わたしたちは何も失えない

最近気づいたことがある。気づいた、というか、突然そのような感覚がわたしに "降りてきた" と表現した方が正しいのかもしれない。
それは、"わたしたちは何も失えない" のだということ。

わたしたちはいつでも何かを失うことを恐れていて、その恐怖が、結局は人生を進めていく原動力になったり、自分や他人を守る自制心になったりしながら日々をなんとか生きているのだと思う。わたしももちろんそうである。
わたしはいつも人生なんとかなるさと明るいことを言いながら、本心では自分の身に起こる喪失の全てをとても恐れ、疎みながら生きてきたのだと思う。
若さを失うのがこわい、あの時の瑞々しい感覚を失ってしまうのがこわい、時間の経過と共に昔の友人との親密さを失ってしまうことがこわい、財産を失うことがこわい、楽しかったことの記憶を忘れてしまうことがこわい、人から受けた優しさの記憶を忘れてしまうことがこわい、こんな風に挙げればキリがない。普段から意識的にこういうことを考えて生活しているわけではないが、無意識の領域でいつもこのようなことを考えていたから、ときどき理由のわからない喪失感や焦燥感に襲われていたのだなぁと今ならわかる。
楽しかったこと、嬉しかったこと、今はもう会えなくなってしまった人やなくなってしまった場所たちとの思い出の数々を、"時間の経過とともに喪失してしまったもの" として捉え、それらの懐かしい記憶を思い出すときには、楽しかったなぁという喜びや感謝の気持ちよりも、自分が積み上げてきたステキな経験の記憶が結局どんどんと薄れていってしまうことに対する悲しさや切なさ、つまり、もう手の届かない幻想に対する渇望感のようなものが一気に押し寄せてきて、胸がぎゅっと苦しくなってしまうばかりだった。"Born to Lose" なんて曲を歌っていたロックスターもいるし、わたしもすっかりそんな気持ちで、いつも切なく悲しく、時には苛立ってしまうのだった。わたしは自分がふとした時に感じた豊かな感覚や、ふわふわとした幸福感を失いたくなかったけれど、それらには形も重さもなくて、文章にしたっていつも陳腐でどうしようもない代物になってしまって、結局すべては薄れていってしまうのだと感じていた。それが苦しくて堪らなかった。でも、そういう苦しさすらもどう処理していいのかもわからず辛かった。忘れたことも忘れてしまうことが怖かった。全てを自分の腕の中に抱えていたくて、こぼれ落ちないようにすることに必死だった。

しかし、本当に突然、それはたしか通勤中の車の中だった気がする。なんの前触れもなく、「わたしたちは何も失えないじゃないか!」という閃きが、閃光のように降ってきて、わたしを貫いたのだった。もう本当に突然のことだったので、自分でもとてもとても驚いた。しかしその言葉が自分の内側から生まれてきた瞬間、わたしの目からは自然に涙が溢れてきた。こんな感覚初めてだった。どうしよう、と思った。目の前の景色がキラキラ輝いて見えて、もうとっくに失ってしまったと思っていたものの全てが、やわらかくあたたかく今のわたしのことを包んでくれている感じがした。

何を言ってるんだ?と思うよね。わたしも思います。
うまく言葉にできなくて悔しいけれど、とにかくそれはとても神秘的な感覚で、即席ではない本当の愛がわたしの内側から流れ出てきたのを感じた。一杯になったコップから自然と液体が溢れてくるような感じだろうか。

なんだかよくわからないけれど、すべては自分の中にあるのだと思った。愛も憎しみも喜びも悲しみも優しさも怒りも豊かさも、過去も現在も未来も全ては自分の中にあって、だからこそ、わたしたちは、たとえ失いたくても何ひとつとして失えないのだと思った。すべてはいつも大きな流れの中でゆったりと循環していて、わたしという小宇宙の中で揺蕩っていて、わたしが感じたことの全てはわたしの血肉になり、わたしの主観になり、わたしの仕草になり、わたしの表情になり、わたしの言葉になり、わたしの未来になるのだと、その時確信した。この感覚をうまく言葉にするのはとても難しいのだけれど、直接的に文章にすると本当にこんな感じなのだ。

過去と現在と未来は分断されているものではないし、時間軸というものすらもなく、わたしが過去のことを思うときわたしは過去に存在していて、わたしが未来のことを思うときわたしは未来に存在しているような気がした。全てのことはわたしの内部でのことだから。それは目にも見えないし形もないから、誰がどうしようとも絶対に奪えず、永久にわたしの傍にいてわたしを包んで守ってくれているのだと思った。

もう忘れてしまったことだって、わたしの無意識の中にひとつ残らず蓄積されていて、ずっと傍にいてくれるのだ。良いも悪いもなく、わたしが感じたこと、見たもの聞いたもの触れたものの全てはそのままわたし自身なのだ。何を言っているのか自分でもよくわからなくなっているけれど、ほんとにそう思えたのだ。

こういうことが一気に押し寄せてきてしばらくしてから、わたしはスーッと心が軽くなった。身軽になった。焦りが消えた。これでいいのだ、と今までにないほど安心した気持ちになった。どうして突然こんな感覚が降ってきたのか全くわからない。でも、なんかよかったなぁと思う。今までなんとなく感じていた微かでたしかな息苦しさが消え、安心した無邪気な子どものような気持ちになれる瞬間が格段に増えた。どうしてだろう、でも本当によかったなぁとしか言えないし、実際それ以上でもそれ以下でもない。
きっとまたいろんなことを難しく考えて、チクチクとした執着心や焦燥感に苛まれてしまうことがあるだろう。絶対に。
だけれど、それがどうだっていうんだ。それはまたその時になったら考えればいい。わたしたちはもう何も失えないのだから、どっしり構えていればそれでいいのだ。

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