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第10回(2020/07/06) 経営組織論 組織構造

1.はじめに

 このページは,九州産業大学地域共創学部地域づくり学科・経営学部産業経営学科において2020年度前期に開講されている「経営組織論」の第10回講義でお話ししようと思っていたことを,そのまま文字起こししたものです。

 こんにちは。7月に入りましたね。セメスター制(春・秋学期制や前・後期制)を採用している大学では,そろそろ2020年度の前期という前代未聞の学期が終わりに近づいています。きっと学生であるあなたも,この間の学習環境の変化に大いに戸惑ったことでしょう。ずいぶんと疲弊しているという声も耳にします。もう少しで夏季休業に入ります。あと一踏ん張りです。一緒に頑張りましょう。

 前期が終わるとなると気になるのが,「後期の講義はどのような授業形式(対面 or 遠隔)になるのか?」という点です。これはみなさんだけではなく,僕たち教員にとっても強い関心事です。ただ,大変申し訳ない。九州産業大学ではまだ何も決まっていません。学内で議論はされていると思うのですが,少なくとも末端の一教員にすぎない僕には,その議論内容はこぼれてきません。たぶん後期の授業形式を知ることができるのは,学生であるあなたとほとんど同じか,わずかに早いタイミングだと思います。

 決定が遅いと思うかもしれません。しかし,言い訳ということでもないのですが,これは九州産業大学だけのことではありません。僕は数年前から福岡市内の他の大学で非常勤講師を勤めていて,2020年度も後期に担当講義が開講されます。授業形式がどのようになるのかによって夏季休業中の予定が大きく変わるので,先日後期の授業形式について先方の教務課に問い合わせたところ,「現在議論中であり,回答できない」という回答でした。正直,困ってしまうのですが,状況を考えると致し方ないなとも思います。

 しかし,致し方ないなと思うには思うのですが,そうは言っても心の準備は早めにしておいたほうがいいので,僕が他大学で担当する講義が対面で授業を実施できそうかを考えてみました。結論としては,たぶん難しいでしょう。理由は,受講者数と教室規模です。僕が担当している講義の受講者数は,例年300名前後です。おそらく今年も変わらないでしょう。授業を行う教室の収容限界はおよそ500名です。もちろん毎回300名全員が出席することはないのですが,それでも3密を避けることはほぼ不可能です。教室を変更すれば可能かもしれませんが,その時限に授業をしているのは僕だけではないので,そう都合よくはいかないでしょう。他大学では500名や800名が受講している講義もあるそうです。おそらく,受講者数と教室の関係で対面授業に戻すことができない事例は数多くあると思います。

 こういった大規模な講義を中心とした教育のことを,批判的な意味を込めて「マスプロ教育」と呼ぶことがあります。「マスプロ」とは,「大量生産」を意味する「mass production」を縮めた言葉です。教員という知識を持った1人の人物が,相対的に知識を持たない大量の受講生に一方的に知識を授け,一定水準以上の知識を持つ人間を一括大量生産する,ということですね。こういった講義だと教員が受講生1人ひとりを気にかけることはできません。というか,教員の立場からすると,ごく少数の目立つ受講生を除いて誰が誰だかわかりません。そうなると学生は緊張感をもって授業に臨むことができなくなり,高い学習効果を期待できなくなります。これがマスプロ教育に対する批判の基本的な論理です。COVID-19の流行下では,こういった批判に加えて,大人数であるため対面講義が難しいとして批判を受けるでしょう。マスプロ教育に対する各種批判はさらに高まっていきそうですね。もっとも,僕個人はマスプロ教育自体は必要だと考えていますけれども。知識がなければ何も始まらないですから。

 教員が大量の学生それぞれと関わることが難しいため,マスプロ教育の教育効果に疑問が呈されているとお話ししました。これは要するに「1人の人間が積極的な関心を持って関わることができる人数が限られている」ということを意味します。この「人間が関心を持つことができる人数」については研究が重ねられていて,その中でも有名なものとして「ダンバー数」というものがあります。提唱したのはイギリスの人類学者であるロビン・ダンバー(Robin Dunbar)です。日本では2000年代前半に流行った記憶があります。

 ダンバー数は「人間が安定的かつ円滑に人間関係を維持できる人数」を意味します。もう少しわかりやすく言うと,「お互いに顔と人柄などを明確に認識できる人数」です。この人数,どれくらいだと思いますか?ちょっと友人・知人を思い出してみてください。

 いかがですか?どれくらいの人数について具体的に思い返すことができましたか?この数についてダンバーは,平均的には150名程度であると述べています(実際には100〜250名の幅があるとも述べています)。僕たち人間がそれなりによくわかる相手の数はたったの150名程度にすぎない,ということですね。

 このダンバー数,実は企業経営にも取り入れられています。W. L. Gore & Associatesという企業があります。アウトドア用の衣服や防寒着に用いられる「ゴアテックス」という防水透湿性素材のメーカーです。W. L. Gore & Associatesは同じ社屋で働く人数が150名を超えると様々な組織的問題が生じると考えており,そのため同社の各社屋では150名までしか物理的に働くことができず,また150台分の駐車場所しか確保されていません。そして,駐車場所が満杯になると,新しい社屋を建設しています。ダンバー数に基づいた組織づくりをしているわけですね。ダンバー数は人類学に属する知識であり,経営学を専門に学んでいる学生にとっては人類学はいわゆる一般教養となります。一般教養は役に立たないと考える人もいますが,実際の企業が取り入れている事例などを見ると,活用次第であることがよくわかりますね。なんだって参考になるんですよ。きっと読み飛ばしているときもあるでしょうが,僕のこの余談も何かの参考になるかもしれませんよ(猛アピール)。

 ここからマスプロ教育の話に戻ります。たったの150名のことしかわからないのに,300名を超える授業をしろというのはなかなか難しいですよね。ヒトという生物の限界を超えています。マスプロ教育に対する批判への対応策は3つです。1つめの策は受講者数に制限を設けて大人数授業自体をなくすこと。ただ,これはあまり現実的ではありません。教員数や教室数に制限があるからです。経営的には経営効率が下がるので,大学は嫌がるでしょう。
 2つめの策は,大人数授業では教員と受講生の間の密な関係を放棄して知識の伝達に注力すること。少人数の演習科目で教員と受講生の密な関係づくりを図り,大人数授業は従来どおりの知識の伝達に注力するという役割差別化は実際に行われています。現状では妥当な策であると思います。
 これらに加えて,3つめの策もあります。それは,情報通信技術を活用して,ダンバー数の上限を引き上げるというものです。そもそも150名というダンバー数は,霊長類の脳の大きさと群の大きさとの間には相関関係があるという発見に基づき,人間の脳の大きさから推測することで導き出されています。脳(大脳新皮質)が大きいほど,群も大きいというわけですね。情報通信技術は,僕たちの脳の働きを補強してくれます。もし,僕たちが適切に情報通信技術を用いることができれば,あるいは情報通信技術がさらに発達したら,大人数でありながらも教員と学生との密な関係を築き,それがあるからこそ実現できる高い教育効果のある授業が可能となるかもしれません。

 遠隔授業は学生にとっても教員にとっても大変です。ただ,僕は遠隔授業を強いられることがなければ,それに利用可能な様々なツールを検討もしなかったでしょう。どちらかと言えば僕は保守的な人間ですから。したがって,大変は大変なのですが,今の状況をどちらかと言えばポジティブに捉えています。これまでできなかったことができるようになる可能性を見せてくれています。期末試験やレポートに関する情報が次から次へと発表されて大変な時期だとは思いますが,この状況を積極的に意味づけしていくことは,この大変さを乗り越えるためにも,この後に到来する社会を生き抜くためにも必要なことではないでしょうか。要は,自分が生きやすいように情報処理をしていきましょうということです。時には都合よく物事を考えることも必要ですよ。

2.前回の振り返り

 前回講義では,ルールによる人々の行動への働きかけについてお話ししました。ルールは人々の行動を一定の方向へと向かわせるために必要です。そして,いくつかのルールが束ねられた制度である「官僚制」が,組織に安定性と効率性をもたらすとお話ししました。
 この官僚制は,具体的には以下の6つの代表的なルールから成り立っていました。

・ルールに基づく職務の遂行
・文書に基づく遂行
・明確な職務権限の原則
・階層的な権限体系
・専門的訓練
・フルタイム勤務

 これらのルールに基礎づけられた官僚制の要素を持つことで,組織はインプットをアウトプットに変換する際のブレを小さくすることができます。この官僚制の要素は,現代における一定以上の規模を持つ組織に共通する重要な側面であると言えるでしょう。
 しかし,官僚制も良いことばかりではありません。上記のルールを持つからこそ生じてしまう逆機能,すなわちどうしても組織に与えてしまう悪影響があります。官僚制の逆機能として代表的なものとしては以下のものが挙げられます。

・手段の目的化
・最低許容行動
・顧客の不満足
・革新の阻害
・訓練された無能

 これらの逆機能は,官僚制的な要素を持つ組織であれば程度の差こそあれ生じる可能性が常にあります。官僚制の機能を享受しつつ,これらの逆機能をどのようにして抑制するのかが,現代組織の1つの課題であると言えるでしょう。

3.前回課題のフィードバック

<課題1>
 あなたが経験した理不尽なルールについて述べてください。そして,そのルールには何の目的があり,その目的達成のためにそのルールは妥当であったかを評価してください(要するにワーク①とワーク②で考えた内容を教えてください)。

 私が生まれ育った地域の小中学校には、代々受け継がれている無言清掃をする習慣がありました。全国的に見ても、徹底して無言清掃に取り組んでいたことから、遠方の教育関係者が視察に来たこともある程でした。小学校の頃から、無言清掃は文化であり、掃除の時間は会話してはいけないと先生に言われていて、掃除に関係ない会話はもちろんのこと、掃除に関する会話をしていても叱られることもありました。当時はなぜ掃除を無言でやらないといけないのかという理由は分からずにやっていました。無言清掃を徹底する理由は、無言で掃除をすることにより、掃除に集中することができ、汚れている箇所に気づくことができる。また、生徒に会話をさせないことで掃除をサボることを防ぐ目的があったように思えます。このような目的があって無言清掃が徹底されていたと考えると、無言清掃は妥当であると感じます。
 一方で、掃除に関係のあるコミュニケーションを取ることができなければ、生徒同士で連携して掃除を行うことが出来ず、結果的に完璧な掃除ができないこともあるのではないかと感じます。たしかに無言清掃は掃除の質を向上させるために効果的であると思いますが、ある程度のコミュニケーションをとることも効果的な掃除には必要であると考えます。

 無言清掃,初めて聞きました。変わった習慣マニアの僕にはたまりませんね。教えてくれてありがとうございます。
 たしかにおしゃべりをしないと集中して素早く適切に掃除を終わらせることができますよね。ただ,回答者も述べている通り,必要なコミュニケーションによって,さらに効率的に掃除を終わらせることもできます。そう考えると,無言清掃というルールは改善の余地がありそうです。
 他方で,小中学校があくまで教育機関であり,掃除の時間も教育であると考えると,この無言清掃の評価が少し変わるような気もします。教室をきれいに保つことはたしかに重要です。しかし,学校は掃除をうまくできるようにする場所ではありません。それよりももっと根本的な能力を養う場所です。この無言清掃は,必要なときに意図的に集中する能力を養うための,1つの象徴,あるいは儀式だったのではないでしょうか。極端な習慣や儀式を通じて,その組織が大事にしていることを学びとるということはよくあります。そう考えると,この無言清掃は集中力を養うための手段として妥当であったのか,という評価をする必要があります。

 高校の時に所属していた生徒会での話です。どこの学校でも生徒会は学校行事の準備に駆り出されると思いますがその際に理不尽だと思うことがありました。私は実家(香椎)から早良高校に通っていました。バスで通っていたので片道約1時間30分かかっていました。香椎⇔天神⇔早良でした。香椎⇔天神は夜遅くまでバスがありますが早良⇔天神は8時くらいまでにバスに乗らねば帰れなくなってしまうのです。私の所属していたスポーツ科の先生達もみんな事情を理解してくれていたので遅くまで学校に残らねばならなかった時も考慮してくれていました。
 しかし生徒会の先生は違いました。学校行事の準備で学校に残る際も時間のことなどは考慮してくれず、みんなの和を乱すとして帰ることは許されませんでした。ですが帰れなくなると言いに行っても「親に迎えに来てもらえばいいじゃないか。みんなは残っているんだぞ。」と言われて終わりでした。あほらしくなって事情を知らない他の先生に帰ると伝言をお願いして帰っていましたが。
 説明がとても長くなってしまいましたがルールとしていかなる理由があろうと皆の和を乱すことは許されないというあのルールが嫌いでした。このルールの目的としてはただ先生が生徒をいう通りに従わせたかっただけだと思います。あまり治安が良いとは言えない学校でしたので、「俺(先生)の方がお前たち(生徒)より強いんだぞ。」ということだったのではないかと思います。ですがこれは逆効果です。そんな理不尽な押さえつけられ方をして嫌われない訳がありません。私以外の生徒会役員や生徒にも嫌われていました。なのでもちろん、その先生の言うことを聞く生徒なんてほとんどいません。私はここまで典型的な「逆効果」もっと汚く言うと「ただのバカ」という言葉が似合う人が存在していたことが驚きでした。

 かなりの念を感じる回答,ありがとうございます。強い思いがバシバシ伝わってきますね。しかしまあ,これはなんとも理不尽ですね。理不尽のお手本のようです。
 回答者はこのルールを「教師が学生よりも強い立場にあることを示すためにある」と理解しました。これを少し学術的に説明してみましょう。AさんがBさんに対して「強い」というのは,「AさんがBさんに対してパワーを行使できる」と言い換えることができます。このパワーというのは腕力とかではなくて,「相手の行動をコントロールする影響力」です。要するに,AさんがBさんを(ある程度)思い通りにコントロールできるとき,AさんはBさんに対してパワーを有しているということができます。
 相手に対してパワーを有しているか否かは,相手がこちらの要求を承諾するか否かでわかります。ただ,正当な要求であればパワーを行使せずとも相手は承諾します。それに対して相手にとって理不尽な要求というのは,パワーを行使しないと承諾されません。相手にとって正当ではないからです。つまり,理不尽な要求を承諾させようとするということは,相手に対する自分のパワーを確認する行為であるのかもしれません。
 この教師が,自分は生徒よりも強い立場にある,すなわち生徒に対してパワーを有していると考えており,それを確認するためにこのような理不尽なルールを設定していたとします。しかし,回答者は「その先生の言うことを聞く生徒なんてほとんどいません」と述べています。つまり,教師は生徒に対する自分のパワーを確認することができていないわけです。そうすると,自分のパワーを確認するために,さらに理不尽な要求をする可能性があります。でも,やっぱり生徒はその要求を承諾しません。すると,また教師な理不尽な要求をする…という悪循環にはまっていそうです。ちょっとした地獄絵図ですね。実際にはどうだったでしょうか?また教えてくださいね。


<課題2>
 本日の講義noteでお話しした「官僚制の逆機能」から1つを選び,それによる組織への悪影響を極力小さくするにはどのようにすればよいか,あなたの考えを400字程度で述べてください。

 最低許容行動について述べたいと思います。最低許容行動による組織への悪影響を小さくするためにはインセンティブがやはり簡単で分かりやすいのではないかと思います。そのインセンティブの中には昇進による基本給のアップや、何かの表彰プログラム(例:各支部の成績上位2名等は全社員に公表され1万円出る等)があれば組織メンバーは成果を出そうとするのではないかと思います。
 簡単に言えば評価されることをすれば昇進のチャンスが十分あり、最低許容行動を続けるならば毎年評価が下がっていきリストラなどです。リストラは少し過激すぎるかもしれませんが評価基準をきっちり作成し公表するのであれば問題ないと思います。最低許容行動を続ける人がいることはメンバー間の士気にも影響します。成果を上げれば上げるほど認められる。目に見える形でフィードバックがある。これはとても重要に思います。
 しかし、これは結果主義です。すなわち、まじめに取り組んでいても成果が出せない人は評価することが難しいです。頑張っているのに評価されにくいという新たな課題が出てきます。
 そして一番の懸念はメンバーが協力せず個に走るだろうということです。先ほど述べたように結果主義ということは、それぞれが見つけた成果の出し方、効率のいい成果の出し方をそれぞれが誰にも知られないように隠すのではないかと思います。本来であればできる者ができない者に教え、メンバーみんなでステップアップを目指すものです。そうすれば頑張っても評価されない人が出ることも少なくなるでしょう。
 私が提案した結果主義は最低許容行動による組織への悪影響が少なくなる代わりにまた別の問題が出てくるので、実現するには改良が必要だと思います。

 この回答者は,ルールによって定められた行動しかしない「最低許容行動」について考えてくれました。論理はシンプルで,最低許容行動を超えた自発的な行動に対する金銭的あるいは評価におけるインセンティブを設定するのはどうか,というものです。より積極的な行動を促すために何かしらの外発的なインセンティブを設定することは確かに効果的なことがあります。
 ただ,回答者も述べているように,金銭的インセンティブを設定すると,また別の問題が生じると言われています。回答者が言うところの「結果主義」は,実務や経営学の文脈では「成果主義」と呼ばれますが,少なくとも日本の大企業で成果主義を全面的に導入して成功した企業はあまりありません。大企業における成果主義導入の失敗事例としては,富士通が有名です。その詳細についてはここではお話ししませんが,最終レポートで人々の動機づけに触れたいのであれば,成果主義に関する書籍はいくつか目を通してもいいかもしれませんね。
 また,最低許容行動に対して,何かしらのインセンティブを設定することで行動の範囲を広げるという対策には,実は根本的な難しさがあります。最低許容行動は,官僚制を形作る「明確な職務権限の原則」の逆機能として生じるものです。明確な職務権限の原則それ自体は,何も悪いものではありません。これがあることで,組織メンバーは自分の仕事の範囲がわかるので,それに専念できます。
 しかし,それを超える範囲での自発的な行動を求めるということは,この原則に反します。それによって,自分がすべき職務が疎かになる可能性があります。そうしてしまうと,その自発的な行動が他のメンバーと重複してしまうなどの混乱が生じる可能性があります。逆機能は単純なデメリットというよりは,「その機能を果たすがゆえにどうしても生じてしまうもの」です。つまり,機能に逆機能が潜在的に内在していると言えます。逆機能への対処って,すごく難しいんですよ。もし僕が組織を設計するのであれば,この最低許容行動をカバーするために「他の職務を超えた範囲の問題に対処する」職務を設置するでしょうね。

 官僚制の逆機能の1つである、手段の目的化について、組織への悪影響を極力小さくするためには、組織内のルールの是非について、定期的に組織に属する全員が参加できる形で協議する場や制度を設けることが必用だと考えた。
 官僚制が、可能な限り、インプットをアウトプットに変換する際のブレを小さくすることを目的とした制度であるため、例えば組織の理念やルールの目的についての理解が無い状態でアウトプットを行っている組織のメンバーが居たとすると、そのメンバーは作業の先にある目的を認識することができず、ルールにのっとって作業を行う事しかできなくなってしまう。
 逆に、作業を始める前に、その作業が持っている意味や、行わなければならない理由についての理解する場があったならば、自分が行う作業について、あくまでも、それがある目的のための手段であるとメンバーが認識することができる。
 そうなるためには組織全体がある程度納得できる形のルールがなければならないため、組織のルールの是非について定期的に全体が議論することは、手段の目的化を予防することに繋がると考えた。

 次の回答者は,「手段の目的化」について考えてくれました。手段の目的化は様々な官僚制の逆機能を引き起こす根本的なものと考えられ,とても重要です。それを防ぐために,目的達成のための手段であるルールが,目的にどのように貢献するのかを組織メンバー全体で理解する必要があるのではないかと,回答者は考えてくれました。
 たしかに,メンバー全員がルールと目的の間にである関係を理解することが大事です。それは間違いありません。しかし,考えてみてほしいことがあります。それは,全員で同じように情報を共有することが困難なほどに巨大化した組織においてそれが可能であるか,ということです。これはとても大事な点ですので,図を用いて詳しくお話ししますね。

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 上の図は全員で6名からなる小規模な組織を示しています。リーダー1名,その他が5名です。これくらいの規模であればリーダー1名で全員の面倒を見ることができます。ある程度はお互いの為人(ひととなり)も理解しているでしょう。直接コミュニケーションをとってメンバー全体で何かを共有できる可能性も高いでしょう。なお,上司と部下の関係は「管理」と言ったほうが学術的には正確なのでしょうが,僕は「管理」という言葉に少し違和感を覚えているので,ここでは「面倒を見る」としています。

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 しかし,上の図に示したように,組織は時間の経過とともにその規模を拡大していく傾向があります(もちろん活動が順調であればですが)。すると,かつてのように1名のリーダーで全員を把握し面倒を見ることが難しくなります。
 そうなると,リーダーは自分以外のメンバーにも,他のメンバーの面倒を見てもらう必要が生じます。このときに初めて,管理職(マネジャー)が設定されます。組織の階層は,組織の規模が拡大すると確実に生じるものであると言えます。管理職を設定した組織を示したのが下の図です。

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 この組織は3つの階層からなっていますよね。新しく第2階層の3名を管理職としたことで,第1階層のリーダーが直接的に面倒を見るのは第2階層の3名に限定されます。しかし,第2階層の3名の管理職がいなければ,リーダーは直接自分以外の12名の面倒を見なければならなくなります。これは大変です。この講義noteの冒頭にある余談では,平均的なダンバー数は150名であるとお話ししました。そう考えると,150名まではなんとかなると思うかもしれませんが,そう簡単にはいきません。人間の組織的な営みと関わる研究分野においては,スパン・オブ・コントロール(span of control)という考え方があります。これは,1人の上司が直接関与できる部下の数を示しています。その数は状況によって異なりますが,概ね7名前後と言われています。ダンバー数と比較すると,ずいぶんと少ないですよね。
 ですが,ダンバー数はそもそも認知できる150名をすべて同列の存在とは考えていません。関わりや認知の深さによって,その150名はいくつかの階層に分類されます。詳細は以下のサイトの中程にある「Layers & Levels」の節をご覧ください。

 もっとも関わりの深い第0階層には自分の危機に駆けつけてくれるような強い絆で結ばれた人々が分類されますが,それは150名中3〜5名程度しかいないとされます。その次の第1階層には親しい友人などが分類されますが,それでも12〜15名程度です。つまり,平均的なダンバー数である150名の大半は,それほど強い結びつきがあるわけではない人々で占められているわけです。上司が部下の面倒を見る場合,ただなんとなく部下のことを知っていればいいわけではありません。彼/彼女の特性,たとえば何に強く動機づけられるのかなどを踏まえて面倒を見ていかないと,適切な協働ができません。組織における上司と部下の関係は,一般的な友人関係よりも知的負荷がかかると考えられそうです。これを踏まえると,一般的なスパン・オブ・コントロールを7名前後と考えるのは,それなりに妥当であると思えますね。
 
 ちょっと遠回りしましたが,そろそろ課題への回答について改めて考えていきます。1人の上司がそれほど多くの部下の面倒を見ることができないとなると,組織の規模が拡大しメンバー数が増加するにつれて組織の階層も増していくことになります。そうすると,組織の上層と下層の距離が離れていきます。距離が離れると,お互いの考えがわからなくなります。そのような高い階層からなる組織において,果たして全員が特定のルールの目的について,同じように理解することが可能でしょうか?繰り返しますが,組織の規模と組織階層の数はそれなりに相関します。たしかにルールの目的を組織メンバーで共有するのは重要です。しかし,その実現は一筋縄ではいきません。難しいからこそ,考える価値があるとも言えますね。

 ちなみに,冒頭でも少し触れましたが,情報通信技術の発展に伴ってスパン・オブ・コントロールも拡大されていくのではないかという議論がかつて存在しました。階層が極めて少ないフラットな組織に関する議論です。しかし,組織のフラット化が進んだかというと,必ずしもそうではないように見えます(意図的に組織規模を限定すれば可能でしょうが)。組織の多層化とそれに伴う問題は,避けることが難しいように見えますね。こちらも,だからこそ考える価値のある重要な問題です。ぜひぜひ,こういったことに関心を抱いてもらえると嬉しいです。困難な問題って歯応えがあっておもしろいですからね。考えすぎて疲弊する経験はとても価値がありますよ。

4.講義内容:組織構造

構造とは何か
 いやあ,ここまで長かったですね。予想外です。僕としてはすでに一仕事終えた感があり満足しているのですが,そうも言っていられないので本題に入ります。

 この講義は,組織における協働を1つのテーマとしています。組織のリーダーは,いかに組織メンバー間の協働を促して組織目標を達成していくかを問われます。したがって,リーダーはメンバー間のスムーズな協働を促すための施策や工夫,仕組みづくりをしていく必要があります。
 この視点でこれまでの講義を振り返ってみましょう。第3〜8回講義はメンバーの心理を理解することを目的としていました。メンバー間の協働を促すということは,メンバーを協働に動機づけることに他なりません。そのためには人間が何に,そしてどのように動機づけられるのかを理解する必要があります。また,メンバーが同じ価値観を共有していると,協働はスムーズなものとなります。個人や集団の心理を理解することは,より良い協働に不可欠であると言えます。
 一転して第9回講義では,心理のようなメンバーの内面に働きかけることで協働を促すのではなく,ルールによって外側からメンバーの行動に規律を持たせることの重要性についてお話ししました。具体的には「官僚制」という,いくつかのルールからなら制度をによって組織がいかに効率性と安定性を確保しているのか,ということについてお話ししました。効率的で安定的ということは,効果的な協働ができていると考えられますからね。
 今回の講義内容は,前回講義と同様に,メンバーの外側からその行動に働きかけることをテーマにしています。ただ,その内容は,前回講義でお話ししたルールの用に明示的なものではありません。知らず知らずのうちに僕たちの行動を規定するものについてお話しします。この「知らず知らずのうちに僕たちの行動を規定するもの」とは,すなわち「構造」です。今日のテーマは「組織の持つ構造」についてです。

 そうは言っても,「構造」ってなんだかわからないですよね。構造という言葉から,あなたはどのようなイメージを抱きますか?たとえば建物には構造がありますよね。建物の構造と聞いてイメージするのって,下のようないわゆる「図面」だとか「設計図」ではないですか?

図面1

図面2

https://www.sumai21.net/area/tochigi/sumai21-utsunomiya/blog.php?blog_id=18291 より引用

 こういった図面や設計図は,建物の間取りはどれくらいで,それぞれの部屋はどのような配置で,柱や梁はどこにどのようなものがあって…ということを示したものです。少し抽象的に言い換えると,全体(=建物)があり,その部分(部屋や柱など)同士の関係を示しています。これが構造です。

 構造は様々なものに見出すことができます。僕たち人間の身体,すなわち人体にも構造はあります。僕たちの身体(=全体)は多数の臓器(=部分)から構成されており,それらの関係性は決まっています。食道と胃,胃と小腸,小腸と大腸はつながっています。これらの関係性は基本的には常に安定的です。ある日は食道と胃が直結しているのに,別の日はいきなり食道が大腸とつながってしまったら体内が大騒ぎですよね。臓器は僕たちの生命を維持するためにあり,それらはそのためにそれぞれの役割を果たしています。その役割を安定的に果たしていくためには,他の臓器との関係も安定的である必要があります。構造は「全体を構成する部分間の安定的な関係性のパターン(あり方)」であると定義できます。


分業と組織構造
 構造は,組織にも見出すことができます。そして,組織メンバーはこの組織構造によって行動の範囲を限定され,また方向付けられます。構造について考えるには,何が全体を構成する部分なのかを理解する必要があります。
 ここで思い出してほしいのは組織の定義です。組織とは「2人以上からなる,意識的に調整された人間の活動や諸力の体系」と定義されていましたね。「体系」とはシステム,つまり「複数の構成要素(部分)からなるもの」を指す言葉ですので,組織の部分とは「意識的に調整された人間の活動や諸力」となります。

 では「意識的に調整された人間の活動や諸力」とは何なのでしょうか?「意識的に調整された」は「決まった役割がある」と言い換えることができます。ここからは飲食店の経営を通じて考えてみましょう。
 誰も雇用せず1人だけで経営している飲食店では,1人で経営から会計まですべての役割を担っているため意識的な役割調整は生じません。意識的な役割調整が生じるのは,誰かを雇用することで組織メンバーが複数になったときです。そもそもの組織の定義からしてもそうですよね。
 組織メンバーが複数になると,それぞれに役割を設定する必要が生じます。複数の組織メンバーが思い思いに仕事をすると困るからです。全員キッチンに入ってしまうかもしれませんし,全員レジに突っ立ってしまうかもしれません。全員が集客のための呼び込みをするために店外に行ってしまったら,お客さんは待ちぼうけを食らってしまいます。これでは複数の組織メンバーが存在する意味がありません。1人でやったほうがまだマシです。1人よりも組織のほうがより多くのもの,より価値のあるものを生み出すことができるのは,単純に働き手が多いということもありますが,それ以上に重要なのは組織メンバーが異なる役割を担い,それぞれがその役割に専念するからです。組織メンバーが異なる役割を担うことを分業(division of labor)と呼びます。この個人レベルでの分業が,組織を構成する最小単位です。飲食店で言えば,キッチン,ホール,レジ打ちなどに仕事を分けることが分業に該当します。分業が組織の部分ですから,組織構造は「組織を構成する分業された役割同士の安定的な関係性のパターン(あり方)」であると言えます。

 適切に分業をすると,組織の効率は飛躍的に向上します。その理由は2つあります。1つめの理由は,仕事を切り替える無駄を省くことができるからです。キッチンとホールを兼ねるとなると,キッチンとホールを移動する手間が生じます。また,このご時世ですから,キッチンで調理をする前には入念な手洗いが必要になります。細かい頻度で移動や手洗いをしていると時間の無駄ですよね。でも,ホール担当とキッチン担当を明確に分けておけば,こういった仕事の切り替え自体が生じることがありません。 適切に分業をすると,組織の効率は格段に向上します。その理由は2つあります。1つめの理由は,仕事を切り替える無駄を省くことができるからです。キッチンとホールを兼ねるとなると,キッチンとホールを移動する手間が生じます。また,このご時世ですから,キッチンで調理をする前には入念な手洗いが必要になります。細かい頻度で移動や手洗いをしていると時間の無駄ですよね。でも,ホール担当とキッチン担当を明確に分けておけば,こういった仕事の切り替え自体が生じることがありません。
 2つめの理由は,ある仕事に専念することで,その仕事に慣れていくからです。複数の仕事を掛け持ちすると,1つの仕事に取り組む時間が短くなります。仕事への慣れは,ある程度はその仕事に取り組んでいる時間と比例しますから,複数の仕事を掛け持ちすると慣れるのが遅くなります。そうすると,仕事の効率が上がっていきません。ですが,1つの仕事に専念すれば,その分その仕事に取り組む時間が長くなりますから,慣れも早まります。

 分業は組織の基本であり本質です。繰り返しになりますが,分業がなされているからこそ,組織は個人よりもより大きな成果を上げることができるのです。したがって,仕事をどのような単位に分けるのか,そして分けられた仕事同士をどのように関係づけるか,つまり組織構造をどのように設計するのかは,組織の効率に大きく影響を与えます。

組織構造の設計パラメータ
 では,組織構造はどのように設計されるものなのでしょうか?組織構造は以下の5つのパラメータにしたがって設計されます。

① 分業・専門化の程度
 分業の細かさを指します。限定されたとても小さな単位で分業することもあれば,ある程度の幅を持たせることもあります。たとえば飲食店のケースではキッチンやホールという仕事内容の単位でざっくりと分業していましたが,実際の和食店ではキッチンの仕事が揚げ物担当や焼き物担当のように細かく分けられています。

② 標準化の程度
 仕事の進め方が定められている程度のことを指します。マニュアルでガチガチに定められていることもあれば,個人の裁量に任されている場合もあります。

③ 公式化の程度
 組織内の規則や仕事の進め方を文書化する程度や,その文書にしたがう程度のことを指します。官僚制とも関わりますね。官僚制組織は,とても公式化の程度が高い組織であると言えます。

④ 階層の数
 階層の数が多いか少ないかを指します。前述したように,これは組織の規模にある程度比例します。
 
⑤ 集権化・分権化の程度
 これは権限委譲の程度と言い換えることができます。階層の上位に権限が集中している場合を集権的,下位である現場にも権限が以上されている場合を分権的と呼びます。


基本的な組織構造
 
このような設計パラメータにしたがって組織構造は設計されます。パラメータは5つもあり,それらをどの程度にするのかは組織によって異なるので,組織によって組織構造は異なります。ですが,組織構造にはいくつかの基本的なものがあるとされます。ここでは機械メーカーA社がビジネスを拡大していくプロセスにおける組織構造の変化を通じて,組織構造の基本について理解していきましょう。


<職能別組織>

機能別組織

 A社は,設立当初はテレビしか作っていませんでした。したがって,組織構造はとてもシンプルで,仕事の内容で分業していました。仕事内容による分業を基本とした組織構造を「職能別組織」と呼びます。ほとんどの企業は,設立当初から幅広い製品・サービスを手掛けることはありません。したがって,まずは職能別組織を採用することが場合が多くあります。この職能別組織では,組織メンバーはそれぞれの仕事に専念できるため,専門性を高めることができ,それによって組織の効率は向上します。
 
 しかし,職能別組織にはいくつかのデメリットもあります。1つめのデメリットは,評価基準が曖昧であるというものです。この企業のテレビが顧客に買ってもらえたとします。その成果はいったい誰のものでしょうか?顧客に直接テレビを売ったのは営業です。でも,営業の力だけで売ることができたわけではありません。そのテレビを生産したのは工場の人々です。さらに,そのテレビの部品を調達したのは購買部の人々です。このように,1つの製品には数多くの部門,数多くの人々が関与しています。誰がどれだけ組織の成果に貢献したのかを測定するのは容易ではありません。

 2つめのデメリットとして,部門間の対立が挙げられます。営業部門は売上をいかに増やすのかを,生産部門である工場はいかにコストを下げるのかを,それぞれ考えます。この考えは対立することがあります。僕にはあるメーカーに勤めている知人がいます。彼はある製品の原価計算を担当していたため,工場の人々と接する機会が多くあったのですが,ある日,工場に勤める人がこう言ったそうです。

「営業の奴ら,簡単に値引きしやがる…!」

 工場の人々は,製品のコストを1円でも下げるために日々努力をしています。それに対して,営業はとにかく製品を売らなければならないので,買ってもらうために大幅な値引きをすることがあります。工場の人々からすると,自分たちが懸命に下げたコストを,営業が一瞬で無駄にしたように見えるわけです。これはどちらが正しいというわけではありません。製品を売らないと売上も利益もありません。どちらが正しいわけでもないから難しいんですよね。

 3つめのデメリットとして,トップ(社長)の大きな負担があります。職能別組織を示した図を見ても分かるとおり,社長が直接すべての部門の面倒を見ています。これは大変です。社長の仕事は,本来であれば組織の将来像を描き,そちらに向けて組織を調整していくことです。したがって,過剰に現場に関与することは望ましくありません。しかし,図で示したような組織構造では,社長が直接各部門とつながっています。これでは社長に大きな負担を強いてしまい,本来の社長の仕事に専念することができません。

<事業部制組織>

事業部生組織

 順調に売上と利益を伸ばし続けたA社はその事業範囲を広げ,近年ではスマートフォンまで手がけるようになりました。しかし,テレビとスマートフォンでは顧客も異なれば,工場も異なります。それらをまとめてしまうと非効率です。営業部であれば,テレビとスマートフォンの両方について勉強しなければなりませんし,工場であればテレビを生産する工場でスマートフォンもつくるとなると,生産ラインの組み替えがものすごく面倒です(たぶん,できません)。そのため,手がける製品によって分業することにしました。このような事業(製品カテゴリー)ごとに必要な役割をまとめた組織構造を事業部制組織と呼びます。事業部制組織を示した上の図を見ると,テレビを扱う家電事業部の中に営業部,工場,経理部がありますよね(実際の事業部にはもっと様々な部門がありますが省略しています)。これらと同じものがスマートフォン事業部にもあります。事業部制組織では,1つの事業部があたかも1つの独立した企業のように振る舞います。そして,そのために必要な様々な部門を,それぞれの事業部がその内部に有しています。各事業部が高い自律性をもって事業活動を行うことが,事業部制組織の特徴です。

 この事業部制組織のメリットとして,社長が長期的な意思決定に専念できるということが挙げられます。事業レベルの意思決定は,各事業部のトップ(事業部長)に任されています。社長が事業部長に権限を委譲しているわけです。それにより,社長は事業レベルの意思決定から解放され,全社レベルかつ長期的な意思決定に専念できます。

 また,評価が明確であるということも,事業部制組織のメリットとして挙げることができます。それぞれの事業部ではまったく異なる製品を手掛けており,しかも事業部の活動はそれぞれで完結していますから,他の事業部との関係をあまり考慮する必要がありません。

 さらに,事業部制組織は人材育成の面でもメリットがあります。前述のとおり,事業部は1つの企業のように事業活動を行います。したがって,そのトップである事業部長は,企業の社長のような役割が求められます。その経験は,経営者としての能力を向上させます。それによって,将来有望な社長候補を育成することができます。

 しかし,職能別組織と同様に,やはり事業部制組織にもデメリットはあります。1つめのデメリットは,部門の重複です。前述のとおり,各事業部はそれぞれが1つの企業として振る舞うための様々な部門を有しています。それは必要なことではあるのですが,本来であれば事業単位で持つ必要がない部門まで各事業部が持ってしまうことがあります。これは無駄ですよね。

 2つめのデメリットは,短期的な利益を優先してしまう可能性があることです。事業部制組織では,一定期間内にその事業が挙げた成果に応じて予算が配分されます。予算がたくさんあれば新しいことができ,さらに高い評価を得ることができるので,各事業部は予算を獲得するために努力します。これ自体は問題ないというか,むしろ事業部制組織のメリットなのですが,これがいきすぎると予算を獲得するために短期的な利益ばかりに目が向いてしまうことがあります。短期的な利益の追求は,長期的な利益の獲得と相反することがあります。長期存続が企業経営の大前提だとすると,それはあまり良いこととは言えません。

<マトリクス組織>

マトリクス2

 なんだか複雑な図が出てきましたね。これはマトリクス組織という組織構造を図示したものです。マトリクスとは,数学でいうところの「行列」です。「行列とか知らねーわ」という人もいるかもしれませんね。安心してください。僕も知りません。僕は数Ⅱまでしかやってませんからね。行列は「縦の関係と横の関係がある」くらいに思ってください。上の図でも,横軸である行に事業を,縦軸である列に地域をそれぞれ置いています。
 
 さらなる事業拡大を進めるA社は,とうとうグローバル展開をすることになりました。しかし,世界の各地域ではそれぞれ異なる対応が求められます。そこで,従来の事業部制組織にさらに世界の地域という軸を加えて分業することにしました。このような複数の軸で分業している組織構造をマトリクス組織と呼びます。同じ家電事業であっても,北米と東南アジアでは好まれる製品も流通チャネルも異なります。複雑な環境に対応するためにマトリクス組織は採用されます。
 マトリクス組織は,コンサルティング・ファームで採用されているのをよく目にします。コンサルティング・ファームは,業界・産業という軸と,コンサルティング内容という軸によって分業しています。「自動車産業(業界・産業軸)における人材開発(コンサルティング内容軸)」のようなイメージです。このように,マトリクス組織では様々な属性が分業のための軸として採用される可能性があります。

 しかし,図を見ても分かるとおり,マトリクス組織は複雑です。この複雑性がマトリクス組織のデメリットです。もっとも左上にある「家電事業部ー北米」に属する組織メンバーには,家電事業部長と北米地域を統括するリーダーという2人の上司がいます。この2人の上司は,必ずしも整合性のとれた指示を出すわけではありません。矛盾する指示を出すこともあります。そうしたとき,どちらの指示を優先すべきかは判断に悩みますよね。このような1人の組織メンバーに対して2人の上司がいることを「Two-Bossシステム」と呼びますが,このシステムでは上司同士の事前の綿密な調整を欠かすことはできません。


 ここまで,基本的な組織構造として職能別組織,事業部制組織,マトリクス組織の3つについて説明してきました。もちろん,それぞれの内容についても理解してほしいのですが,さらに理解してほしいのは,状況によって組織が採用する組織構造は異なること,そしてデメリットのない組織構造などないということです。どのような組織のあり方が良いのかは,組織が置かれている状況に依存します。また,前回の官僚制に関する議論で学んだように,どれほど優れた取り組みや仕組みにも,必ずデメリットがあります。光があるところには影もある,あるいは光が影を生み出す,ということですね。組織構造を設計する際にも,このことを理解し,デメリットをいかに抑制するのかを事前に考えておくことが重要であると言えるでしょう。

5.終わりに

 今回の講義では組織構造という,僕たちの行動をひっそりと規定する要因についてお話ししてきました。まだあなたは大規模な公式組織に所属したことはないでしょうから,少し組織構造のイメージが湧きにくかったかもしれませんね。それでも,組織構造はただ形としてあるのではなく,それにより組織メンバーの行動範囲を限定するものだということだけは理解しておいてください。

 組織構造はイメージしにくいかもしれません。しかし,重要なのは,そのままでは目に見えないことに目を凝らすこと,イメージしにくいことを想像することです。僕は言葉が好きで,いろんなことを言葉という切り口で眺めるのが癖なのですが(こういった知的姿勢を哲学では「言語論的転回」(linguistc turn)と言います),人間とそれ以外の動物を分けるのは言語を使用するか否かだと言われています。人間以外の動物は,経験したことしか考えることができません。言葉を使えないからです。言葉は,未だ経験していないことを想像する助けとなります。スタジオジブリの作品で「紅の豚」がありますよね。ジブリの作品の中で僕がもっとも好きなものです。その劇中に,「飛ばねえブタはただのブタだ」というポルコ・ロッソの有名なセリフがありますが,そもそもブタは飛びません。ブタが飛んでいたらシンプルに邪魔です。でも,僕たちはブタが空を飛ぶことを想像できます(できますよね?)。なぜ想像できるのかというと,「空飛ぶブタ」と言葉で表現できるからです。

 「言葉で表現できなくても,画像として空を飛ぶブタをイメージできるやんけ!」と考える人もいるかもしれません。しかし,順序としては言葉が先行します。なぜなら,ブタが「ブタ」という言葉で呼ばれていることを知らなければ,絶対に「空飛ぶブタ」をイメージすることはできないからです。仮にブタについてよく知っていても,それが「ブタ」と呼ばれていることを知らなければ,「ソラトブブタ」という言葉を聞いてもブタを想起することはありません。僕たちは対象について言葉で表現できるからこそ認識できるのです。
 組織構造は図で示されますが,それが実体としてあるわけでは決してありません。組織メンバーの分業と調整の安定的なあり方を組織構造と呼んでいるだけです。それでも僕たちが組織に構造を見出すことができるのは,「組織構造」という言葉を知っているからです。この言葉を知っているからこそ,僕たちは組織構造について考えることができ,そしてそれに働きかけることができます。
 言葉の力は強力です。言葉を駆使して見えないものを見えるようにしてやることで,その見えないものに自分以外の誰かがアクセスできるようになります。それにより,その見えないものの存在はより確かなものとして認識されていきます。宗教はまさにその典型だと言えます。言葉を武器にしましょう。この経営組織論を含めて,僕は担当するすべての講義科目でかなり長めのレポートを課しています。その理由はあなたに武器として言葉を身につけてほしいからです。文系は言葉を使いこなしてなんぼです。そのためには,とにかくアウトプットしていきましょう。Twitterでのつぶやきでもなんでも構いません。人目に触れる場所でのアウトプットを繰り返していくことで,言葉を使いこなす力は高まり,あなたが繰り広げる言葉の空間は洗練されていきます。自分をオープンにする機会やインターフェースを持っておくことを強くオススメします。

6.課題

 最近,期限間近に課題を提出する学生が増えています。これは別にみなさんを責めているわけではなくて,大変だなあと思っています。ですので,今回の課題は軽めにしておきます。あくまで本命は最終レポートです。

<課題>
本日の講義内容を400字程度で要約してください。


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