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欲しいもの

わたしが今欲しいものってなんだろう。欲しい物を聞かれるといつも返答に困ってしまう。たしかに、かわいい服や化粧品、便利な家電など、そういうものをふと見かけてこれはなかなかいいなぁと思うことはよくある。けれど、"何かを買う" って、意外とエネルギーを使うことだし、何を買って何を買わないのか慎重に考えないと、良かれと思ってしたその買い物で余計に疲れてしまったりエネルギーを消耗してしまったりすることがあると思う。なにかを買うこと、手に入れることは、その対象物を自分の生活の一部として取り入れ、その物から何かしらの良い影響もしくは悪い影響を受けながら生活していくということであるから、その時の衝動やなんとなくの気分で余分なものを自分自身の生活に取り入れたくないし、本当にほしいと思ったものだけを手に入れ続けていきたいという気持ちがある。これはべつに節約したいとかミニマリストになりたいとかそういうことではなくて、ただただそう思うのだ。
「〇〇を買えたら、あのブランドのあれを手に入れられたら、ハイテク機能のついたあれを使えたら、今よりもっと幸せになれるかも。」何気ない広告やSNSではそんな淡い期待をうまく刺激する情報が溢れ返っている。インフルエンサーたちがさまざまなアパレルグッズや健康サプリ、化粧品、その他多種多様な商品などを大絶賛しながら宣伝し、その情報や誘い文句にたくさんの人間が群がって、効果はどれくらいあるのか、価格はどうなのか、それはどこで買えるのか、実際の口コミを教えてくれなどと質問攻めにしているシーンをよく見かけるが、そういう光景にわたしはいつも少し辟易してしまう。物欲自体は仕事や勉強などの良いモチベーションになるということにももちろん同意できるが、中途半端な物欲は往々にして不必要な渇望感や執着心に化け、わたしたちの持つ本来の豊かな気持ちや、自分を自分の力でより良くしていく力を弱めてしまう気がする。
わたしたちがほんとうに欲しいものはその物質本体なのではなくて、その物を手に入れることに付随して感じられるであろう幸福感や豊かな気分の方なのではないのだろうか。あの人が着ていたブランドの洋服を着たいのではなくて、自分をステキだと感じながらコンディション良く日々を過ごしていたいのではないのかな。ハイテクお掃除機械が欲しいのではなくて、家の中の散らかりや汚れを落として清浄な空間の中に身を置いていたいのではないのかな。効果は怪しいが高価な健康サプリが欲しいのではなくて、心身共に美しく健康で溌剌とした自分になりたいのではないのかな。このように、自分の中にある本来の欲望や向上心、理想の状態などをきちんと把握しないまま何かを購入してなんとなくそれらを満たしたような気になっただけでは、もっと欲しい、まだ足りない、もっといい物があるかもしれないという渇望感がいつも自分につきまとい、いつまでたっても真の充足感は得られない気がする。
わたしはなんでもかんでも買うのを我慢しろと言いたいのではなくて、自分の純粋な幸せの感覚を、容易に一時的な物質的満足感に転化させてはいけない、ということを言いたい。なんとなく感じた欠乏感や渇望感、満たされない気持ちを物を買うことで即時的に満たしてかき消そうとするのではなくて、自分はどんな時に幸せを感じるか、どうなりたいのか、その上で本当に必要なものはなんなのかを少しずつでもいいからきちんと見極め、そういうものだけを確実に手に入れることができる心の状態であることが心からの満足感をもたらしてくれるのだと思うし、豊かな気持ちを感じるセンサーはいくつになってもピカピカに磨き続けなければいけないと思う。意識して磨かれた幸せを感じるセンサーに従って手にしたものたちは、値段やネームバリューに関係なくいつまでも充足感や幸せな気持ちを与えてくれるだろうし、自分だけの鋭い感覚を持っていれば余計な渇望感や比較の気持ちに苛まれることもなくなるだろう。所有や比較することに甘んじず、自分の力で自分を豊かに膨らませていける大人になろう。まだまだ修行中!

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