猿のハローワーク

4630万が誤って振り込まれたらパクるだろ。田口も俺も、こんなチャンスは一生に二度訪れないことが骨に染みて分かっているので、一度手にした大金をみすみす返すはずがない。元より人生終わっているのだから世間体を説かれたり、あるかもしれなかった未来を勝手に思い描かれても何も響きはしない。俺たちにとって4630万円は人生を棒に振るに値する金額だ。

自分の身に起きた事として考えてみれば、払った税金より受けた恩恵のほうが大きいような底辺勤めの、何の希望もない臭い臭い日々に突然4630万円が舞い込むのだ。俺の手取りは月に13万円で、賞与も昇進もない。未来永劫月に13万円である。能力に見合っていると思うので不当だとは思わない。むしろ自分でもできるような、猿にでも務まる仕事で月給を貰えることに感謝している。国が悪いとも思わない。一昨年だったか一律給付の10万円を受け取った時、こんな俺にも金が配られたことに深く感動し、安倍晋三の悪口は生涯口にしないと心に決めた。
そういうわけで、今のまま俺が平穏に4630万円稼ごうと思えば、あくせく働いて肉体の稼動時間を金に換える作業を10950回繰り返してようやくである。30年かかる。30年後の俺は59歳である。金をパクった時の田口が正社員じゃなかったら、俺よりもっと時間がかかるだろう。俺たちからしてみればおよそ2万日分の給料、そんな途方もない金が目前にあれば、魔がさすのは火を放てば燃えるのと同じ「現象」である。

もしこの金が個人の手術費用を誤送金してしてしまったものなら返す。それは俺が使ってはいけない4630万円で、他人のチャンスないし人生を奪うことになりえて後味がよくないので。4630万円は気持ちのよいクリーンな金でなくてはならない。悪人が悪事に使う予定だった金でも返す。怖いから。4630万円は大金だが、他人の不幸の上や、自分の命を賭してまで4630万円を手に入れたい理由が俺にはまだ無い。
しかしこの4630万円は貰っていいだろとしか思えない。宝くじに当たったようなものであるはずだ。宝くじに例えると田口への役所や世の中の言い分は、募金しろ!とか復興!とか支援!とかまあ上や横からやかましく野次を飛ばしているのに近いだろう。こういうやつらが言うような困っている人や切に金を必要とする事情を抱えている団体が誤送金されたら、田口や俺よりも問答無用でパクると思う。よってやはりこの4630万円はパクっていい。幾重の可能性の分岐を超えて田口の口座に4630万円振り込まれた金だ。田口は宝くじに当選したのだから、田口の金ということで間違いないだろう。

誤って送金した当該の職員は気の毒だが、こいつは起こったことはしょうがないと開き直るべきである。今さら思い悩んでもどうにもならないんだし、事の顛末を静かに見守るしかない。後始末はできる人がやってくれる。底辺職に就いているとありえないミスをする者によく出会うが、そういうやつらは自力で尻拭いをすることも出来ないからありえないミスをするのであり、事が起こった後に出来ることはせいぜい方々に頭を下げることくらいで、しょんぼり項垂れた猿の御影石になるのが職場にとって最良だろう。
ネットの噂が本当なら妻子がいるらしいが、むしろ妻子がいるなら退職して4630万円も田口も山口県もフロッピーディスクもすべて忘れてしばらく妻子とのんびりしたらいい。仕事なんて何でもあるんだから、あまり落ち込まずに切り替えなよ。自分にできる仕事を探せばいい。金を扱う仕事は安定した待遇を受けられるが、相応に重大な責任を伴う。ラーメンハゲもこう言っている。「金を払う」とは仕事に責任を負わせること、「金を貰う」とは仕事に責任を負うことだ。金の介在しない仕事は絶対に無責任なものになる。

俺の手取り13万円の仕事なんて、猿でもできるし、猿に任せられるくらい何の責任も無い、失敗してもどうにでもなる気楽な仕事だ。俺の会社は履歴書の内容を「文字」としてしか見ていないから、田口と件の役所のミスしたやつが面接に来ても即採用だろう。とにかく若い男が入ってこない現場なので二人も来てくれたら俺は大変うれしい、ウキッ!!