージが読み取れなくて困惑する私と、面白いと何度も読みたがる息子。

そして、この本が大好きだった小さい頃の私。


この違和感のもとはなんなのか、しばらく考えました。


絵本ってなんだろう、と言うことなのだと気づいたのはしばらくしてからでした。

大人になってしまった私は、絵本を選ぶときについそこに描かれているストーリーの中から子どもたちが何を得るか、大人として何を伝えたいか、というメッセージ性に重点を置いていたような気がします。

教えたいこと、伝えたいこと、考えるきっかけにしてほしいこと、そんな、そこから得る何かを子どもたちに提示するための手段、という側面を大きくとらえていたような気がします。


かたや子どもたちは。そして小さい頃の私は。

絵本から何かを得よう、と言う気持ちなんかさらさらなかったんですよね。

絵、手触り、そこに描かれた世界、言葉の持つリズム、並んだ文字、本そのものの大きさや重さ…その子によりそのときにより、色んなところに興味を持って楽しんでいるだけなのだろうなと。


もちろん大人として、読み聞かせの時間の目標みたいなものをどこに設定するかを考えて選書し、そこに向けてプレゼンするという、そういう取り組み方も否定はしません。それはそれで一つの方向だと思う。

今回の出来事では子どもが興味を持つってどういうことなのかを考えるきっかけになりました。今後読み聞かせの本を選ぶときの参考にしたいなと思います。

余談ですが、色々検索していたら「三匹のくま」研究というサイトがあり、そこで

「調べてみると、トルストイは、ロシアの農民の子どもたちの生活がとても荒れていて、言葉遣いも悪いし、何とかこの子たちに教育をしたいという気持ちでいろいろな本を書き、この本もその中の一つだということである。トルストイの書いたこの本は、作者の意図がよく表れている。また、こわい顔で描かれている女の子の場合も、「悪い事をしてはいけない」というメッセージが強く伝わってくる。」

と書かれていました。

なるほど、そういうメッセージがあったということを踏まえて読むとまた違った見方になるのかもしれません。




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