お姉ちゃんが「すいか」しか喋らなくなっちゃった

台風が来た次の日から、お姉ちゃんが「すいか」しか喋らなくなった。話せなくなったのではなく、自発的に意味のある言葉を発するのをやめたのだ。わたしたちの対話は全て「すいか」に収束され、お姉ちゃんが投げかける感情は「すいか」に置き換わったように思われたけど、それでも「会話」は失われなかったのだから不思議である。

呪術廻戦にそういうキャラクターがいるからといって安直に結びつけるのはありがちな決めつけであるし、そもそも呪術廻戦の狗巻先輩は「おにぎり」しか話さないわけではないのだが、わたしはお姉ちゃんが「会話」することを放棄する直前に必然的に居合わせて、そして「すいか」になる瞬間を目撃してしまったので断言する。原因というか、きっかけが呪術廻戦であることに間違いない。わたしとお姉ちゃんはソファにもたれていた。二人掛けの大きな革張りのソファへ、わたしはもたれるというよりも、床へ座ってソファに頭をのせて半ば寝転んでいる状態だったから、頭上からお姉ちゃんの声が意識の遠くに聞く秒針の音のように聞こえた。

「あたしもしゃけ、とかだけしか喋りたくないなあ。」

微笑んでいるのだろうなという声だった。わたしはとても眠たくて、しゃけ、と返事をしてそのままソファで眠り込んだ。明け方目が覚めたらお姉ちゃんは寝室へ戻っていて、わたしたちがリビングで読んだ順にテーブルに積んでいた呪術廻戦は0巻からきっちり並べてTSUTAYAの貸出袋に入れられていた。まだ5時半だったし、仕事は休みになったと前日言っていたので、声を掛けずに帰った。「すいか」になるなんて思っていなかったからそうしたけど、もし分かっていたとしても、掛ける言葉は見つからないだろう。

お姉ちゃんはわたしたちの叔母さんの紹介で、掃除のおばさんをやっている。それまで市役所で何十年も勤めていて、結婚して、離婚しても勤めていたのに、40歳の誕生日に突然市役所を辞めて掃除のおばさんになった。わたしが驚いて、掃除?掃除って何するの、と聞くと「掃除のおばさんだから、会社を掃除するんだよ、普通に。」と笑った。それから三年、ずっと叔母さんと同じ会社で働いている。お姉ちゃんとわたしはちょうど二十歳離れているから、あの時わたしはまだ学生だった。どうして公務員を辞めて、どうして掃除のおばさんになるのか見当もつかないのは自分が未だ社会に出ていないからだと思ったが、まるっきり別の世界へ身を置いたのもあって、辞めちゃうなんて勿体無いなあと今は余計に思ってしまう。

「朝来るじゃない?それで台風は大丈夫だったか聞いたら、大丈夫〜って感じで、すいか〜って。あんまりいつも通りだから、あたしが聞き間違えたのかと思ったくらい。」

おそらくお姉ちゃんの「すいか」を初めて喰らったのは叔母さんである。前日の台風のこともそっちのけで、一体全体あの子はどうしたのかとたまげながら朝の仕事を一通り片付けて、休憩に入る時、申し訳なさそうな顔をしたお姉ちゃんから手紙を渡されたそうだ。



『驚かせてごめんなさい。私はこれから「すいか」しか話しませんが、これは体調や精神を悪くしてのことではありませんので、心配要りません。』



心配した叔母さんから電話が来たのは三週間後のことだった。もちろんわたしも面食らって、その状態で三週間何事も無く過ごしたと言うから唖然とした。すいか、三週間、とまだ飲み込めずにいるわたしを置いて、叔母さんはあっけからんとした調子で話を続ける。

「意外とねえ、不都合無いのよ。外部との連絡は回覧板みたいな物でするし。で、早朝でしょ。あたし以外誰も来ないから、おはようございます、すら言えなくてもまあ、なんとかなるんだよね。ああ、社長にはあたしから連絡入れたけど、体調が平気ならすいかでいいよって。」

すいかで何がいいのだろうか。そりゃあすいかは辞めてくれと言われるよりはいいけど、それでいいのか、それで仕事回るんだ、とわたしは混乱に溺れ続ける。

「仕事のことは大丈夫だし、あたしも慣れてきたからいいんだけどさ、どうしたのかなって。あの子に聞こうにも......。」

ある衝撃的出来事に傷ついて声が出なくなるとか、言葉を失うということは、もちろんお姉ちゃんにも起こりうることである。それにしても離婚とか転職とか両親の死に際しても起こらなかったことが数年のタイムラグを経て、きっかけも無く突発的に訪れうるのだろうか。三週間前に会った時だって落ち込んでいたり変わった様子は無く、一緒にくら寿司行って、呪術廻戦読んでたし、と思い返して気が付いた。まさかとは思うけど、子どもじゃないんだからそんなことはないと思いたいけど、でもお姉ちゃんって回転寿司の途中で急にケーキ食べるし、急にめちゃくちゃ日焼けしてリオデジャネイロから帰ってくるし、急にプレステ5買ってくるし、急に市役所辞めて掃除のおばさんになるし、そんなことって、全然ある。

狗巻先輩の説明をして、とにかくお姉ちゃんに連絡してみると伝えると叔母さんが慌てて、携帯は解約したんだって、と言った。何もかも滅茶苦茶でわたしは絶句した。



予定の確認のしようがなくなってから、かえってお姉ちゃんと会う回数が増えた。インターホンを鳴らして、出てくれたら会って出なかったら帰る、という携帯を持たない子ども時代のような方法は、お互いの「気分」に大きく左右されてうまく行かなそうに思われたが、そういえばわたしたちは姉妹で、会うのに約束がいらないことがかつては当たり前だったのだ。
わたしが就職した美容院がお姉ちゃんの家のすぐ近くで、時々泊めてもらうようになった。歳が二十も離れているからか、それまで仲が良くも悪くもない、なんだか友達の友達のような関係だったのが、そういう縁が繋がったのを機に親密に過ごすようになった。最初の頃、一応気を使って毎回TSUTAYAで漫画を借りて、デパートでお土産を買って行っていたら、お金も気も使わなくていいから髪を切って欲しいとお姉ちゃんに頼まれた。漫画はわたしが読みたいから借りて行くことにして、あとは提案に甘えさせてもらうことになり、一宿一飯の恩どころか、いいワインまでご馳走になったお礼を出張美容師ですることになった。たまに二人で外食する時もお姉ちゃんはマクドナルドしか奢らせてくれない。「すいか」になってからも、わたしが財布を出すと、すいか、と険しく制止された。奇妙に聞こえるだろうけど、「すいか」になってもお姉ちゃんは何も変わっていない。


「絶対かわいいよ、楽しみ。わたしも次はインナーカラー入れようかなあ。」

お姉ちゃんの髪型はここ三年、わたしが「担当」になってからいつも同じ注文だったが、やるからにはちゃんとしたいから、ヘアカタログや雑誌を渡して今日はどうするか都度訊ねている。それでも落ち着いたカラーでの白髪染めと、少し毛先を整えるくらいしか頼まれないので、焦ったくなったわたしがつい、公務員を辞めたら解放感で突拍子もない、セブンティーンアイスみたいなツートンカラーのソバージュとかやっちゃうけどなあと言ったら、おばさんになると見た目で冒険しようと思わなくなるよ、とお姉ちゃんは笑った。
だからお姉ちゃんがサロン雑誌のインナーカラーの女の子を指差したのは驚いた。そしてなんだか嬉しかった。

カラーを入れている間、あの台風の日以来、わたしがなんとなく話題にあげるのを避けていた呪術廻戦の話をした。お姉ちゃんは「すいか」と頷くだけだから、ほとんどわたしが一方的に喋っていたのだけど。「すいか」でも会話は成り立つ。むしろお互いに伝えようと注力するから、「すいか」の一言からよりたくさんの意思を感じられる気がする。考えてみれば言葉に含まれる曖昧なニュアンスというのは「はい」や「いいえ」にも存在するのだから、それが「すいか」であることにしか違いは無いのだ。

シャンプー台が無いから髪は自分で洗ってきてもらった。濡れていると一目に分かりにくかったが、ブローしていくと、黒髪の内側から深緑の髪が温かい風に靡いてのぞいた。

「たぶん同じこと考えてる。」

鏡越しにお姉ちゃんもわたしへ微笑んだ。「すいか」とは言わなかった。