読書感想文:『一九二八・三・一五』を読んで

九十九さんへ

プロデューサーとしての、真正面からのプロデュースが難しくなった今、
何かしてあげられることはないか、どうにか喜んでもらえるものはないかと考えていました。

ふと、
「読んだ本の感想を伝えたら、喜んでくれるだろうか」
と思いついたので、最近読んだ本の感想を書いてみることにします。


プロデューサーの感想が聞きたい、いつかプロデューサーの本棚を見てみたい、プロデューサー読んでいる本を紹介してほしい。
そして、いつも本を貸して感想を話したいと言っていたように思うので、
新鮮な感想を書いたら喜んでもらえるでしょうか。

有名な作品なので既に読んでいて、どのページで何が起きていたか、
完璧に覚えているような気もしますが……
ここから下はネタバレ満載なので、未読でしたら先に読まれることをオススメしつつ、感想を書いていきます。
(念のため青空文庫のリンクも貼っておきます)


読書感想文本体が不要な場合は、
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ごじゅんび?

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以下、『一九二八・三・一五』(小林多喜二)のネタバレがあります。

※ほんのり文劇/文アルの話をします。(これは知らなくて大丈夫な話題です)
※一箇所『86-エイティシックス』の話が出ます。(ほんのりネタバレあり、これも知らなくていい話題です)
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『一九二八・三・一五』を読んで

すみ(@sumi_HJ)

こんなことから書かなければいけないのも、やるせ無い気持ちになりますが、
私個人の信条として、”赤” ”箸を持たない方の手” ”カマとツチ” に傾倒するものではないと先に書いておきます。

では、なぜ読んだのか?
ちょうど見に行った舞台が小林多喜二(と志賀直哉)を主題にしていたので、
彼の人となりを知るべくまずは著作を読んでみよう、
そしてその著作の中でも志賀直哉が称賛したという『一九二八・三・一五』『蟹工船』を時系列順に読もう、ということで選んでみました。

こんな風な、ランダムで、良い意味の適当さで小説を手に取るのが、私は結構好きです。


本の中では、小樽に生きるいろいろな人が描かれます。

プロレタリア文学、小林多喜二、治安維持法、検閲、拷問、死、
恐ろしく燃え上がるような闘争をイメージして読み始めたので、
ずいぶんと穏やかな日常が描かれて驚きました。

そして、その穏やかな日々の中に当たり前のように”組合”、”運動”、”革命”が同居して描かれます。
なんだか不思議で、まるで遠い物語のようでした。
そして、本文中では静かに1928年3月15日の大検挙の夜が更けていきます。

意外だったのが、
どんなに勇ましく大義を叫び戦う人も、
自分が逮捕されたあとの家に残した嫁・子供・母を思って、
悲しみ不安に駆られていたところです。
ですが、大事な人との貧しいけれど穏やかな日々、一家の大黒柱である自分が逮捕され去っていく冷たい吹雪の景色の描写から、
夏の蒸し暑さの中でも凍えるくらい、苦しいくらい気持ちが伝わってきました。

100年くらい前の全く知らない人についての、
初めて読む作者の文章で、何か真に迫るような気持ちが伝わってくるこの感覚が面白いなといつも思います。


シーンとして心に残っているのは、
夫が逮捕されてしまった妻が、賑やかな通りの幸せそうな温かい日常を見るところです。

『明るい店のショウ・ウィンドウに、新婚らしい二人連れが顔を近く寄せて、何か話していた。━━暖かそうなコートや角巻の女、厚い駱駝のオーヴァに身体をフカフカと包んだ男、……』
(小林多喜二、『蟹工船 一九二八・三・一五』、岩波書店、1951年、p.171)

直前に彼女が寄っていた、同じく夫が逮捕された家では
電気代が払えず電気が来ていないどころか、夜明かりを得るためのランプも蝋燭も買う余裕はありません。
ここの対比が美しくておぞましくて、心に強く残っています。
短いシーンながらこれを見た彼女の気持ちがありありと想像できて……
もし一字一句覚えているようでしたら、その前の貧しい家のシーンと合わせて思い返してもらえると
この私の感動が伝わるでしょうか。

全然関係ないのですが、
雪の冷たい空気と温かいショーケースの景色で、
『86-エイティシックス-』を思い出しました。
ずっと戦場で過ごした子供たちが初めて過ごす、共和国の平和なクリスマスマーケットのシーンがふと浮かんで、全然違うのに不思議と私の中でリンクしていました。
本を読んでいるときの、遠い記憶で見た景色がふっと頭に浮かぶ体験も面白くていいですよね。


『正面の板壁に下げてある横に長い鏡』、『ストーヴの温かさで、かゆくなった前股』、 『ダブった写真のように、夢と現実の境をつけるのに、彼はしばらく眼をみはった』
こう言ったリアリティを伴った描写も心に残っています。
想像できないところにある全く知らない景色と温度と肌触りなのに、ありありと想像できて怖かったです。
拷問のシーンも(これでも検閲のために書いていないシーンもあるだろうに)恐ろしくて、
妙にリアルな監獄の生活と恐ろしい拷問が交互に描写されるのが
さらに拷問の恐ろしさを底上げしているように思います。
小説としての技巧の素晴らしさと、それを武器として振るうことが同居している凄まじさを感じました。


『スワッ!!それは文字通り「スワッ!!」だった』

小説の最後の方に出てくる、長い監獄生活の中「音」に楽しみを見いだした人々の感動を表したこの変な擬音にも、格別なリアルを感じられました。

人生において、まだ『スワッ!!』なんて、なったことないのに
その感動が伝わってきて、怖いくらい感動しました。

(Altessimoの2人ならもっとその擬音の臨場感がわかったりするのでしょうか。
あるいは、もっと別な擬音でその感動を表してくれたりするでしょうか。)


本の解説によると、『一九二八・三・一五』という題はもともとは『一九二八年三月一五日』だったそうです。
奇しくも3月15日というと、私たちの記念日でもあるけれど、
ずっと昔にはこんなに冷たく恐ろしい日々があったのだと思うと、
恐ろしくさと不思議な気持ちを感じました。


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最後に

感想は以上です。
腰を据えて本を読むのはなかなか難しいし、感想を言葉にするのはもっと難しかったけれど、
少しでも喜んでもらえたら頑張った甲斐があります。

今度は最近読んで面白かった本などオススメしてもらって
ぜひとも感想を語り合いたいところですが、
具体的に本の名前を上げてオススメするのは難しいところと承知しております。

長らく積んでいる本、あるいは図書館や本屋さんで偶然手に取った本を読んでいこうと思います。
また読んだら感想を書こうと思うので、
読んでいただけると次の本を読む原動力になります。

それではまた明日、事務所で。