見出し画像

拝啓 あの日々


その頃わたしは京都の大学に通っていて、2回生になったばかりだった。憧れだった京都で、親元を離れて学生生活をはじめたというのに、わたしは自分のやりたいことや好きなことがわからず、というか見つけようともせず、その場その場でなんとなく楽しいことをし惰性的な恋愛を繰り返し、なんとなく充実しているように見せかけて、まあこんなもんだろうという妥協ばかりの日々を送っていた。様々なことに挑戦したり、やりたいことを見つけてイキイキしている友人たちを見ていると、どうして自分はこうなのだろうと思いながらも、実際にどうしていいのかわからず結局悶々とした同じような日々を繰り返していた。そんな時に、偶然知り合ったのが聖也さんだった。彼とはインスタグラムで知り合った。彼は同じ大学の卒業生で、わたしの3つか4つ歳上だった。わたしがなんとなく投稿した写真を彼がなにかのきっかけで見つけてコメントをくれたことをきっかけに、少しずつメッセージを送り合うようになっていった。文章からだけでも、彼が知的でユーモアのある人だということは伝わってきた。わたしたちは自分についての他愛のないことを書いて送ったり、小さな悩みを打ち明けたりしていた。文章なんてほとんど書かなかった当時のわたしも、彼には自分の思っていることを知ってほしくて、小さな四角い画面をじっと見つめて一生懸命に文字を打った。今思えば、相手が会ったこともない見知らぬ人だったから、わたしはあんな風に自分の胸の内を言葉にして伝えることができていたのかもしれない。そうしてしばらく連絡を取っているうちに、自然な流れで実際に会う約束をして、18時頃に四条河原町の大きな交差点あたりで待ち合わせをすることになった。
梅雨真っ只中だったその日は、空気がとても湿っていてじとじとし、湿気を含んだ髪の毛はいくら櫛でとかしても思うようにセットできなかったことをよく覚えている。わたしたちはもちろん初対面だったけれど、実際に対面する以前に多くの言葉を交わしていた相手だったから不思議な安心感があって、素のままの自分で挨拶したり喋ったり、笑ったりすることができた。その日は彼が学生時代に行きつけだった飲み屋をハシゴして、文章だけでは語り切れなかった多くのことを話した。お酒の席でも適当に話して適当に相槌を打ってばかりのわたしだったが、彼にはとても真剣に自分の話をすることができたし、彼の話はすべて真剣に聞きたいと思った。飄々としていながらも自分の価値観や大切な世界をしっかりと持っていて、その無骨な外見とは裏腹に繊細な言葉を使ってわたしの知らないことを話してくれる彼との会話にわたしは夢中になった。学生生活の中で、"なんとなく" ばかりで人と会話をしていたわたしだったが、彼と実際に会話をしていく中で、自分のうちにある思いや経験を相手にきちんと伝わるように言葉を選んで話すことの楽しさ、相手がわたしのために選んでくれた言葉を通して自分の知らない世界のことを知ることの昂揚感を感じた。たった一夜の出来事、しかも初対面であるのに、こんなに楽しくなってしまうことってあるのだろうかと自分でも驚いた。わたしは人ときちんとコミュニケーションを取ることの喜びや一体感を感じられたことが嬉しくて、家に帰ってからも胸がわくわくし、眠れなかったことをよく覚えている。しかし、それは恋のはじまりがもたらすような高揚感ではなくて、心の奥のもっと深いところからやってくる大きな喜びだった。

その日を境に、わたしは彼の友人たちとも仲良くするようになっていった。彼にはたくさんの友人がいた。わたしと同じ学生さん、浪人生、大学院生、社会人、フリーター、ギター弾きなど、多種多様な人種が集まって好きに過ごしている聖也さん宅、通称ボロボロ(今出川)ハウスへわたしも出入りするようになり、お酒を飲んだり音楽を聴いたり映画を観たりしながら、いろいろな人とたくさんのことを話した。こんなに様々な種類の人たちとどのようにして知り合ったのだろうかと思ったが、彼の家では垣根などなく、誰とでも皆仲良くやっていた。鍵は基本的にはいつも開いていて、暇な時にそこへ行けば誰かがいるし、しばらく待っていれば誰かがひょっこりとやってくるし、気づけば誰かが帰っているという、とても自由な空気感。そこでは、若者特有の鬱屈としたモラトリアムをある種の仲間意識として昇華させたような独特の一体感があって、大学やバイト先に自分の居場所を見つけられずにいたわたしにとっては居心地が良く、その夏は彼らと一緒に多くの時間を過ごした気がする。
すべてのはじまり、人間離れした雰囲気を纏いながらも実はいちばん人間臭く、その魅力が人を惹きつけて離さない聖也さん、一見内気で繊細そうだが本当はひょうきん者で、マッチングアプリでいつも楽しそうに男を漁っていた愛すべき先輩きのこさん、色白な塩顔イケメン、発言が論理的、鋭く愛のあるツッコミを繰り出すが時折見せるメンヘラチックな一面が愛らしいはるかさん、すらっとしていて美人で聡明、憧れショートカットのお姉さんの甘中さん、わたしと同い年、小動物みたいにくりくりした目が可愛らしいが芯が通っていてしっかり者の哲学家マイミちゃん、とにかくいつも優しくて、個性的なユーモアでその場を和ませてくれた拳が大好きなきちじさん、少年っぽさを漂わせた笑顔があどけなくてとても可愛いのに、ダンスを踊ると燃える獅子のようにかっこよくなるタクトくん、いつもさまざまなことにうーんと思いを馳せていて、一歩引いた視点で世界を見つめているように見えた心優しい林くん、(彼には最初から不思議な親近感を持っていたなあ)女の子が大好きで好奇心旺盛、日本語がとても上手で憎めない性格のアメリカ人フォトグラファーのウェス、一見とてもお洒落で爽やかなシティーボーイだが、実はとんでもない皮肉屋だった翼さん、いつ会っても穏やかで落ち着いているのに彼の言葉や文章からは鮮やかなエネルギーや感情が漏れ出ているように感じた渋かっこいいシンジさん、物静かでとにかくカッコよくて、会うといつも決まって少し緊張してしまっていたなかむーさん。こんな風にあげてみると、当時の記憶や思い出がとてもリアルな手触りで蘇ってくる。彼らとはたくさんのお酒を飲んで煙草を喫んで、音楽を聴き、映画上映会をし、本当にどうでもいいことから人生の核心をつくような命題(これは本当にたまーに) について、半分真剣に、半分は酔った勢いで、ベラベラと語り合ったり、誰が熱く語っているのをぼーっと聞いていたり、遂行されることのない旅行の計画を立てたりしていた。それにしても、何もなかったわたしのことを、どうしてあんなにあたたかく自然に受け入れてくれたのだろうかと、今思うとかなり不思議だ。

彼らについて振り返る時にいちばん強く思うことは、そこにいたひとりひとりから無作為に刺激を受けて好きになった作品や場所、自由な価値観などがたくさんあるなぁということだ。たくさんありすぎて、どれがそれなのかもうわからないくらいに今のわたしと同化してしている。とにかくその場しのぎでぼーっと過ごしていたわたしだったが、彼らひとりひとりの個性溢れる美点に触れながら過ごしているうちに、自分はどんな人間でありたいか、どんなマインドで生きていきたいか、他者とどういう関わり方をしていきたいか、どういうことに喜びを見出したいか、そういうことについて、自分なりの理想を持てるようになっていった気がする。わたしにとってはそれがいちばんの変化だったし喜ばしいことだった。当時のわたしは、惰性で朝まで続く飲み会やダラ話からいろいろなことをかなり貪欲に学んでいたし、みんなのひどくアンバランスで素敵な長所から、酸いも甘いも本当にいろいろなことに気付かされたものだった。

このように、だらだらとしながらも刺激と楽しさに満ちていた彼らとの夏の日々だったが、わたしはどうしたものか、秋に差し掛かったあたりから、だんだんとみんなが集まる場に行くのがしんどくなってしまったのだった。そこには深い理由なんてなくて、当時のわたしの心の不安定さからくる一過性の現象だったのだろうし、ただでさえとてもオープンでラフな人たちの集まりだったのだから、とりあえずそこへ行ってしまえばどうってことなかったのにと今なら思うが、何度か立て続けに誘いを断っているうちにわたしは本当に聖也さんのボロボロハウスに行けなく、というか行かなくなってしまった。彼らの中の数人とは個別で喫茶店に行ったり飲みに行ったりすることはあったが、人がたくさん集まる時には顔を出さなくなった。心の中ではみんなに会いたいと思っていたし、何度も誘ってくれた聖也さんにはとても申し訳なかったのだけれど、何故だかそういう感じになってしまった。そのままわたしはゆらりゆらりと自然に他の居場所を見つけ、大切な人たちとも新しく出会い、とても幸せで楽しい学生生活後半を送った。だけれど、その新しい居場所や新しい友人たちとの交流は、ボロボロハウスで出会った人たちからの影響や刺激を受けて精神的な変化を遂げたわたしであったからこそ得られたものだと思っているので、ボロボロハウスのみんなと巡り会えたことそのものに対する感謝の気持ちが消えることはない。秋頃から突然わたしが顔を出さなくなったことは、きっとわたしが思っているより誰も気にしていなかっただろうし、わたしが彼らとの出会いや思い出をきれいに美化しているだけなのかもしれない。
しかし、大学をあっさり卒業して京都を離れて社会人になった今でも、その思い出は色褪せることなく気づかないうちにわたしの日々や世界を彩ってくれているのだということを強く感じるし、ふとした時によく思い出す。彼らにわたしのことを覚えていてほしいなんておこがましいことは思わないけれど、わたしは二度と返らぬ自分の学生生活を思い出す時には必ずあのボロボロハウスの薄暗い灯り、二日酔いの気持ち悪さ、煙草の匂い、みんなの笑い声、みんなのきれいな顔、ずっとその場に流れていた幸福な音楽のことを、まるで美しい桃源郷でも思い描いているかのように、うっとりと思い出す。みんなは今どこでどうしているのだろうか。ちなみにすべてのはじまりであった聖也さんは今も京都に残り、素敵な店名の居酒屋さんを開業しているみたい。今度京都に行った時には、そっと立ち寄ってみようかと思っている。彼はひとりでふらりと入店した小娘がわたしであることに気づいてくれるだろうか。まあそれはもうどっちでも良くて、わたしが単にもう一度、彼に適当な話を聞いてほしいだけなのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?