わたしがお弁当屋さんになっても

友を見れば人となりが分かると云うが、うっせえわ、冷蔵庫を開けて見るほうがよっぽど分かり易いと思う。ひとり暮らしの冷蔵庫は生活と精神を反映する。家にだれかが遊びに来た際に、引き出しを不躾に開けられたり、ふと高校時代の文集を手に取られたりするのよりも、冷蔵庫の中を見られるがいちばん堪らなく肝が冷える。腐った野菜が入っていたりと訳あって見られたくないのではなく、べつに納豆とか玉子とかベーコンしか入ってないけどなんか恥ずかしい。こういうものを食べていると知られるのは、自分の中身というか、精神的な内面に近いところを覗かれるように感じる。わたしの精神世界、冷蔵庫の中には現在、業務スーパーの徳用ウインナー大袋と福神漬け1kgがあり、これは単純にバカだから恥ずかしい。

業務スーパーはやはり大容量商品が主なラインナップで業者向けではあるが、誰でも入ることができるし、野菜や生鮮食品なんかも売っていてほとんど普通のスーパーと変わりないのだが、民度だけは普通のスーパーより格段に悪い。業務スーパーの前には吐き捨てられた唾、ガム、菓子パンの袋、淀川から引き上げたみたいなボロボロの自転車が複数台違法駐輪されている。買い物をするためにちょっと店前に自転車を停めていると、帰りにはカゴにゴミが投げ込まれている。逆にカゴに荷物を入れたまま買い物に行くと帰りには忽然と消えている。関西ではスーパー玉出が貧困の象徴として名高いが、業者スーパーもなかなか負けたものではない。玉出を陽の貧困とするならば、業務スーパーは静の貧困のシンボルである。奈良県では特に「生鮮&業務スーパーボトルワールドOK」という酒の販売に注力した店舗が多いので、客層の悪さがより顕著なのかもしれない。

業務スーパーでは一般的な品出しの概念が破壊されており、届いた段ボールを開けて値札のプレート付けてそのまま陳列するので、店内は倉庫のようにダンボールが所狭しと並んでいる。業務スーパーに来ると自宅の冷蔵庫の空間認識がバグるのは、この「買い付けに来てる感」に呑まれているのだろう。絶対に持て余して冷蔵室の一角を陣取ることになるのに、なんか大丈夫な気がしてマカロニサラダ1kgなどをついカゴに入れる。気が大きくなるのはわたしだけではないようで、袋詰めをしているのを覗き込むように声をかけられて、宗教の勧誘をされたことが二度もある。サイズ上の意味でだが、大きな買い物をした高揚感で無敵モードに入っているのだ。もしくはわたしがマカロニサラダ1kgなどを購入しているのを見ていて、オウムのお弁当屋さんに違いないと思ったのかもしれない。1kgのマカロニサラダを買うのは鬱病のお弁当屋さんと宗教のお弁当屋さんくらいである。

引越しのバイトやったけどさあ、冷蔵庫一人で持てなくて怒鳴られて、無理やなおもてその日で辞めたわ、という話を聞いて、男の人は冷蔵庫を持てないと怒鳴られるのか、やばいなと思った。あたし中卒やからね仕事もらわれへんのやと書いた女の子の手紙の文字はとがりながらふるえているじゃん。ファイトやうっせえわが響く人には、生鮮&業務スーパーボトルワールドOKで流れている謎の曲も是非よく聞いてみてほしい。歌い出しの「嫌なことがあった日は お酒を飲んで忘れよう」で笑っていると、「OK OK なんでもそろう あなたの強い味方です」と急に真正面から心を抱擁されて泣きそうになる。これ宇多田ヒカル?力強い優しさが至って端的な歌詞に満ちている。
全員万引きするのが目に見えているからセルフレジを導入しないのだと思うが、店員さんが全部やってくれている間、謎の曲を聞き流しながら、マカロニサラダ1kgいらないなーと後悔する時間が好きだ。