メンヘラはなぜリストカットしたのか
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メンヘラだった頃のわたしにとって、リストカットというのは万有引力並に相手を引っぱり続けられるものだと思っていた。深夜でも、相手が遠い場所にいても仕事中でも、「いま切った」と連絡したら絶対にかけつけてくれる、ものすごい引力があると思っていた。
ケプラーの法則により「引力」の大きさは惑星の質量に比例すると導き出されているらしいが、メンヘラ引力の大きさは「ツラさ」の質量に比例すると信じていた。
つまり。 わたしが、ツラければツラいほど、相手は離れていかない。わたしがツラければツラいほど、相手はわたしに引き寄せられるのだと。
あの頃の私にとって、それは切り札。最大レベルのツラみ印籠がリストカットだった。
リスカ初夜のこと
はじめて切った日は、ただただ抑えきれない衝動に駆られてのことだった。
なんだかそのころ数週間、地層のようにツラみが積もりに積もっており、ひとつのツラみ惑星と化していたわたしは、じぶんの宇宙内でビックバンを起こしたい衝動に駆られていた。 それは腸に重ね重ねたまった便を排泄したい気持ちとほとんど近く、たまりにためこんだすべてを解放したい、という気持ちだった。友人にリスカ常習者がいたからかその解放手段にリスカが適していると信じていた。
深夜ひとりの部屋で、頭が朦朧とするなか、数日前から用意していたカッターナイフでいざ手首からすこし下をじりじりと数センチ、カットしたわたしは、痛みの少なさに妙におどろき「こんなハードル低いんだ」と思った。 一方で心臓の音はドクンドクンとおおきく脳内に響き、頭の中全体がしびれて揺れていて、グラングランと船酔いしそうだった。体感したことのない緊張や興奮のなかにいた。
カッターナイフを床におき「血が傷口からにじみ出ている」とあらためて手首を眺め、わたしは立ち上がった。体は非常事態のようにドキドキしたまま、頭は妙に冷静で、「消毒液を買いに行こう」と深夜でもやっているドラックストアに向かい、夜風をうけながら家から店までの坂を下っていった。少ない痛みに反して傷は派手にみえたので「これはバイ菌が入ったらたいへん」と真面目なわたしは仰々しくガーゼをあて包帯を巻いた。つまりリアルな死の危険を回避することは徹底していた。
翌日、そのままの処置で大学に向かったわたしは冬で長袖だったがなんというか明らかにチラチラ袖から「そこをそうしてやってしまった人」感をだしたまま授業をうけ、軽音楽部のスタジオで練習をし、夜にはTシャツで「ナマお待たせしましたー」と叫びながら焼肉屋でバイトを終わらせ、「やってしまった感」を1日かけて無言巡業してまわった。
いでよ、わたしのツラみ
たぶんその巡業までも含めてわたしはずっと興奮していた。 自分が世界で一番ツラみを抱えた主人公になれたような気がして、それに味をしめた。 そんなにガチの痛みもなくこんなにインスタントにツラさを可視化できるなんて、リスパ(リスクに対してのパフォーマンスが)いいのでは。と肌で感じてしまったのだった。
そしてわたしは、ツラさを可視化できたことに、どこかホッとした。 それまで闇雲にツラかった感じを、きっちり形にできて「ああわたしは自らを傷つけて血を流すほどツライんだ」と自分で確かめることができた。 (これは便秘の末に排泄されたビッグベンを眺め「こんな巨大なものがたまっていたのか」と感慨深くなる感じに近い)
かつ、会ったばかりの他人にも一目で「わたしはツラいです」と伝えられる効率の良さにも感動した。たくさんため息をつく必要も愚痴をこぼす必要もない。「わたし、ツラいです!」のタスキをかけていた。
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