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介護 家族と他人

家族だから見えるもの 他人だから見えるもの

友人は亡くなったご主人の姑さんと娘さんと3人暮らし
姑さんは元教師 最近痴呆症が入ってきた
友人も脳梗塞を起こし左半身にマヒがある
元々気の合う嫁姑ではなかったが
それでも一緒に暮らしている

おばあちゃんの痴ほうが進んでるみたい

歯を磨かない、髪の毛を洗わない・体をこすらない
らしい 徐々に痴ほうが進んでいるようだと
しかし友人がそのことを姑に聞くと
元教師ということもあり、プライドも高い
最後は「あなたに見張られないといけないの?」と
怒り出す始末らしい


友人も長年一緒に住んでいるせいもあって
サバサバとした性格もあるが言葉がキツイ
多分尋ね方も気を使っているがうまく伝わらない様子

私は他人だから「もう少し…言い方が」と感じるが
ふと思い出した

私は父が大嫌いだった

人の事を言えた義理じゃなかった
私は父が大嫌いだったから
働きもせず、威張り散らし、見栄張り、夢見がち
病気になったのは母のせいだと言っていた
典型的なかまってちゃんで外面がいい
一日中ベッドでゴロゴロ タバコぷかぷか
本当に嫌いだった
「俺は死ぬ」「身の処し方を知っている」「自殺する」

死にたければ死ねばいい

ずっとそう思っていて優しくなんてできなかった
多分外面の良い父の姿しか知らない他人からみたら
「もう少し言い方があるんじゃ…
お父さんのさみしい気持ちもわかってあげれば」
そう思うだろう「冷たい娘」だったから
確かに父もすべて悪い人ではなかったはずだ
でも嫌いだったから口もきかなかったし
私は父の前ではいつも不機嫌だった
家族ってそんなものなのかもしれない
亡くなる前は わがまますぎて病院において置きたくないと
母が自宅で看ると言い出して
威張る父がだんだん子供にかえったようになり
最後はほのぼのとした看取りとなった
残念ながら生きてる間にもっと知ってあげたらよかったとか
優しくすればとはみじんも思わなかったけどね(笑)

介護の勉強を始めた今感じること

まだテキスト上だけの介護の世界
友人のようなパターンにも出会うのだろう
お嫁さん、姑さんどちらにも正当な言い分があるはずだ
当然、私の亡くなった父にも「俺の気持ち」が
家族たちにしか見えない部分
他人からしか見えない部分
関係性から全然違うように見えるのだろう
同じ人間を見ているのに不思議だな
人間性ってどれが本当なんだろうな

2025年には高齢者(65歳以上)の5人に1人が認知症になると
言われている
薬も出てくるかもしれないが
長生きをする人はどんどん増え
身近に「介護」の文字がちらつく
友人に「ケアマネージャーさんと話しては」とアドバイスしたが
そこまで深くは考えていないようだった
ただ認知症が進むのを見ているような生活に思えるけれど
友人も大好きな姑だったら
その人らしく生きてもらうために努力したかもしれないが
「何度言っても聞かないし、もう知らない、自分が悪いんだもん」と
開き直っていた
認知症や本人を理解するということができたなら
姑さんももう少し自分らしく「凛」としていられただろう
口もきかず、ふたりでリビングでテレビを見る
認知症悪化一直線の生活
でも他人の私にはそう感じるが
当の本人たちには「行動しない」理由があるのだ

そしていつか認知症が悪化し
やがて心配や世話が「怒り」に変わる時が来る
きっと施設に行く行かないできっともめるだろう
でもそれを選んでいるのは当人たちなのだから
他人の私には何も言えない
友人が介護疲れでダウンしないように
時々おしゃべりで気を紛らわそうと思う

「ほらね、だから言ったやん」と後で言うのは簡単
いい勉強させてもらってると思って付き合っていこう
人のふり見て…だ(笑)

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