こわい電気が流れています

金子玉美と自分の名前を署名するといつも誰のものでもない架空の人間のきんたまが脳裏にぶら下がるのだが、結婚して十数年このかた一度も「金玉」に触れられずに来ていた。夫の転勤で奈良へ移り住むことになり、関西ではとうとう低俗な輩に出くわして金玉!と指さされ辱められるのではないかと、わたしよりむしろ夫が心配したものの運命の日はなかなかやって来ない。最早当人よりも悩み苛立ち焦がれていた夫が生粋の浪速っ子の同僚に相談したところ、こちらからすれば関西弁で大便を意味する「ばば」が直球かつ単純でおもしろく感じるから、金子玉美からわざわざ「金玉」を検出する一手間をかける必要性も可能性も低いのではないかと諭されたそうだ。プロポーズに際してまで「僕と結婚すると金玉になってしまうけど、それでもよかったら結婚してください。」と言うほど金玉に思考を蝕まれていた夫は、馬場理論でようやく金玉から解放されて、以来は好きな植物の心配に注力するようになった。

実を言えば「金玉」とからかわれるのをわたしは恐れていない。あんまりしつこく言われれば怒るだろうけど、例えばお酒の席とかで品の無い人に茶化されたとしても気に留めずに笑って流せると思う。人によってはものすごく傷付いたり、許せないと感じたり、他人事であれ揶揄われているのを見聞きするのも不快である人も居るというのは夫のおかげで充分理解したから自らおどけてみたりはしない。社会、立場、年齢、などの天秤を極力揺らさないよう慎重に気を配って金子玉美をやっている。だから尾股に名前を教えて「金玉じゃん」と言われた時、この瞬間をずっと待ちわびていた気がした。


尾股はなにか巨大な植物から伸びた一本の長い蔦のような女である。182センチメールもある痩せこけた肢体をいつもぐにゃりとしならせていて、まっすぐ立っている姿を一度も見たことがない気がする。栄養失調気味でふらつきがちなのかただでさえ風も無いのに揺れているし、およそ血の気や生命力の無い白い顔を浮かべているが、繊細そうに見える植物の蔦でも解こうとすると思いのほか強かに巻きついているように、尾股も見えざる力をか細い肢体に張り巡らしてしっかり生きている。

尾股を初めて見た時、そのように平時さえ真っ白な顔を緑を帯びた土気色にしていて、喫煙所の煤けた腰掛けにもたれかかって煙の流れをぼんやり追っていた。エコーかわかばのきつい燻った副流煙の充満した殺風景な空間で生気なく項垂れている尾股は、枯れかけた背の高い細い木が野焼きの煙に曝されているようだった。

わたしは知らない顔を見かけるなんて珍しいなと思った。駐車場横の従業員喫煙室は本館から立体駐車場を抜けてただっ広い従業員駐車スペースの一番奥の奥まで進んで、つまり本館から建物ひとつ経てまだなお続く通路の果てにある。元々は車で通勤する従業員の為にこんな最果てに作ったそうだが、大体の従業員は少しでも本館に近い手前の方に車を停めるし、バスで通勤する人が多いのでそもそも従業員駐車場自体が閑散としていて、はるばる歩いてまでここへ来るのは決まった数人の顔ぶれだ。尾股はわたしとほとんど入れ違いに出て行ったので挨拶も交わさなかった。しばらくして駐車場の警備員が入ってきて、まだ残るきつい煙の臭いに顔を顰めて言った。

「さっき背が高くて髪の長い兄ちゃんがいたやろ?あの子なあ、何回言うても勝手に入って来るねん。」
「はあ、なんでこんな変な場所に。」
「ここで勤めてる服屋さんの彼氏なんやて。迎えに来て、待ってる間一服してるらしいけど、まーここも一応バックヤードやし。入るなら手続きはしてもらわんとなあ。」
「あー、車で迎えに来て時間潰してるんですね。」
「いや、歩いてくるんやで。ほんで彼女のほうが運転して、自分は助手席のほう乗るねん。」

わたしは一瞬怯んで、あの子はたぶん女の子ですよ、と言ったら今度は警備員のおじさんが驚いた顔をした。


尾股は主にアパレル店員のヒモで食い繋いでいた。十七歳の時に旅先の大阪で知り合った男性のところへ転がり込んで、それから男女を転々としながら一度も定職に就かず二十七歳までやってこれたらしい。ヒモの秘訣を聞いたら「全肯定」と言っていた。確かに尾股はあらゆる宗教、生活様式、恋人同士の決め事を受け入れていた。わたしと知り合った頃はヴィーガンの女の子と付き合っていて肉食を禁じられていたと聞いて、それで顔色が悪かったのかと思い返したが、その後スポーツトレーナーだか栄養管理士だかの男の子と付き合って理想的な健康生活を送っていた時のほうがずっと堪えているようで不思議だった。

食事はもちろん、煙草の銘柄すらなんでもよくて、お酒は恋人が飲まないなら飲まない。そんな風に都度都度すべてを相手の生活に染めて生きていたら自我を失ってしまいそうなものだが、尾股は何より服が好きで、好きな服を着ていられたら他のことはなんでもいいらしい。わたしのような一般的なおばさんからは「黒い」「パンク系」としか言い表せないが、鎖とか鋲みたいなのがついた黒いレザーの服や、裂けていたり穴が空いていたり破れている黒い洋服をよく着ていた。尾股は化粧っ気も無く長身で何もかもが痩せているから、そういう服装でいると男性に見えたが、だからといって女性らしさを出したくないという意図は無く、単に性別というものに対してこだわりが無いようだった。自分自身のみならず、尾股は恋人の性別にも頓着が無かった。尾股のことを愛していて衣食住を提供してくれるならばどちらであっても構わず、あとは顔が良ければ上等だと言った。

「タマの旦那はどんなやつなの。」
「うーん、優しくて、心配性っていうか、変なところで心配しすぎるんだよね。」
「変?」
「わたしが結婚して金子になってから、金玉って言われるのをすごく心配したりとか。」

尾股は爆笑した。これは親しくならないと見られないのだが、大笑いすると八重歯が覗いてかわいい。

「私とお前が揃ったら大変だなあ。尾股にも反応しそうだ。女の子なのにお股、って。」

わたしも夫に尾股を会わせるのがとても楽しみだった。その日はたまたま休日前で、尾股に約束がなくて、夫も職場の人と飲みにといった具合で、そういうタイミングが巡ってきたら二人でよく近場へ飲みに出かけていた。尾股は焼きそばが好きで、わたしはお好み焼きが好きで、お誂えにたいがい店内で煙草が吸えるのでお好み焼き屋を巡っていた。石切のお好み焼き屋へ初めて行った日のことだった。うちは一駅先の生駒にあるので、石切で飲んだあとそのまま泊まっていったらということになっていたのだ。

「でもわたしが大雑把すぎるから、夫が心配性なくらいでちょうどいいんだ。お互い補える良い関係かなって。」
「私は一方的に補ってもらってるっていうか、養ってもらってるからなあ。」
「尾股が居るだけで幸せなんでしょ。何かしてほしいとかじゃなくて、居てくれるだけでホッとするんだよ、きっと。」
「そんなもんかな。まあ、要求されても私は驚くほど何も出来ない。」
「ヒモは出来てるじゃん。」
「それに関しては天賦の才だと思ってるよ。タマにもぶら下がってるし。」
「下品下品。何度も言うけど金玉禁止ね。」
「まだ言ってない。」

示唆も禁止、と釘を刺したあと急に可笑しくなってきた。言い納めにしばらく尾股と「禁句」を連呼して満足したら、夫へのお土産にお好み焼きを追加で焼いてもらって店を出た。石切駅は山に面した静かなところで、二月の人気無いホームは染み入るような寒さだった。こういう夜は星や街灯や光るものがより眩く見える。その日の尾股は金色の丸いピアスをぶら下げていて、いつものようにふらふら左右に揺れている尾股に合わせて金色の玉が揺れるものだから、金玉、とわたしがふざけて耳たぶを指差したら、禁止だろと尾股が笑ったあとしみじみ言った。

「金子玉美っていい名前だなあ。」




尾股みどり、よろしく、と尾股がぶっきらぼうに名乗ると夫は鳩豆の表情で一瞬固まった。わたしは笑ってしまうといけないと思い、お茶を淹れてくると背を向けてキッチンに立った。背中越しに夫と尾股の声を聞いてわたしは肩を震わせないように堪えた。

「お股?えっ?」
「そうだよ、お股。おまたみどり。」
「えーっと、みどりちゃんだよね。」
「名前で呼ばれるの嫌。尾股って呼んで。」
「みどりちゃんは郡山にすんでるんだって?」
「こいつ馴れ馴れしいなあ。」

げんなりした声でわたしに投げかける尾股を無視して夫は話し続けている。つくづく年の功だ。夫は些細なことに敏感に呼応して塞ぎ込むたちではあるが、一方でこういうよく分からないところで強かであった。だから尾股とも気が合う予感がして引き合わせてみたのだ。尾股の不躾なくらいの距離感なら、夫も神経質にならずに居られてちょうどよいのではないだろうか。
わたしがサンルームにお茶を運ぶ頃にはすっかり打ち解けていて、夫はすでに尾股から離れて植物の世話を始めていた。夫は緊張したり気を使う相手と対面すると逆に会話を絶やすまいとするから、尾股を意識の外に置いているのは気を許せると判断した何よりのしるしである。わたしとここに居る時でも存在を忘れられているのではと思うくらい庭作りに没入することが度々あって、夫があちら側から戻ってくるのを待ちながら煙草を吸う時間が好きだった。尾股は煙草を吸っているとき食事をするように味を噛みしめていると言っていたが、それを聞いてわたしは本当にまっさらになって何も考えていないことに気が付いた。目の前の出来事をただ眺めている。草木がただそこにあるように。

「カネコは煙草吸わないの。」
「僕は吸わない。けど平気だよ。」
「タマはめちゃくちゃだもんなあ。」
「これでも減らしたんだよ。ねえ?」
「そうそう、たまちゃんも昔はみどりちゃんみたいだったんだよ。華奢で儚い感じの。」
「華奢で儚かった金子玉美。」
「やめて。たしかに痩せてたけど、惚気てるよ。」
「そうかな?みどりちゃんを一目見て、なんだか昔のたまちゃんを思い出したよ。雰囲気は全然違うんだけどね。」

夫は改めて尾股を見つめて点検するようにゆっくり視線を動かし、どう言えばいいかな、と呟きながらしばらく言葉を探して、やがてサンルームの一角に並んだ鉢植えのサボテンたちを指差した。

「それぞれ別の種類なんだけどね、同じように見えるでしょ。今は季節じゃないから咲いてないけど、花が咲くと全然感じが変わるんだよ。そうだな、二人ともサボテンみたいなんだね。」


それから尾股はときどき遊びに来るようになった。うちで喫煙出来るのはサンルームだけだったので、わたしたちが居ても居なくても尾股はそこで過ごしていることが多かった。在宅中の夫はたいてい植物の世話をしているので、わたしと尾股は煙草を片手にそれをぼんやり眺めていた。日中はそれぞれ仕事があったり尾股は別の場所や恋人のところに居たので、三人がサンルームに揃うのは夕方が多かった。西陽の差し込むサンルームで煙に包まれている尾股はやはりなにか巨大な植物の一部のようで、蔦を這わせたグリーンカーテンのある壁際に立っていると特に、頼りなくか細い枯れかけた黒い木がほかの青々と茂った草木に埋もれかけているように見えた。

奈良女子大の女の子と付き合っていた頃は彼女によって積極的に尾股が送り込まれた。彼女が学生生活に追われて忙しい時などに、しばらく預かってくださいと云う言伝と菓子折りを片手にぶら下げてうちへ尾股が送り出されてきた。百貨店の紙袋を下げてきたり、奈良のほうで有名なケーキ屋の箱を下げてきたり、あまりにも気の利いたお土産にわたしたちは恐縮して、学生さんにこんなお金を使わせるのは気後れするし何度も断ったが、伝えたけどあいつ真面目なんだよと板挟みの尾股がまたお菓子をぶら下げてきた。
大和西大寺駅のコンコースで乗り換えの電車を待っていると偶然彼女が尾股と居るのを遠目に見かけたことがある。上品な感じのとても綺麗な女の子だった。尾股にそれを伝えると、たいしたお嬢様だろ、と得意気に言った。実際にどういった家の子だったのかは分からないままだが、彼女が尾股に持たせるお菓子はいつもセンスが良く洒落ていて、それらは背伸びしてではなく自然に選んだ感じのするのものだったからお嬢様は比喩ではなく本当のことなのかもしれなかった。わたしが最後に尾股と過ごした時に付き合っていたのがその女の子だったから、特によく覚えている。



「親父が払ってくれてるのか、ばあちゃんの口座から引き落とされ続けてるのか、よく分かんないんだよな。どっちにも私は良く思われてなかったから、どっちが払ってても変な感じだよ。」

尾股の携帯電話の料金は誰かに支払われ続けているらしかった。十七歳の尾股が新潟から家出してきてからずっとである。家族はおろか地元で親しかった人にも徹底的に一度も連絡を取っていないので、最初の頃はそのうち心配ないし催促が来るのではと身構えていたものの、もう帰らないと父親へ送ったメッセージにすら返信がないまま十年が過ぎたらしい。尾股は気味悪がりつつも、ヒモ人生を続ける限り料金を支払う術が無いので手離さずに使い続けていた。さすがに十年も経つとバージョン不足で使えないアプリが大半だったようだが、尾股に必要なのはシンプルで単純な連絡機能だけで、電話番号で送信できるショートメッセージがあれば充分なようだった。LINEもわたしと知り合ってからのどこかの時点でやめていた。理由は聞かなかったけど、尾股の生き方的に、物のはずみで過去の誰かと繋がってしまうかもしれないツールは煩わしいことが起こりそうである。
 



ある日尾股の携帯が止まった。新潟へ帰るから切符代を貸してくれとうちへ訪ねてきたので、まとまった金額を渡そうとしたら片道分でいいと断られた。夫が心配して、せめて大阪まで送ろうかと言ったがそれもいいと言う。尾股はほとんど普段と変わらない調子に見えたが、ダウンジャケットに太い毛糸で編まれたニット帽を被り、大きな旅行鞄を肩に下げて、いかにも北の方へ出かける出立ちばかりに目が行って気が付かなかっただけかもしれない。

「長旅でしょ。気を付けてね。」
「寒いよなあ。雪降ってるかなあ。新潟、嫌だなあ。」
「みどりちゃんが傘持ってるの見たこと無いけど大丈夫?」
「傘は持たない主義。」
「持ってください。買ってあげるから。」

要らないと渋る尾股に駅のコンビニにあった簡素な折りたたみ傘を押し付けた。じゃあな、といつものように片手を上げて難波行きの急行に乗り込んで行ったのを見送って、夫と新潟にまつわるたわいもない話をしながら帰路についた。
わたしは尾股はもう帰って来ない気がしていた。



サンルームでわたしはしばらく尾股の姿を探してしまっていたけど、夫は相変わらずこの空間では植物に没入してしまうから面影も入る余地が無いようだった。尾股は例えば片方のピアスとか、ライターとか、書置きとかいたずら書きだとか、個人がそこに存在した痕跡のようなものを何も残さなかったし、誰にも、おそらくかつての恋人たちにも贈り物はしなかった。荷物も洋服以外に無いようだったから、誰のもとを去る時にも本当にあの大きな旅行鞄ひとつだけを下げて出ていったのだと思う。夕陽で満ちたこのサンルームにも、尾股が残したものは何も無かった。

尾股が居なくなってからも夫と二人でよく石切のお好み焼き屋へ行った。生駒から石切へは一駅とはいえトンネルを通って山を越えるので勿論徒歩は難しく、一駅の移動とはいえ電車に乗らなければならない。わたしも夫も、きっと尾股も、そういう隙間の時間にむしろ穏やかさを感じる方だったのでわざわざ石切まで出かけた。尾股は焼きそばが好きだったから必ず頼んでいたけど、二人になってからはお好み焼きしか注文しなくなって、あとは灰皿を貰うのが一つになった。そういうのを何度も、何年も繰り返して、次第にわたしたちは尾股の話をしなくっていった。

それでもわたしが尾股のことを折に触れて思い出すのは生駒駅の1番ホームの先頭の方にある「こわい電気が流れています」という看板の前に立っている時だった。尾股の携帯電話の料金を支払い続けていた誰かは、たとえ仲の悪い家族でも、どこかで尾股が生きていることの分かる唯一の繋がりを切れないように維持し続けていたのだろう。止まった尾股の携帯のことを思い出す時、尾股の居た記憶が少しだけよぎった。



ある朝サンルームへ煙草を吸いに出ると、鉢植えのサボテンを持った尾股が立っていて心底驚いた。

「金玉兎だって。いい名前だろ。」

尾股が窓辺に置いたサボテンの園芸ラベルには確かに金玉兎と書かれていて、朝陽に照らされると微細な針のひとつひとつが発光して巨大な「金玉」を輝かせた。