見出し画像

コヤニスカッテイをみてBARAKAを思い出す。


2019-02-09 21:22:24


この間、ドクター(夫、アメリカ人)が急にコヤニスカッテイという映画を観たいといいだしたので、そうだね、いつか借りてこようね、
と言っていたら、
今日、倉庫にある箱から出てきた。
どうも、私が昔、買っておいたらしい。
コヤニスカッテイというのは1982年のドキュメンタリー映画で、
なんだかとても素晴らしいんだという宣伝だけ覚えていた。
そしてどうしてもみないといけないと思いながら、
全然みることができずに、買ったことさえも忘れていた。

大体宣伝だけで、この長いカタカナの名前を憶えていること自体、すごいが、それは見た人の感想をどこかで読んでいて、とにかくすごいから絶対見ないといけないと思っていた。
そして今日見た。
1982年にこの映画はどうやって撮ったのだろう?
とずっと考えていた。
だいたいVFXはまだないし、ドローンもないし。
けれども、どこかで見たことがある画面が何度も出てくる。
みんな感動して、ここからヒントを得て映像作ってたのか、な、と。
最初はずっとアメリカの自然の景色ばかりでてくる。
でも退屈しないのは映像の力と音楽が緊迫感があるから。
雲がぐんぐんわいてくる、みたいな画面でも、何か一種の怒りのようなものを感じるのは私だけだろうか。
海の水とか、山の頂とか、決して、甘くない。
人間は一切出てこない。
それがそのうち、機械が出てくる。
人間が出てくる。
文明が出てくる。
汚染が出てくる。
混雑が出てくる。
という風に、どこか常軌を逸したスピードで、
物事や人々がベルトコンベアの上の作られていく商品のように、
描かれていく。
昔のニューヨーク。
混んでいて、混んでいる。
それをスピードを変えて、道路の混雑や、車の流れそのもの、とだぶらせていく。
人々の顔を丁寧に映していく。
たいてい笑っていない。
だいたい不安な顔。
これだけの映像の後にみると
私たちが正常に暮らしているのがおかしいんだと思わざるを得ない。
日本はバブルが始まる前、アメリカはベトナム戦争が終わり、その生き地獄のさまを描いた「地獄の黙示録」

の制作の数年後だから、アメリカのドキュメンタリーなんだと言われればわからないことはない。
コヤニスカッテイという言葉もネイテイブアメリカンのホピ族の言葉なんだと言われれば、怒りを感じるのも無理はない。
彼らから見たら、全部まやかしだし、不自然だし、バランス悪いよね。
絶対近代化が間違っている。

けれども、そういう気持ちと同時に私はこれ、BARAKAに似ていると思っていた。
そしてクレジット見てびっくり。コヤニスカッテイでフィルム(映像の監督)をとっていた人が、10年後のBARAKAでは(総合の)監督になっていたんだった。笑
BARAKA

BARAKAでは東京とか日本の風景が目につく。
これもグーグルマップが3Dになる前の話。
それでもBARAKAのほうはもう少し、機械文明を肯定していて、
ユーモラスですらある。映し出される景色も世界中の国々に出かけており、宗教なども含め、どちらかというと人類学的な、においがある。
どちらのフィルムもセリフはない。ナレーションもない。
けれども映像が力強いので、背景にはなりにくい。
何かをしながら見るというよりはどうしてもじっと見るしかない。

コヤニスカッテイのほうがAIの今を予言しているかなと思う。
AIに世の中乗っ取られるんだろうな的な恐怖は、最近始まったことじゃない。
ベルトコンベア自体、AIだったんだと。

全部、手遅れのようにも思う。
コヤニスカッテイを見ていると、人間は自然を破壊して、とんでもないものを築きあげてしまったんだ。取り返しがつかないと思う。そういう風に編集してある。
BARAKAのほうはもう少し人間のほうに愛がある。
というか、そうでも考えないとやっていけないほど、機械の中で私たちは
生きていかざるを得ない。

東京も今日も寒いみたいですけれども、北カリフォルニアも十分寒いです。
雨でどこもいけません。
(行く必要もないんですが)

今年は節分あたりから映画づいていますねー。
いよいよ作り始めるんでしょうかー?


Have a wonderful moment in your life!
SUJI ATHERTON

What an amazing choice you made! Thank you very much. Let's fly over the rainbow together!