遠くに行きたい

2022/06/12(日) #33:hiko

また何もしなかった。
YouTubeを垂れ流しながらクソゲーを処理する。
これを何日も何時間もしている。
何度も言っている何もしないっていうのはこういうこと。
なんでこうなってしまうんだろう。
って考えるのと同時に、これは才能だとも思う。
こんなに何もしない日々を過ごせる人はなかなかいないのでは。

こういうのを生きながら死んでるっていうんだろうな。
でもさ、生きてるだけ偉いって言いたいじゃん。
生きていることの価値なんかなくてもいいじゃん。
それなのに、何故かざわざわする胸の奥は一体、何なんだろう。

あぁ、遠くに行きたい。

とまあ、病み詩人みたいなことを言ったところで、本題に戻ろう。

日記ということで、今日思ったことを書く。

大学4年の今、俺は人生の大きな岐路に立っている。
これから長い人生をどうやって生きていくか、否が応でも決めなければならない。
何も決めない、ということも一つの選択になる。

じゃあどの選択肢を取ればいいのか。
その答えは、まだ片鱗も見つかっていない。
それでも時間は進んでいく。
社会に取り残されていく。

それなら今いる社会から抜け出せばいいじゃん。
って思ったりした。
今いる社会ってのは、今の人間関係と常識とその他。

どこか遠くに行けば叶うんじゃないか。
そう思ったりした。
誰も俺に興味なくて、俺がどうなっても後ろ指刺されないような人との関わり方とか。
「こうあるべき」とかいう、よくわかんないやつとか。
そういうのから逃げて、欲しいものが手に入れられる気がした。

でもさ、皮肉なもんで、俺がどうなろうと既に誰も興味ないんだよね。
だったら今のままでいいだろって思うじゃん?
違うのよ。
だってもう考えてしまってるんだもの。

だからどっか遠くに行けば、考えなくて済むんじゃないかって期待してるわけ。
そこでも考えてしまうなら、そこで諦めるよ。

社会適合者で、精神が頑丈で、立派な人にはわからないだろうけど。

つまり、遠くに行って、自分のことで精一杯で、余計なこと考えないで済むようになりたいんです。
頭のいい人なら、この矛盾に気づいたでしょう。
これまた皮肉なもんで、そのときはきっと良く世の中のことを見れていて、わかったつもりになっている今の方がよっぽど自分のことで精一杯になってる。

あなあはれ。

結局のところ、ここ最近の口癖「遠くに行きたい」ってのは、本当に行きたいんじゃない。
それはたぶん、雨の日を好きになりたいみたいな。
嫌いなものを好きになりたいみたいな。
インアザーワーズ、

自分を好きになりたい

ってことだったり。

By hiko

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