8万円の女

ミナミで呑気にリュックなんて背負っていると人混みでいつの間にか財布を抜かれるという俗説を信じ、手提げかばんの底も底へ財布を沈めていたものだが、戎橋商店街の人波を幾度となく無事にすり抜けるにつれ気がどんどん緩んでいって、最近など財布を裸でぷらぷら手持ちして歩くかそもそも金が無いので財布を家に置いてきている。ミナミ一帯には死ぬほどコンビニがあるので、スマホかICカードがあれば財布が無くてもグミを買えるのだ。最近は自販機も小銭をせせこましく投入するのではなく、改札のパネルみたいなのにスマホをかざしてピッで買えるらしい。これが普及してしまうと、前の人のおつりの取り残しで小銭が増える錬金術がこの世から消えてしまうので普及しないでほしい。

なぜお金が無いのか。人生で一番お金が無かった昨年の暮れなど残金が10万円を切り、ひとつでも不幸が降りかかったら即死の状況まで行った。車とかに轢かれたくない!とこの時ほど強く思ったことはない。なぜお金が無くなるのか。なぜなのかというと、お金を使ってるからでございます。本当に金と救いのない我々のような底辺というのは、生活をまわしていく瀬戸際の貯蓄でも、平気でコンビニでビックリマンチョコ2つと水を買う。わたしは全然電子書籍で無料で読める雑誌も買うし、レジ袋も毎回買うし、2万のスニーカー、買う。23.5がまだ売ってるのに買わない人生は無い。リボ払いとか分割払いは癖になりそうで使ったことがないが、現金一括払いで、未来とか普通の生活をどんどん支払っていっている。それにしても去年は本当にひどいものだった。8万円の女からよく持ち直したなと思うが、国から全員に10万円配られたからなんとかなっただけで、自分の功労というのは健康に一年を過ごしたことくらいである。ある時、水筒のお母さんは言いました。身体は資本だから何もよりも優先しなさいと、最後にフライパンの端で焦がし醤油にするのよと。

ひさしぶりに残高を確認すると、なんと24万3000円もあった。おほほほほほ。お金持ちやんけ、と思わず顔が綻ぶが、昨年同様、ここから通勤定期更新費用で一時的に10万円下ろすので残りは14万3000円だ。急激に気持ちが落ち込む。14万3000円。初任給か?短大を出て7年間働いたすべてがこれかと思うと本当に虚しくなってきた。死のう...とりあえず今月で失効するポイントを使うために楽天市場を眺めていたら、タオルの名入れって1000円くらいで出来るんだなあと思った。粗品でもらった時に社名が入っていたり、銭湯で持ってくるの忘れた時に買ったら名前が入っていると、なんてことない日の記念のようでうれしい。わたしも名前と電話番号入りで作ってお葬式で配ろうかなと思ったが、昔もらったけど使ってない名入りの手ぬぐいを職場の人から譲ってもらった時、「この小森って爺さん、こないだ死んでんな」と言われてかなり嫌だった。小森の爺さんは盆踊り狂で、マイ手ぬぐいを作るほど盆踊りに打ち込んでいたそうだ。柄も入ったいい感じの手ぬぐいで、これは1000円じゃ無理そうな感じがする。300億の男と聞くと、なぜか煉獄さんより先に、会ったこともない小森の爺さんが思い浮かぶ。