卒業生たちの今、その3

先月かな、大濠公園の近くで10数年前の卒業生にばったり。この近くで個展を開くから打ち合わせをしていたとのこと。彼女の学年は、僕は特別な思いがある。
彼女たちが2年生の秋、東京デザインフェスタに学生約40名を引き連れて出店した。まあ出発から当日から帰りから、遅刻は多いわ言うこと聞かないわで、頭にくることばかり。まだ僕も若かった。とにかく腹がたって言う言葉もなく、福岡空港に降り立ち、「今日はまっすぐ家に帰り、みんな無事ついたら連絡するように」という担任の義務を怠り、すぐ解散した。
翌日携帯が鳴る。そのうち一人の学生が翌朝家に帰っている途中事故に遭い、意識不明の重体。どうも同級生数名とそのまま打ち上げをして、友達の家に泊まり、翌朝帰っている途中での事故。
彼女は東京に発つ数日前、翌年の成人式の前撮りをし、事故の数日後が二十歳の誕生日。
なんということか。意識が戻らないまま時間だけが過ぎて行く。僕はまっすぐ家に帰るように言えばよかったと後悔。
彼女は専攻を超えて学生から慕われ、僕ら職員からも慕われた学生。
勉強熱心で明るくみんなから愛される学生。2年生卒業後は研究生としてもう1年学校に残ることも決まっていた。
学生たちで千羽鶴を折り、音楽やっている学生は歌をつくり、彼女に届けた。事故から6日目の夕方、僕の携帯に親御さんから着信が。残念な知らせだった。
棺の中の彼女は、顔が小さくスタイル抜群だったのに顔は大きく晴れ上がり傷だらけ。もう誰だかわからない。
涙が止まらなかった。
絵が好きだったから、スケッチブックに「天国で立派なデザイナーになれ」と書いて棺におさめた。
卒業式、彼女の名前も読み上げた。返事は返ってこなかった。
その後、僕はとても責任を感じていた。専門学校もその翌年に辞めた。
あれから毎年、命日の月になるとお墓まいりに行く。
生きていたらもう30歳を超えている。立派なデザイナーになっていただろう。
死は突然訪れることもある。年齢も関係ない。
その後、僕は非常勤としてこの専門学校でまた教えている。
毎年学生にはこの話は必ずしている。そして卒業式、とにかく元気でいること、みんな僕より先に死ぬな。そして元気を過信しないこと。親を悲しませないこと。
それは自分自身にも言っていること。
だから、たまに卒業生と街でばったり会って元気な姿をみるととても嬉しい。
彼女と同級生に会うと、必ず彼女の話になる。生きていたらどんなヤツになっていただろう。もう結婚しているかな、子供もいたりしてって。
みんな、彼女の分まで一生懸命生きている。
個展を開く彼女は、イラストレーターとして活躍し、某大学のCMにまで使われた。心の中に亡くなった仲間がいて、仲間の分まで頑張らないとってエネルギーが、きっと源になっている。
みんな、がんばれ。僕もがんばる。

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