シェフィールド・ウェンズデイのクラブロゴについて
『ロゴ』、『エムブレム』、『クレスト』、いくつか呼び方があると思いますがクラブを表す紋章について調べられた限りを紹介します。
1890年 FAカップ
この時のユニフォームにはシェフィールドの街が属するヨーク地方にまつわるヨーク家の家紋である白バラが刺繍されていました。
決勝に進出するもブラックバーンに1-6で敗戦。
1935年 FAカップ
実はこれはシェフィールドの街の紋章であり、頂上のライオンは領主ノーフォーク家の紋章から、青い部分の矢は以前の領主タルボット家の紋章から取ったもの。
「Sheffield」は「Sheaf川のそばの土地」という意味とされ、その土地に植っていた稲穂の束が緑の部分に描かれたと言われています。
鉄鋼業で発展した街らしく、ギリシャ神話の神バルカン(左の人物)は鍛冶屋のハンマーを持ち、右の北欧神話の神トール(右の人物)はハサミを持つ。
一番下にラテン語で書かれた『DEO ADJUVANTE LABOR PROFICIT』は『私たちの労働は神の助けにより成功する』という意味。
1956年から1970年まで
初の公式ロゴだがユニフォームには付けられることはなく。
ホームグラウンドがシェフィールド北西部のアウラートン(Owlerton)にあり、そこからアウルズ(Owls/フクロウ)との愛称が付いたようにフクロウが枝にとまる様子。
その下には1890年のロゴ同様にヨーク家の家紋である白バラ。
一番下にラテン語で書かれた『CONSILIO ET ANIMIS』は『知恵と勇気によって』という意味。
1966年 FAカップ
これにもフクロウ、白バラ、ラテン語のモットーが描かれています。
この大会でも決勝に進出したもののエヴァートンに2-3で敗戦。
ちなみに1960年代は様々なユニフォームが試され、色は青と白ながらストライプの太さが違うタイプがいくつか存在します。
1970年から1984年まで
1970年に地元の美術学生が考案したフクロウを線で描いた簡単なイメージに変更されたが、ユニフォームに刺繍されるようになったのは1973年。
ラテン語のモットーがなくなった。
1984年から1995年まで
1975年には3部まで降格していたが1980年に2部昇格。
1984年に1部に復帰した段階でフクロウの絵は変わらないものの青と金色または黒と金色で表すようになり、「SWFC」とクラブのイニシャルも追加。
1995年から1997年までと1997年から1999年まで
1970年まで使用していたタイプに似つつも、全く新しい形に。
ユニフォームと同じ様に青と白のストライプ柄。
一番上にはスタジアム名である「HILLSBOROUGH (ヒルズボロ)」、ヨーク家の白バラ、その下には枝にとまるフクロウが復活。
1997年にはヒルズボロの文字、白バラ、フクロウは変わらず、ストライプだけが抜かれた。
1999年から2016年
1970年から使用されていた線で描かれたフクロウと1984年まで使用されていた「SWFC」が復活。
2002年には登録商標であることを表わす「®」が追加された。
2016年から現在
2016年、新たにオーナーに就任したタイ人実業家デジホン・チャンシリ氏がサポーターとの協議の末、1956年に発表されたクラブ初の公式ロゴに戻すことを発表。
左が2016年、右が1956年。
枝とフクロウの大きさ、黒目の形が少し異なるくらい。
チャンシリ氏は
『あらゆる年齢層のサポーターとクレストについての多くの会話を楽しんだが、我々の伝統に沿った新しいクレストがより受け入れられることが直ぐに明らかになった。』
『クラブの豊かな伝統を研究し、あらゆる面で私の目を引いたクレストは1950年代の最初の公式デザインであり、実際にチームのシャツに使われたことがないという事実に魅了された。』
とコメント。
※訂正や追記などあれば、ぜひ教えて下さい。
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