早押しクイズの楽しさについて

この記事はクイズやる人 Advent Calendar 2019に向けて書いた記事です。
https://adventar.org/calendars/3883

みなさまこんにちは。Suiと申します。
私は2018年8月に「クイズルーム ソーダライト」で早押しデビューしました。
昔からクイズ番組を見るのは好きでしたし、QMAを熱心にプレイしていた時期もあったのですが、自分が早押しボタンに触る日が来るとは思っていなかったし、ましてや「週1回は早押ししたい!」と思うようになるとは、当初は予想していませんでした。人生はいつ何が起こるかわからないものです(とは言え、今までも数々の推しや趣味に落ちては同じ台詞を吐いてきたので、人生とはそういうものなのかもしれません)。

今では日常的にクイズをしていますが、なにぶんまだ経験は1年半程度ですし、どちらかというと感覚で生きてる人間なので、クイズについての考察などは書けそうにありません。しかし、好きなもののいいところについて語ることは得意なので、今回はクイズの「押せるところ」ならぬ「推せるところ」、すなわち、私の思う早押しクイズの楽しさについて書きたいと思います。クイズプレイヤーからすれば「あらためてわざわざ言うことでもないのでは」という内容もあるかもしれませんが、日ごろ感じていることをこの機会に言語化してみたいと思うので、お付き合いいただけますと幸いです。また、内容の性質上、主観の強いものになりますことをご了承ください。


1.覚えたことが役に立つ
クイズの楽しさのひとつは、「覚えたことが役に立つこと」だと思う。いわゆる「ベタ問」をはじめ、(実際自分がきちんと覚えられるかどうかは置いといても)「覚えれば答えられるようになる」ことがたくさんある。同じ答えに落ちるものでも前振りが違うこともあるし、ひと口に「覚える」と言ってもその範囲はほとんど無限と言っていい。しかし、なんでもクイズになる中で、出くわす機会が多いものがあることも事実なのは同意してもらえると思う。

少し話が変わるが、早押しクイズをはじめてから身にしみてわかったことのひとつが、「わかってから押したんじゃ遅い」ということである。問題文を聴いて「わかる」と思った段階――でも多分まだ遅くて、聴いた瞬間に自分で「わかる」と知覚するより前に手が先に押してる、くらいでいい場面がかなりあると思う。最初のうちは完全にわかってからでないと押せなかった私も、最近感覚的には「手が反射的に押す→後から脳が追いついて答えを言う」ということができるようになってきた気がする。これができるようになる方法のひとつとして、「問題文と答えの結びつきを自分の中で強化する」ことが挙げられると思うので、やはり覚えることは有用だと思う。

「覚えたことが役に立つ」と言ったが、早押しクイズにおいて実際にそれを発揮する、つまり、正解するためには解答権を取る必要があり、覚えるだけではまだ足りないのも事実だ。知識を役立てるためには単に「覚える」だけでなく「研ぐ」ことも必要なのが早押しクイズだと思う。イメージで言うと、答えにたどり着く最短距離の数を増やす、そしてその距離をできるだけ速く駆け抜けられるようにする、という感じである。この過程はなかなか大変だけれど、これを上手く発揮して正解できたときには、かなりの達成感がある。

2.「好き」が強さになる
また、それとは逆に、クイズを意識しないで得た知識、たとえば自分の好きなジャンル・人などに関する問題が不意に出て、圧倒的に早いポイントで押して答えられたときなども、かなり気持ちがいいしうれしい。映画俳優の名前や文学作品のタイトルなど、自分にとっては慣れ親しんでいるものでも一般的にあまり知られていなかったりすることがあり、そういうときにはかなり有利になるし、正解したときに「おおー」という声をもらえたりもして、喜びもひとしおである。

最近あった私の解答例:
「『スーパーヒーロー大戦GP・仮面ライダー3号』に仮面ライダー3号役/」「ぃよっしゃぁぁぁ!!おいかわみつひろー!!!」

自分がボタンについてるときにまさかの推しの名前が答えになる問題が出たため、喜びが爆発した勢いのままに答えた(私はテレビドラマ『相棒』がきっかけのミッチーファンである)。推しの名前を堂々と口にできるうえに〇がつくのである。こんなにうれしいことはない。(なお、上記はあまり褒められた解答姿勢でないかもしれないが、気心の知れたメンバーでやっている会での一時の振る舞いなので大目に見ていただければ幸いである)

逆にお手つきなどで自分に解答権がないときにそういう問題が出題されるとかなり悔しいが、まぁ仕方がない、そういうこともある。クイズをやっていればまたチャンスは巡ってくるはずだ。


3.自分の中の「未知の知」
先に挙げた二つの楽しさは、どちらもその知識が頭の中にある(であろう)ことを自分が認識している場合の話である。しかし、クイズをやっていると、そうではない形で正解が出せる、という瞬間に出くわすこともある。少し長くなるが、以下に自分の経験を綴らせてほしい。


学生時代にQMAをやっていた際、文字パネルクイズ(当時は四文字言葉クイズだった)で物の画像が提示され、その名称を答える問題が出たときのこと。「○○○○パイプ」と文字が併記されていて画像も(煙草の)パイプに相違ないものだったから、四文字表記のパイプの種類を問われていることはわかった。しかし、私は生まれてこのかたパイプを「パイプ」以上の細分化されたものとして考えたり見たりした記憶はなく、パイプの種類の名称なんて到底出てきそうになかった。


しかし四文字言葉クイズは文字の書いてあるパネルが10枚与えられ、答えはそのうちの4枚を使って作ることになっている形式であるため、パネルの中にヒントがあるということになる。そう思ってカタカナが並んだ10枚のパネルを見ていると、なぜかポンと頭に「マドロス」という言葉が浮かんできた。そしてそうとしか考えられなくなってしまったので、そのとおりにパネルを選んでみた。するとなんと「マドロス」が正解だったのだ。


「マドロス」は船乗りのことで、船乗りがよく用いていたパイプであったことがその名のゆえん、というのは後で調べて知ったことで、答えた時点では「マドロス」という語の意味はおろか、それが語として存在していることすら認識していなかったのに、なぜか答えとして出てきたのである。どこか何かで意識せず目にした「マドロスパイプ」という語が脳の中のどこかにしまわれていて、「パイプの名称」という入力をきっかけに引っぱり出されてきたのだとしか思えない。
「パイプの種類」と言われて思い浮かんだのはそのひとつだけだったので、それが正解だったのは運がよかったわけだが、それにしてもとても印象的な経験だったので今でも覚えている。

先ほどクイズの楽しさとして「覚えたことが役に立つこと」と書いたが、それと対照的な楽しさがこの経験のように「どこで身につけたかわからない、自分でも『こんなこと知ってたのか』と思うような知識が問題をきっかけに引き出されること」だと思う。自分でそれを会得したということすら意識せず脳細胞にしまわれたまま眠っていた知識が、クイズの問題によって引き出され、解答することによって日の目を見る。「未知の知」とでもいうべき知識が自分の中にあることを知る、それを意識できる瞬間があるというのは、クイズプレイヤーにしか味わえない醍醐味なのではないかと思う。


熱しやすく冷めやすい性分の私だが、今のところまだまだクイズが楽しくて仕方ないので、夢中なうちは夢中な気持ちの赴くままにどんどん取り組んでいきたいと思うし、そうする中でもっと強くなりたいと思う。そして、クイズを楽しむ中でまた「未知の知」にも巡り会えたらいいなと思う。


最後になりますが、今年いろいろな形でクイズをご一緒した皆さま、そういった場を提供してくださった皆さま、本当にありがとうございました。また来年もその先も楽しい時間をご一緒できますように。ここまで読んでくださってありがとうございました!

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