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珈琲2杯飲んでみて、決めたこと

いろんな理由により、休みなのに家に居れないので出掛けてみる。だからといって、人と会いたいとは思わない。人と会うと顔がひきつってくるのだ。これは、もはや、家族といてもそうなる。無理している証拠である。
家族が、ひどいか?、いや、家族には、まだ恵まれた方だとおもう。
昔は、すべて家族のせいにしてたが、今は、そうは思わない。しかし、私のお友達からすると不幸な人間ランキング1位に君臨する、らしい。
総合的判断である。

それがまた、私の不幸話は、ガチで耳を覆いたくなるレベルなので、みんな聞きたくないのだ。
へー、としか言えないレベル。
逆の立場でも聞きたくない。嫌だ。
いつしか、誰にも話さなくなった。だが、不幸話は、年々ひどくなっていった。
それにも、慣れた。
私は、自己コントロール力が、少し高めだからだ。自己完結型だ。どうせ生きなきゃいけないのだから、一度死んだ人生だと思うと、とても楽になれたのだ。

そんな私も限界がきた。なので、この場を借りて書き出してみる。これも、どうせ生きなきゃいけないから、やってみる。

不幸話は、みんなの役に立つ。これは、本当だ。お友達は、自分より不幸な私を眺め、たくましく生きて過ごしてる。
私も、本当に私は不幸だとは心底では思っていないのだ。
不幸なのに、幸せなんだ。これは、強がりではない。

私は、言葉に救われたので、ふと読んでもらえたら嬉しい。

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