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いつか止めよう、その鈍い絶望を

最寄り駅。家を出て1時間、ずっとぼーっとしていたが、母が作ってくれたお弁当を食べ始めた。意外にも切ない味はせず、いつも通り普通に美味しい。意外と大丈夫、私の座っているところに、少し光が差していて気持ちいい。

昔好きな人に言われた、「君は生きる価値がある」という言葉を思い出した。ちょっと上から目線でも、どん底に落ちた時に救ってくれる、そういう言葉を持っている。そういうところが好きだった。知り合いに、その言葉を言われて嬉しかったと話したら「逆に生きる価値がない人間って何?」と言われてしまった。確かにそうだ、ハッとした。生きる価値について考えるのは、生きる価値が自分にはないと一回でも思ってしまった人だと思う。だからその好きだった人こそ、「君は生きる価値がある」という言葉を欲していたに違いない。
絶望。私はその人に十分に好意や生きていて欲しいということを伝えることができなかった。後悔している。というかそれがわかったとき私はもう君と連絡を取れる状態ではなくて、今更伝えることもできなく取り返しがつかなかった。もっと早く気づけていれば、、と当時は本当にそればかりが頭をぐるぐるしていた。でもあれから4ヶ月くらい経って、好きだという気持ちも収まってきたと同時に後悔も薄れてきた。私はいつだって君と本気で向き合っていたんだ。
君のnoteを読んだ時の共感と高揚感、他の人の文章で感じたことがない。だからまた交われたらいいな。

私新しいところに行こうと思うの。
今度はもっと自由に、孤独に生きる。

新しい好きな人も見つけたいの。
君に似ている人がいいかな、わからないな。

まだ何もわからないけど、とりあえず、生きることを選んだ。何も決まってない、恥ずかしい、言いたくないことばかり。それでも生きていきたい。何もできない私でも何かできると信じて。
なんか、カラオケにお世話になりそうだな、しか予測が立っていない。まあなんとかなるからきっと。大丈夫だ。
前に家を出た時とは比べ物にならないくらい何も決まっていない。前に家を出た時は家も仕事もほぼ決まっていて本当にちゃんとしていたんだけど。今はちゃんとしないで出たい気持ちがある。死にそうになっている人だよ?計画なんて似合わないじゃない。

どうか君も私も一年後生きていますように。
私の家族も友達も。
みんなそれぞれの人生に集中できます様に。

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