ピラニアの戸締まり

所以あって平日の昼間まで寝ていることがある賃貸住まいの人には分かると思うが、同じマンションの住人が、朝の出がけに執拗に玄関のドアノブを回して鍵がかかっていることを確認して出発したのち、階段を降りたと思えばまた階段を登ってきて、またドアノブをガチャガチャやって鍵がかかっていることを確認して、ひどい時にはこの一連を何セットも繰り返す音が聞こえてくることがある。深く眠りこんでいれば気が付かないありふれた生活音ではあるが、平日の昼間まで寝ている側からすれば穏やかな朝の時間帯であり、たとえ微々たる異質さであれ敏感に狂気を感じ取るものである。
わたしはこのような無限を繰り返している無限の住人だ。玄関の鍵をかけたか気になりはじめて不安に取り憑かれる前に、窓を閉めたか、ガスの元栓を閉めたか、蛇口を閉めたか、旅に出る前くらい念入りにすべてを確認するまで部屋から出られない。部屋を出る準備動作として、まずは窓が閉まっていないかもしれないのでサッシをガタガタやってみて、ガスの元栓が閉まっているのを指差して、洗濯機と洗面台のところの蛇口が本当に閉まっているか、目視のみでは緩んでいるかもしれないので実際に蛇口を捻って確認しないと気が済まない。
強迫観念症なのかもしれないが、病院で診断を受けていないし、私が発動するのは自分の家限定だから強迫観念症であったとしても問題ない。たとえば会社を離れる前に給湯室の蛇口を一生捻り続けていたら気味が悪いし、友達や恋人の家へ遊びに行った際ちょっとごめんと立ち上がってドアノブをガチャガチャやりに行くのを繰り返していたら異常であるし、そんな見るからにヤバい段階のやつは周囲に受診を勧められるだろう。いまのところ、わたしが窓や蛇口や玄関の鍵やガスの元栓を確かめないと不安状態に陥るのは自分の家にいる時のみで、人を招いた際にも「大丈夫?」と驚かれたことは無い。ぬいぐるみとマグカップの数で「何人住んでる?」と驚かれることはある。衛生系の強迫観念に陥っている人は入浴や掃除を繰り返してしまうそうなので、わたしがそっちへ行っていたら全部のぬいぐるみの体を拭いて全部のマグカップを洗うまで部屋から出られなかっただろう。そっちも始まったら病院へ行こうと思う。

身近な習慣で言えば毎朝同じものを食べるとか、電車で同じ席に座るとか、お風呂で左腕から洗うとか、自分なりのささやかな習慣を誰しも持っている。ここに強迫感が加わると狂気の沙汰に変異するのではないかと思うが、こだわりと強迫感と信念あるいはポリシーの線引きをわたしは明確に区切れない。
喫茶店でバイトしていた時に「ハヤシさん」というあだ名のお客さんがいた。着席した瞬間「ハヤシライスとコーヒー同時で」と言う男性であった。毎日来る。いつものですか?と聞いても「ハヤシライスとコーヒー同時で」と毎日言う。なんとなくルーティーンと言われたくないだろうなと思うので、ハヤシさんは「信念」に基づいて習慣を繰り返している代表者として挙げる。信仰の信の字が相応しいと思う。
「マクドナルドで同じメニューを食べ続けている人」によく出会うが、この人たちの中でもサムライマックを食べてくれる人と頑なに食べない人と基本的に食べないが時々食べることもある人に分かれるくらいである。命尽きるまでビッグマックを食べ続けるつもりの人が多いのでビッグマックを食べ続ける人々の話をする。そんなにうまいなら一度は食べてみようかなーという軽い反応から、決めてるし・ビッグマックに・決めてるし(ビッグマックに・決めているから)と断固拒否の人、サムライマックの肉の方はビッグマックみたいなもんだから食べることもあるよ、肉が入っていてビッグマックみたいなもんだからね、という独自解釈により食べることを可能にしている人もいる。このように自分ルール・ルーティーンというのは流動的で、規律の番人である自身にしか形の分からないものなのである。

これから一週間ハワイへ行くわけでもなし、ただ数時間ばかり部屋を離れるために完璧に納得のいくまで防災点検の強迫行為をこなさなければ部屋から出られず、キリがないので振り切って出かけてもガスの元栓が気になって映画も頭に入ってこない始末で、本格的に狂う前に何か良い方法はないか調べたことがある。わたしの不安の一端でもある、鍵をかけたか不安になるドアノブガチャガチャ族はかなりポピュラーな存在のようで、同じことで悩んでいる人が「鍵がかかっていることを確認できる動画を撮る」というのを提唱していてなるほどと思った。これを転用して窓が閉まっている動画、ガスの元栓が閉まっている動画、水道の蛇口が閉まっているのを確認できる動画を撮っておけば、出先で不安が襲ってきたら動画を見ればよいので安心して出かけられる。毒電波により撮影時間が書き換えられている!みたいな思想の人でなければ、撮影するという新しいルーティーンが加わる煩わしさはあるものの、戸締まりの強迫観念は戸締まりのハメ撮りで解消できる。

落語の時そばも強迫観念の話だった気がして聞いてみたがそんなことは無かった。強迫サイドの人間からすれば、めちゃくちゃ数えるし...とそもそもの所から懐疑的なので笑えず、のちに蕎麦屋は騙された経験から強迫観念症になるのではとむしろ悲しくなるが、幸いながら昨今は屋台とかでもスマホ決済を導入しているので「時そば」の成功率は現代ではずっと低いだろう。わたしが聞いた時そばは二軒目の蕎麦屋が出汁にキムチを入れていて、落語って結構なんでも好きなもの入れていいんだなあと驚いた。二軒目にスマホが登場して時そばの生態系を破壊する時そばもあるかもしれない。わたしは戸締まりの強迫行為にオチをつけてくれたスマホに感謝しているので、時そばにピラニアを放っている落語家がいたら聞いてみたい。