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饒舌なひとりごと

人は 自分が取り入れてきた言葉、吸収してきた言葉からしか、思考をしたり言葉を発したり文章を書いたりできないのだと思う。健やかな身体のためには食べるものの栄養バランスやその栄養の質がとても重要であるのと同じように、わたしたちの健やかな心、のびやかな知性、人間としての品性のためには、なにを発するか、なにを表現するのかよりも、日々どういうものに触れ、自分がそこからなにを吸収するのかということが大切なのだと思う。こういうことを意識して生活していれば、自分が無意識に外へ発する言葉や表現するもののすべてはおのずとよいものになっていくだろう。 

これは いつかのメモに残してあった自分の文章。我ながらいいこと書いてると思うし、ほんとにそう思っているし、自分もそうであってほしいし、人はみなそうあるべきだなぁと思うのだけど、当のわたしときたら…… 

ずっと会いたかった人、お話したかった人、尊敬している人、大好きな人の前ではいつもしどろもどろになってしまって、結局伝えたいことの半分も伝えられないまま終わってしまうのが常だ。どうも調子が出ない。
わたしはひとりでいる時がいちばん調子いいし、いちばん冴えているし、いちばん饒舌。これはとても悲しいことです。ここぞという時に器用に自分を表現できる人がとても羨ましい。喋らなくてもわたしの気持ちや思っていることがオーラみたいに空気中に滲み出て、そのまま汲み取ってもらえたらいいのに。少し時間をかけて言葉を文章にしてだれかに伝えることや記すこと、初対面の人と会話をしたりその場を和ませたりすることはそこそこ得意なのに、憧れ、尊敬の気持ち、大好き、仲良くしたい!!!など、個人的な思い入れの強い人とのリアルタイムでのコミュニケーションとなると、純粋な "会えて嬉しい" という気持ちをゆがめてしまうほど変に緊張してしまって、言葉がうまく出てこない。恥ずかしくなってしまう。思考が散り散りになってしまう。
だからいつもあとからひとりになって、もっとこうすればよかった、こう言えばよかったという後悔の気持ちがじゃんじゃん湧き出てくる。
これじゃあどうしようもないじゃないか。いちばん上手く自分を表現したい時に、いちばんダサい自分になってしまうなんて、どうしようもない女だよ。正真正銘、不器用なわたしです。
みんなはこういうことないのかな、気になります。
 

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