見出し画像

恋愛讃歌

恋をすることは、いつの時代も誰にとっても、やはり素敵なことであるとわたしは思う。その恋自体を取り巻く外的条件、例えば不倫や浮気、そういう類の複雑な事情や重たく暗い情念が絡んだものは一般的に考えて賞賛に値することでないのは確かだが、ただひたすらに惚れた相手のことを想う時、この人と一緒にいられさえすれば他には何もいらないと思う時、相手の何気ない横顔の美しさに呼吸を止めてしまう時、そのような感情の存在自体は紛れもなく美しく誠実で透明で、命がきらめく大切な瞬間であると思うのだ。わたしたちは誰でも前触れもなく恋に落ちてしまう可能性を持っているし、自分はこの人に惚れてしまっているのかもしれないなという直感が胸をよぎった時には、その言葉通りにそうなのだろう。
 それにしても、好きな人と話す時、見つめている時、触れ合う時、渾身の言葉を送る時、その瞬間の全ては、どうしてこうも幸せできらきらとした気持ちをもたらしてくれるのだろうか。相手のひとつひとつの仕草が愛おしく、胸が苦しく、なんだかもうよくわからなくなってしまうあの感じ、一体どこからやってくるのだろうか。そんな感覚に敏感になりすぎてしまうことはよくあって、その度に小さく混乱してしまう。
 昔、恋人に「ゆき乃と出会ってから、世界がカラフルになったよ。」と言われたことがある。わたしが「そのカラフルな色の中でも、どんな色が多いの?」と尋ねると、それは明るい赤色だそう。彼はにこにこと笑っていた。それはもうとっくに日が落ちて真っ暗な道を車で走っていた時のことだったのだけど、その瞬間に鮮やかな赤色の絵の具がわたしの心の中で弾けて満ちて、わたしが知っているラブソングをすべてを集めてひとつにしたようなやさしい音楽が聴こえた気がして、どうやらわたしは立派に恋をしているのだなぁとやけにしみじみ思ったのだった。
 この社会には、恋や愛、ロマンス、そういうものに対してひどく悲観的だったり嘲笑的だったりする人も多くいる。たしかに恋をしてしまったばかりに、もしくは恋や愛という概念が存在しているばかりに大きな虚無の中に放り込まれてしまったり、唐突に裏切られてしまったり、自信を丸ごと失くすような出来事を経験してしまうこともある。わたしとて、そのような悲しみ、怒り、喪失感、痛み、嫌悪感、こんなことはもうたくさんだという気持ちを味わったこともある。でも、それでも、恋に落ちて、2人にしかわからない言葉でいろいろなことを話して、抱き合い眠り、心の底から笑い、互いに心の限りを尽くして愛し合うその瞬間は、とても素晴らしいものだと思うのだ。たとえ時が流れて最後はお別れしてしまうことになったとしても、それがほとんど夢の中での出来事であったように感じてしまったとしても、それがきわめて刹那的な経験であったとしても。甘くてやさしい過去の記憶が思いがけないところで自分を守ってくれることもいつかはきっとあるだろう。
 こんなことなら出会わなければよかったという出会いはひとつもなくて、その出会いや恋のひとつひとつがわたしたちを以前より少しやさしく微笑むことができるレディに、もしくは以前より少しあたたかく柔らかな器を持ったメンズにしてくれる。だからわたしはもうさようならをしてしまった恋も、今の恋も、すべてをこの腕に抱きしめて、大きく手を振って、こっそりしまって、等しく大切に思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?