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落研の先輩・よっしゃんさんの話

〜経緯〜

「デスコのノートが良すぎて毎回泣いてる」
らしい、よっしゃんさんから、

すいちゃんにも僕について書いてほしいな、
と言われた。

こりゃ書かなきゃね!

一部フィクション、一部ノンフィクション。
私お得意の盛りにもった話を展開していきます。
何が本当で何が嘘なのか、自分でもよく分からなくなってきました。

感動する文は書けないけど、
自分にしか書けない文章もあると思うんだぁ〜

昔小説家を本気で目指してた割には拙い文章で
お恥ずかしい限りですが、

私の視点から吉田弘一という人間を見つめてみました。

よっしゃんさん、もし見てたら今度は私のも書いてくださいね!
書くことがあって暇だったらで大丈夫です!

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↑ポートレートで撮った仲良しトリオ
(ここに+タムタムさんと、佐藤さんがいたっけな?)

〜出会い〜

出会いは落研としてのよっしゃんさんじゃなくて、文学部のEL(インカレッジリーダーズ:学部の自治会?みたいなやつ。オープンキャンパスのスタッフとかやったりする)としてのよっしゃんさんだった。

この時、よっしゃんさんはGPA不足のため、
落研活動禁止をくらってた。

こういう活動が好きな私はELに加入。そこで

「みっくん(当時の私のあだ名。小学生の時からのあだ名。大学の落研以外からの友達からはみっくんと呼ばれている。)落研なんだ!あいつも落研だよ!」

一個上のELの先輩から最初に紹介されたのは・・・

まっきーさんだった。

今となっては不思議な話。
まさか落研=でまっきーさんを紹介されるとは。失礼か。

その後にくるくる回る椅子に乗跨がりながら、
大声で何かよくわからないことを叫んでいる
おかっぱ頭のおばさんみたいな男の人が近づいてきた。

「あいつ、いつもうるさいんだよ。落研だよ」

「よろしく〜僕今落研じゃないんだよねえ」

この人がよっしゃんさん。

今後の落研生活4年間の中で1番お世話になった人であり、(佐藤さんがまだいたら2番目だったかもしれない)

そしてこれからもずっとこの人に振り回されるんだろう。

↑何気ないショット。

ファーストインパクトはめちゃくちゃ苦手なタイプ。

めっちゃ苦手なタイプの陽キャだ…
正直あまり関わりたくなかった。

でも後によっしゃんさんが元卓球部っていうのを知って安心することになる。

この当時よっしゃんさんは
きゅうりさん・ボンビーさん・デンジーさんと
ルームシェアをしていて
私はこの家に住む人が全員怖くて怖くて仕方なかった。

全員が尖にとがりまくっていたから、っていうのと
自分のお笑い能力の低さ(何がお笑いなのか全く分かっていない)に落胆して
家に行くたびにひっそり泣いていた。
めっっっちゃキンモい。

「なんで自分女やねん。男やったら裸になれるのに」(当時の私は裸=面白いと思っている)

でもこの家に行かないと面白くなれないと思って頑張って行った。

今では4人の先輩方とも仲良くしていただいている。

話が逸れてしまったけれど、
なんせ最初はそこまで関わりはなかった。

落研の伝統的文化”空きコマはローソン前に集まる”にまんまとどっぷりハマっていた私は、

次の授業の課題もやらずにローソン前に直行していたある日。


「ウッぎゃっぎゃっ」

今では随分聴き慣れた笑声。

とにかく声がデカすぎる。
よっしゃんさんは声のボリュームに関して
TPOが分かってない。

当時もローソン前に響き渡っていた。

「ああやっぱり苦手だ」

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↑EL時代のよっしゃんさんの写真が前の端末に
あるので、その当時の髪型をしていた
よっしゃんさんを参考までに貼ります

〜よっしゃんさんのGPA復活〜


よっしゃんさんがGPA復活して、
よっしゃんさんももちろん、周りのみんなが
泣いて喜んでた。

よっしゃんさんのTwitterフォローしてる方は
みてみてほしい。
ボロクソに泣いている動画があがってるはず。

よっしゃんさんは本当に先輩方(自分の3つ・4つ上くらいの人たち)に愛されてたし、
愛され上手というか。

うっせえな、とかまた吉田かよ、とか言われつつ
みんなこの人が大好きなんだな、って感じたし、
現によっしゃんさんがいるいないじゃ
落研の雰囲気も結構変わってた。

仲が悪いと言われていた44期と45期の関係性も、実はよっしゃんさんがバランスを保っていたのかもしれない。

アルストロメリア(よっしゃんさんと再逮捕さんのコンビ)復活1回目のネタ。
たしか、夏学のネタだったか?

自分を影ナレで使ってくれた。
なぜ自分なんだろう、とか思いながら
アルストロメリア記念すべき復活1発目のネタを
めちゃくちゃにしてはならないと、
自分も全力で頑張った。
3人目のアルストロメリアとして、
まではいかないけど。

アルストロメリアのネタを初めてリアルでみる。
演技派な2人を目の当たりにした。
演者としてのポテンシャルが高い。

当時私は1年生。ライブは全くウケてないし、
平場も迷走中。
結果の面からみても、他の同期と比べて圧倒的に劣っていた。
当時の私を知る先輩・同期からは
結構ヤバいやつ認定されてたし、
現に同期のメンザイフからは
「お前が一番変わったと思う」とか
言われたほど。

2年生になる前にここまでのレベル、
なれるかな。
この人たち半年活動してなかったもんな、
なのに。

ライブが終わって、ずっと気になってた質問をぶつける。

「なんで影ナレに私選んだんですか?」

「声がいいからねえ。面白い演技もできるし」

おお私声いいんだ。
他にも声が良くて面白い人いっぱいいたのに。
ちょっと自信がついた。

でもこの後、別のネタの影ナレに
みねちゃんを使ってて
ちょっと!!って言ったら

「みねの方が声いいから!水質はなんかこう、
僕たちのネタにあってなかったな!
いや、面白いんだよ?面白いんだけどね!?
うっぎゃっぎゃ」

正直に貶しつつ、褒める。吉田あるある。

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〜執行期〜

私が2年生になって執行をとるようになった。
執行っていうのは部長・副部長・映像責任者電話パンフレット班キャップのような役職に就くこと。

私は副広報責任者になった。
広報って地味に忙しい。
他の役職に比べてやることもかなり多い。
私のほかにくらた、モンド、裏方のよぢゃん

テーマを「落研を世界に知らしめる広報」とし、
4人で回していたが、毎日毎日働きまくってた。

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よっしゃんさんも、執行期時代
広報だったからなのか、
とにかくイチャモンが多かった。

「Twitterなんで深夜に投稿するの?」
「集客班バランスおかしくない?」
「自分たちの頃は〇〇してたけど」

色々言われすぎて記憶から消してしまったけど
毎日バトってた気がする。

「なんでいつも私ばかりに言うんですか?広報責任者はモンドなんでモンドに言った方がいいと思います!」

「それはくらた管轄なので、直接本人に言ってあげた方がいいと思いますけどね!」

「それは広報関係なくないですか!」

この時の自分は何かと先輩に反抗してたというか
余裕がなかった。
ネタも作らなきゃ、ウケなきゃ、平場盛り上げなきゃ、役職の仕事やらなきゃ、もっといっぱい落研のために。先輩から受け継いだこの団体を守らなきゃ。私の代で終わらせちゃいけない。後輩に伝えるんだ。

〜しなきゃ、〜するべき
責任とかよくわからないものに押しつぶされて
楽しむ、なんて一切感じれなかった。

思えば引退までずっとそうだったのかもしれない。

今となっては何にキャパってたのか謎だけど
とにかくガムシャラだった。

実はこの時、よっしゃんさんが特に嫌いだった。
今は好きなので逆に言える。

「よっしゃんさん、また広報のこと言ってたよ」 
それを聞く度に

「何か文句あるなら直接もしくは本人に言ってもらっていいですかね!!??」
って乗り込んでたな。

自分たちのことを考えてくれてたんだろうし、
私に言ったのも私からみんなに伝えてほしい、
っていう思いもあったんだろう。

執行期と最高学年の溝、できがち。

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↑44期〜46期までの新旧広報


〜寒河江ゼミ〜

文学部の動物園と言われている、寒河江ゼミ。
代々落研の流れがあって
46期だと私とくらた。
43期だとはやくちさん。44期はコッセツさんと、ベトバトさん。(ベトバトさん元気かな。ロシアでラーメン屋を開くのが夢だと言っていた。)
そして45期はよっしゃんさんと、かごめさん。
後輩だとデスコとにこちゃん(パラママ)6B、
ポ宮下。

癖のつえー人しかいないゼミに
よっしゃんさんの
「入りなよ〜。お笑いの勉強になるよ」につられて入った。
今思えば、何かと選択が迫られる場面場面によっしゃんさんが関わっている気がする。

一言で言うとゼミで学んだ内容は一切覚えてない。本当に自由に伸び伸びと表現させてもらえたな、という感じ。

夏と冬のゼミ合宿は
毎年芸会予選前にあったので
みんなでネタ練りとかしてた。

そういえば私が2年生の時の冬芸会。
顔がええのうの和歌のネタを出した時だ。
合宿先にあった暖炉の周りでよっしゃんさん、コッセツさん、
くらた、私でネタ練りしたの、結構青春だったな。

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↑寒河江ゼミ落研勢


落研には
代表チーム赤青黄がある。
その代表チームオーディションが毎冬芸会
開催されるのだが、
題材命のうどんのジレンマは
オーディション前日までうんうん悩んでいた。
相方トーマスは
いつも通り、ひょうひょうとしていた。

オーディション前日に
「和歌にしか興味ない女の前にイケメン現れたらおもろいですかね、、、顔がええのうって」
いつも通りの突拍子もない私の発想に
いつも通り周りは困惑。
「実際に見てみなわからんな、、、」
「水質がやったらおもろいんちゃうん」
「うどんはほんまに予測不能」
「え、それネタ?」←これに関しては怒

いや、明日やねん。オーディション。
「おもろいで!!!」その一言で台本が書けるのに!!!
いつも通り「その題材おもろいやん!!」と言われるまで
台本が書けない雑魚メンタルの私。

我にもすがる思いで
コッセツさんとよっしゃんさんに相談。
「めっちゃオモロいやん。」
わーい!待ってましたー!!
台本が出来上がったのほぼ日付まわってたけど。

代表オーディションは大ウケした。
これに限らずだが、よっしゃんさんとコッセツさんには死ぬほど感謝しかない。
自分の発想を認めてくれる数少ない理解者。
よっしゃんさん、コッセツさんに限らず、
こんな金魚のフン程度な要素を毎回理解して下さって、毎回毎回演技指導をして下さる偉大なる先輩方がいたから自分は最後まで落研に居続けることができたと思う。

カッコいい先輩の元で育ったから
どんな時でも情けなくても
雄弁を、信念を、姿で見せよう。先輩が私に見せてくれたみたいに。

それが私の使命だ。
次は私が後輩に後継していく番だ。


先輩方みたいにカッコよくはなれなかったけど。

話それた!

そんな理解者たちが勢揃いのゼミ合宿。
他のゼミ生がワイワイ楽しんでる中で
よっしゃんさんが「一緒にネタ練ろうよ」って
言って下さってハチャメチャに心強かった。

よっしゃんさんだって
当時代表チーム。ましてや赤組のコント。
私なんかのために手伝ってくれて
ああこれはもう結果で恩返しするしかないなって
思ったけど結果は出なかった。

元赤組の漫才・キマイラのコッセツさん
赤組のコント・アルストロメリアのよっしゃんさん
寒河江ゼミ最強ぢゃん。

それに続いてデスコもニコちゃんもくらたも赤組なったのに
私だけ赤組ちゃうんかい〜って書いてて今思ったわ。びっくりした。

そういえば最後の冬芸界の代表オーディション後、自宅までの帰り道一人で大泣きしながら

「赤、なれませんでした、ごめんなさい」って
デンジーさんに伝えた時

「自分らに◯してくれた人のこと忘れるな」
(代表オーディションは投票で〇が多いチームがなる)

って言われたこと思い出しました。

デンジーさんはダサいけどかっこいいです。

デンジーさんの話しちゃった。

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↑八王子に残ってる落研勢で年越しin私の家


〜ある事件〜

ここからは私にとっても、
もちろんよっしゃんさんにとっても、
他の落研部員にとっても印象深い話をする。

「(ある落研部員、以下◯◯)、実はGPA切ってるのに活動してるんだ」

夏。
社会人になってもたまに八王子に来ていたよっしゃんさんと、4年になった河越と私で遊んだ帰り。

八王子駅から帰宅するバスを待っている間、

突如言われた報告。

「え?」

びっくりしすぎて目が点になった。
あの感覚を昨日のことのように思い出す。

「よっしゃんさん、いつから知ってたんですか?」

少しキレ気味に聞く。

「自分が現役の時から知ってた」

「佐藤康一も知ってたよ。知ってるのは僕と佐藤康一。」

佐藤さんがいなくなった今、抱えきれなくなったのか?

めちゃくちゃ腹が立った。◯◯にじゃない。
よっしゃんさんにだ。

なぜ私に言うのか。なぜ今言うのか。
隠し通すなら墓場まで持っていけよ。

私の性格をよっしゃんさんは絶対わかってたはずだ。

私の正義感が許さなかった。

ルールを破ってまで続ける先に何がある?
何が残る?そんな人がとった日本一、誰が喜ぶ?全然指針根本じゃないじゃないか。

「◯◯、活動休止にすべきだと思います」

自分の答えはそれ以外なかった。

◯◯のことは大好きだった。めちゃくちゃ仲よかったし。

◯◯とはこの事件以来、一切会話していない。

嫌いになったんじゃない。ただただ溝ができた。

当時◯◯達が組んでいたコンビも落研内で1番受けてたし、内外問わず結果も出していた。
後輩への影響力も落研一だった。
1番日本一の結果をとるに近いコンビだった。

私のこの決断で落研内が混乱することもわかってた。落研が日本一に遠のいてしまうことも。
私のエゴなんじゃないのか?

でも。でも。今ここで自分が正さないと、

いつまで経っても皆が言う皆が目指す日本一は獲れない。

夏休み、帰省するつもりだったが返上して色んな人と話した。

もちろんよっしゃんさんとも。

「自分も話します。だからよっしゃんさんも話して下さい。」

結果、◯◯は活動休止。コンビは解散。

毎日毎日後輩から、特にコンビから、その同期からどう思われているのか怖くて怖くて仕方なかった。合わせる顔がなかった。

「自分が後輩たちの未来を奪ってしまった」

罪悪感。とんでもないことをしてしまった。
でも。

この時ばかりはよっしゃんさんを心底恨んだ。

今でもたまに思い出す。


〜佐藤康一みたいにはなれないけど〜

自分が落研に入って人生観をまるごと変えられたほど影響をもらった先輩が二人いる。

44期の副部長・ホッピング学園のティナ男さんと45期のツーバイフォー・佐藤さん

特に佐藤さんは人生の師匠だ。

そういえば、ティナ男さんからは「おまえら(うどん)は俺らホッピングと、アルストロメリアの系統を受け継いでる」
佐藤さんからは「おまえらは俺らツーバイフォーと、ホッピングの系統を受け継いでる」
と言われた1年生の頃を思い出した。

これに関しては全然嬉しくなかった。

自分は落研を3年生で引退して
4年生は学友会というクラブ活動をする人たちを
サポートする組織に入った。

クラブ活動こそ、人を大きく成長させるのだ!!(偏った思想)

を胸に飛び込んだ。

尊敬する二人も入っていた組織。
入らない理由がなかった。


3年時の私の引退ライブの時期。佐藤さんはいなくなってしまった。

ああ。人生の羅針盤にしていた人が突然いなくなってしまった。

私、これからどうしたらいいんだろう。

私、明日から誰を目標に生きていけばいいんだ。

そこから

佐藤さんならこの時どうするんだろう。
佐藤さんなら、この子にどんな言葉をかけるだろう。

そんなことばかりを考えるようになっていた。

自分が3年になって佐藤さんが引退した後も、最高学年としてのプレッシャー。
いつまで経っても弱い自分自身に悩みまくっていた私は、相変わらず、佐藤さんに相談していた。

佐藤さんにしか相談できなかった。

佐藤さんはいつもいつも厳しい。
否定しかされなかった。

でもそれが私にとってちょうどよかった。

くそったれ。今にみてろってなれたから。

「お前、前もそれで悩んでたよな?また同じこと繰り返すのかよ。」

「悩め。苦しめ。学べ。自分のやるべきことわかってるだろ」

私はこの言葉をずっとずっとずっとずっと噛み締めて活動してきた。

なのに、もういないのか。

相談して奮起してもらってた人がいないのか。
ああ、どうしようか。

引退ライブ2日目の浅草から八王子に帰る電車の中、

他の部員達は先に早い電車で帰っていたため、
私とくらた二人で帰った。

ずっと我慢してたけど、周りの目なんか気にしないでワンワン泣いた。

落研に入って私は何回泣いてるんだろう。
この時が1番泣いた気がする。

横でくらたが静かに肩をトントンしてくれた。

くらただって泣きたかったはずなのにね。

そこからも何かと悩みやすい私は一人悶々としていた。

でもある日、我慢できなくなって
コメダによっしゃんさんを呼び出した。

よっしゃんさんとマブダチのタムタムさんもいた。

今までよっしゃんさんにネタ以外でガチで悩み相談なんてしたことなかった。
よく遊んでくれる先輩。

そういう堅苦しい話とか嫌いそうだと思ってたし、相談しても自分が求めてる言葉とは違ったものが返ってきそうだと思っていたから。

でもなぜか気づいたらよっしゃんさんに電話をかけていた。

よっしゃんさんと佐藤さんも大の仲良しだった。

「佐藤さんと仲が良かったよっしゃんさんなら・・・」

そう思ったからなのかもしれない。

コメダに呼び出して今悩んでいることを永遠に話した。

そしたら最後によっしゃんさんから

「佐藤康一みたいなことは言えなくて申し訳ない。でもいつでも話聞くから連絡してー」

心の中が読まれた気がして、
なんだか申し訳なくなった。

よっしゃんさんは私をあまり否定しない。
それどころかめちゃくちゃ褒めてくれる。
ダメな時は「よくないんじゃないかなあ、って僕は思うんだよねえ。いや、いいんだよ?いいんだけどさあ」と言う。

過去の先輩方からもらったメッセージで、
佐藤さんがいつものように
私にボロクソ書いている時もよっしゃんさんは

「自分らしく生きてけ!」

って書いてた。

それからは何かとよっしゃんさんに相談している。

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↑若い。


〜社会人〜

4年生になって自分将来何になりたいんだろう?ってなった。

お笑い芸人になりたいな、
でも自分あがり症だしな、、

自分ごときがお笑いの世界で生きていけんのかよ、、

何かと言い訳をして逃げていた。

そんな中、

よっしゃんさんがテレビのADになった。

おまけに大の仲良しのくらたが「ADになる」という。

よっしゃんさんと、くらたがADなるなら私もなろ〜〜テレビ好きやし〜
裏側が案外向いてるのかもしれない〜

結果、全然向いていなかった。
表に出たすぎて出たすぎてたまらなかった。

これに関しては後悔はしてないけど、
自分の人生はちゃんと自分自身で向き合うべきだったなって思った。

私はもうすぐ今のADの仕事をやめてお笑い芸人になる。

人生一度きりだ。自分のやりたいことをやって、後悔のない人生を歩みたい。

全く同じタイミングで
よっしゃんさんもADをやめて芸人になる、と連絡がきた。

これは運命なのかもしれないな???

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↑チーム吉田(よっしゃんさんが特に可愛がっている後輩達による会)で燻製パーティー。
異質な後輩を可愛がりがち。

〜最後に〜

1番遊んでくれる先輩。
1番何かと電話がかかってくる先輩。
1番に何かあったら相談する先輩。
1番迷惑をかけられた先輩。

それが吉田弘一だ。

そしてこれからもそうだ。

運がめっちゃ強くて、ゲームが強くて、
自分の変な提案にも付き合ってくれて、

何でも「うっぎゃっぎゃ」と大笑いしてくれて、
面白がってくれて。

なぜか48期の執行交代式に卒業したはずなのに来ちゃうくらい後輩が大好きで。

人を面白くみせる力・操る能力に関しては天才的で。

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↑よっしゃんさんの手により大覚醒したベスボ

なんでもオーバーリアクションで、
エンターテイナー。

誰とでもすぐ仲良くなるし、
みんなに慕われているけど、

突然周りがドン引きするような、
まがりに曲がった思想を繰り出すのがたまにキズ。

自分のネタ練りよりも人のネタ練りを優先しすぎて、変な感じで毎回ネタ見せを迎えるのもたまにキズ。

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一緒にいると本当に本当に楽しくて、

一緒に合同コントをした時もめっちゃ美味い高級肉を食べた時も。

一緒に河越を起こしに行ったの楽しかったなー。

全部が全部大切な思い出。

自由人で正直で、自分の直感を信じ続ける、
そんなよっしゃんさんにこれからも振り回されるだろう。
いや、振り回してるのは私の方か??


これからもずっとずっと楽しみだな。

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おわり!!!

p.sデスコみたいに綺麗な文章はやっぱり書けないな。















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