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電車内でキレイゴトが浮かんだ介護士の話

人間歯が大事と3ヶ月に一回、歯医者にメンテナンスに行く。
車で行けない距離ではないけど、電車で行っている。
知らない街をブラブラして、日頃買わないパンとか買って帰る(笑)
ムダにお金を使ってる感もするけど…プチ贅沢。

その帰りの電車内で
電車の社員の方が折りたたみスロープを持ってきた
すると電動車いすの方がすぅっと乗ってこられた。
なかなかカッコいい車いすに乗っているなぁと考えていた。
その人は電車(だけではないだろうが)乗るたびに
前もってか、その時か分からないけれど
誰かにお願いするのだろう。

私はふと「このまま終点まで行ってみようか」と行きもしないのに考えていたところだった。
その人を見ながらいろんなことが頭の中でグルグルとした。

その人は、ふらりと自分の感情で遠くに移動することはできない。
誰かの手を借りて…乗ったり下りたりするんだろう。
降りる時は「ありがとう」というのだろうか?
私は電車を降りる時はお礼など声をかけてないな。
バスの時はなんとなく「ありがとうございました~」なんて出ることはあるけど(笑)

その人の気持ちを知るのはきっと同じような状態で生活しないと理解できないだろう。
「自由」じゃないし、人の手を借りるわずらわしさがある。
いちいち「お願い」をしないといけないのだな。
最初は対応する側も「どうぞ」なんて笑っていても、回数が頻回になれば「またかよ」という気持ちが出てくるかもしれない。
その人にとっては当然の権利なので、お礼なんて言わないかもしれない。
その時に少しだけ「なんだよ」って感情が芽生えるかも。

どうしてそんな気持ちになるんだろう?
それはどこかに「してあげてる」という気持ちがあるからだと思う。「こんなにしてやったのにお礼もなしかよ」って思うかも。
電車、バスの運転手さんも乗客の私達に対して「乗せてやってる」とかは思ってないだろう。なのに業務の一環でも「当たり前です」ではないのかも。
もちろん「仕事ですから」と全然気にならない人も沢山いるだろう。
救急隊員だってよっぽど嫌な要請者じゃない限り「救急車に乗せて運んでやったぜ」とは思わないだろうし。

ふと、自分の職場を思い出した。介護…。
自分の中に「してやってる」って気持ちがあるから「何度もなんだよ」とか「面倒くさいなぁ」という気持ちが芽生える。特に時間がない時とか。
あ!私の場合ね。私はブラック介護士なので(笑)

でも、利用者さんたちにとっては普通の事なのよね。わがまま。妄想。認知症。本来はそれを影のように支えてやらないといけないんだろうなぁと思った。今の私には無理だけどね。余裕がなくて。
理想と現実は違うけど。
その人が行きたい時に何度でもトイレに行き、食べたい時に食べ。起きたい時に起き…。好きなときに風呂に入る。
それが、出来なくなったから人の手がいるんだけどさ…。
まぁ、最低限の自己管理ができないから、人に管理されちゃうんだけどね。
何も思わずに普通に介助できたらいいのになぁ。仏にならないと無理か。
手を借りても「ごめんねぇ」なんていわなくていい世界。
「仕事なんですから、当然ですよ。え?ワガママ言っちゃってください」とか(ありえんけど)。
ゆっくりと一人一人に時間をかけてケアしてあげたい。自分の大切なひとばりに扱ってあげたい。
一人勤務させるから無理だけど。同時多発ケアは無理なんだよっ(怒)
そりゃ…転倒するし。ケガもするさっ。「事故」って言うなっ。

あぁお互いにストレスのない世界…

なーんてね。夢のまた夢。

また仕事場に戻れば「またですか(怒)コール握ったままにしないでっ!」と「さみしいよぅ」の頻回コールにに怒り。自分でできるのに甘える方に「自分で頑張りましょうよ」と迫る業務時間にイライラを抑え笑顔で諭し…(笑)こぼしたおっしこを拭く。

「辞めるんです」という職員に涙し…そんな日々を送るのだ。

と、数駅電車に揺られて理想の世界を妄想した介護士でした。

ただの独り言だから…知らん顔してね(笑)

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