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言及し、疑問をもって考えてみたところ、の巻

私は、いつも深く考える癖がある。この癖は、いつも、自分は、どうなのか?が、隣り合わせで考えるため、どうしても自分に厳しめになってしまう。自分を客観視するのだ。

私は、コトやヒトにも、批判したり、評論したり、揚げ足をとったりしている。それに、妬んだり、羨んだり、とても、いろんな感情をもってしまうのだ。

いつも、どこかで私は、マウントをとってるのかもしれない。それは、言葉で表さずとも、マウントを取るポイントをずーと探してるのだ。これは、潜在的にやってしまってるので、非常にやっかいである。

そこで、そこまで、批判したり矛盾探ししたりするなら、そういうコトやヒトに関わらなければいいのよと、客観視した隣り合わせがやってくるのだ。そんなに、ごちゃごちゃヒトモノに文句があるなら関わらなければ、そんな感情はなくなるのよ。ほら、逃げなさい!と隣り合わせがいう。。はい、ぐうの音もでないのだ。

そして、落ち着いて考えると、そのごちゃごちゃヒトモノも、私のために役に立っていることもあるし、助けてもらってることもあるのだ。それは、直接ではなくても、周り回ってくることもある。これは、事実そうなのだ。
そしたら、文句言うなや!!と、客観視する隣り合わせが、言ってる。すると、猛省するのだ。自分の、バカバカバカーと。

この、深く考えて、自分の意見などを客観視するのは、おすすめしない。これは、注意願いたい。なぜなら、心の病気になる危険があるのだ。私は、心理テストをしてしっかりと、鬱になる傾向があるとでた。

その理由も、この客観視なのだ。要するに、やさしい言葉でいうと、マジメてことだ。

これは、当てはまらないような、当てはまるような。私はマジメなのかもしれない。

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