Okeanos/凪原涼菜 についての歌詞考察

※これはOkeanos/凪原涼菜の考察になります。
下記リンクのMV中にある内容のみでの考察となり、ライナーノーツ等は考察内容に含まれていません。

※これは投稿者の解釈、妄想によるもので、批判を目的としたものではありません。

皆さんが「Okeanos」を理解する一助、考察をする際の叩き台にしていただけると幸いです。

歌詞は下記動画概要欄より引用させていただいております

Okeanos - 凪原涼菜 (Official Video)

1.はじめに

まず主題について考えてみようと思う。

「Okeanos」恐らくオケアノス(オーケアノス)についてだと考えられるが、ここでいうオケアノスとはなにを指しているのか。

考察の結論から書かせていただくと「Okeanos」は複数あると考える。

一番、二番での別の事柄を語っていると考える。
それぞれ分けて見ていく。


2.一番歌詞

誰も知らない海の底には 天使が一人で
拡がる明日を想って 祈っているの

藍色の壁 深く潜って
ジュゴンは朝の光を見る
蜘蛛の糸のように垂れた筋(すじ)に
身体は縛られた

望んでいなくても 希望はきらきらと
輝いている 救いはいらないのに

ただ光あれ 燃やしただけの命の炎
灰になり波に攫われても

誰も知らない海の底には 天使が一人で
拡がる明日を想って 祈っているの

海の底に眠っている何者かが明日を祈っているという内容になるが、この何者かが1番目の「Okeanos」と考える。

筆者が仮定したこの「Okeanos」が「オシアノス号」だ。

オシアノス号はモーリシャス―マダガスカル―マルセイユ間を航行していた客船だが、南アフリカ港出航後に沈没した船だ。
事故では船員の対応は批判される船だが、乗員乗客全員救助された船でもある。
事故の原因は老朽化した機材で嵐の中を航行、その影響での機材の浸水、その後発電機室でショートが発生し爆発があったとされている。

歌詞では、ジュゴンが深く潜り朝の光を見るのだが、このジュゴンはオシアノス号のメタファーと捉えてもよいであろう。
ジュゴンは暖かい海に生息する生物であるが、オシアノス号の航路マダガスカルにも生息していた記録がある。
朝の光を見るとあるが、沈没後オシアノス号の撮影を行ったダイバーによると、船内にも微かに光が入り込んでくる状況だったようである。

蜘蛛の糸とは救助ヘリから垂らされたロープであろう。
自らの最期を覚悟し身体が固まった、との表現であろうか。

『望んでいなくても 希望はきらきらと 輝いている 救いはいらないのに』
考察不足で大変申し訳ないが、この部分に関する筆者の中でも納得できる解釈が用意できなかった。
考察勢求ム

『ただ光あれ~波に攫われても』
この部分からは自らの命を燃やし尽くし守ったものに光あれ、命の輝きあれとの語りであると受け止められる。

『誰も知らない~祈っているの』
今までのことから、これもオシアノス号の前述のような想いを語った詩だと考えられる。
ジュゴン=オシアノス号=天使


3.二番歌詞

君は知らない 地球の裏を
あの星の遠さ 宇宙の果てを
黒の意図もとうに枯れた 既に
心も蝕まれた

望んでいなくても 進む時の流れに
打ち克とうとはしないで 生きていて

ただ光あれ 燃やしただけの命の炎
その価値を ああ 大切に守って

急かされ押した誰かの背中 空いた目の前
数秒前 立っていた誰かの 居場所にいる

こちらは先ほどとがらり変わって宇宙へ話がいく。
そしてこちらに条件に該当する「Okeanos」も存在する。
OKEANOS(Oversize Kite-craft for Exploration and AstroNautics in the Outer Solar system)である。
こちらは外惑星領域での探査活動を可能とするため検討されている特大凧型探査機計画である。
この分野に関して無学のため詳しい説明は省略させていただくが、現在トロヤ群小惑星での調査を計画されているようだ。

そんなOKEANOSが2番目の語り手と考えたので、歌詞と照らし合わせていく。

あの星の遠さとあるが、これはこの探査機の予定航路を見るとその壮大さが伝わる。
木星まで行き、そこから改めてトロヤ群小惑星に接近するという航路になるが、その時間に10年以上の飛行時間を必要とする。
そんな膨大な時間のミッションに人間(生命)を伴う必要がなくなったと告げるのが下記の部分であると考える。
『望んでいなくても 進む時の流れに 打ち克とうとはしないで 生きていて』
進む時間の流れに打ち克つとは「科学の進歩(目標の一つ)」だと考える。
科学の進歩に「生命」を使う必要はなくなったから、あなたたちはそこで生きていてくださいとなるであろうか。

『ただ光あれ~大切に守って』
ここはオシアノス号と同じく、人の身代わりになったものの言葉であろう。

『急かされ押した誰かの背中~』は、OKEANOSの持つ2つの推進力が関係する1節であろうか、もしくはスイングバイ時の惑星重力か。
軽く接触するだけで、数秒後には彼方に消えるという地上では考えられない現象の表現だと考える。


4.Cメロ・ラスサビ歌詞

疲れたジュゴンは現在(いま) 火花に包まれ眠った
とうとう 打ち克ってしまった

誰もがただ 生きていることを
誇って欲しい 悲しみに ああ 晒されていても

いま光あれ 宇宙の果てを知らずとも
まだ 命の炎 在る場所へ OKEANOS

誰も知らない海の底から 君の命が
残酷な明日を生き抜いて欲しいと願う

ああ ああ
どこまでも拡がる 明日もずっと

ただ光あれ

疲れたジュゴンは91年事故当時のオシアノス号であろう。
とうとう打ち克ってしまったとはオシアノス号が時間にとらわれない存在になったということであろうか。

『いま光あれ~OKEANOS』
本当に宇宙を知るのはOKEANOSだが、それは生きている者たちのために届けるためであろう。

最後は自らの存在を無駄にしないため、意味あるものにするため重なる言葉であろう。

5.総括

前記のように元ネタを考えてきたが、最後に「テーゼ」「アンチテーゼ」「ジンテーゼ」について考えてみる。

「テーゼ」
人は残酷な明日でも生きていくべきである。

「アンチテーゼ」
人は残酷な明日など生きていくべきではない。

「ジンテーゼ」
人は希望の明日を作るため道具を上手く活用しながら生きていくべきである。

であると考えた。
これはテーゼ(詩)→アンチテーゼ(受け手)→ジンテーゼ(詩)を提案する流れであろう。

最後にここまで述べてきたことをまとめる。

・「Okeanos」は人間の身代わりになって命を燃やしたもののことである。

・人間の命はどんな時でも生き続けるべきである。

これは「Okeanos」というフィルターを通した「人間賛歌」であると自己解釈に結論付けた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?