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今こそDOPING PANDAについて思い出しながら歴史を整理しよう

DOPING PANDA、通称ドーパン。00年代に数多のロックファンを踊らせてきた3ピースバンドである。2012年に解散した彼らは、2022年1月に10年振りの再結成が発表されたばかりだ。

突然の復活劇が当時のファンを狂喜乱舞させる一方、近年のロックシーンには"Z世代から圧倒的な支持"と評される若手バンドが入り乱れ、急速な世代交代が起きている。果たして、あのドーパンが令和の今どれだけ通用するのか。興味は尽きないところだが、再び加速するためには当時のファンだけではなく新たなファン層の開拓も急務である。

そこで今回はそんなドーパンの歴史を振り返りつつ、1ファンとして目撃してきた当時の記憶を手繰り寄せ、テキストを綴っていく事にする。当時を知る方だけでなく、名前しか知らない方もひと通り理解できるよう紐解いていきたい。

インディーズシーンでのブレイク

DOPING PANDAはSCAFULL KINGなども所属していたディスクユニオンのレーベル・DIWPHALANXから2000年にインディーズデビューしている。最初の音源はシングル「DREAM IS NOT OVER」で、この中にはキャリアを通してライブの定番曲だった「GAME」が既に収録されている。

2002年のミニアルバム「PINK PaNK」や名盤として名高いディズニートリビュートアルバム「Dive Into Disney」への参加あたりから、徐々に活動の幅を広げていったドーパン。この年にはフジロックフェスティバルの新人ステージ・ROOKIE A GO-GOに出演している。ちなみに同年の出演者としてART-SCHOOLやSPARTA LOCALSなども名を連ねており、後に出世していくバンドがラインナップに複数見られる。

その他、the band apartとの共同企画ライブ・mellow fellowもこの頃である。バンアパとドーパンには元々パンク界隈にいた共通点があるが、そこに様々なジャンルを掛け合わせてただの縦ノリではないグルーヴィーなサウンドを提示した功績は大きいように思う。間接的なものも含め、後続への影響は計り知れない。

バンアパとはコラボ曲「SEE YOU」も発表されている。公式ではないが、YouTubeで当時の音源を確認する事ができるのでチェックしておきたい。(正式リリースが無く、限られた数しか出回っていないためそもそもの入手が困難)

2004年にはNiw!Recordsに移籍。こちらもディスクユニオン内のレーベルであるが、ダンサブルなロックバンド中心のラインナップで00年代のインディーズシーンにおいて一定の勢力を誇っていた。

ドーパンがここからリリースした唯一のアルバム「WE IN MUSIC」のスマッシュヒットはレーベルの躍進に繋がっていく事となる。後にNiw!Recordsからはriddim saunterやFRONTIER BACKYARD、CUBISMO GRAFICO FIVEなどの作品がリリースされ、メインストリームのロックバンドとはひと味違う独自のカラーを確立した。しかしレーベルにはどちらかと言えばDIY志向のバンドが多く、メジャーデビューを果たしたのは後にも先にもDOPING PANDAのみである。

鳴り物入りでメジャーデビュー、怒濤の快進撃

ドーパンは2005年4月にミニアルバム「High Fidelity」でソニーミュージック内のレーベル・gr8!recordsからメジャーデビューする。今作のリードトラック「Hi-Fi」でも見られるようにキラキラとしたデジタルサウンドを取り入れながらもライブではダイナミックにキッズをガンガン踊らせ、急速に支持を拡大していった。自分がドーパンを認識したのもこの頃で、ロック新世代の旗手として圧倒的な存在感があり、あっという間にハマっていった。

同年8月、ROCK IN JAPAN FES.2005などの夏フェス出演を経て、前作の続編にあたるミニアルバム「High Pressure」をリリースリードトラックの「The Fire」はスペースシャワーTVのPOWER PUSH!にも採用された。個人的にはこのアルバムの初回にのみ付属していたライブCDが好きでよく聴いていたが、現在に至るまでサブスク配信はされていない。ちなみに収録曲は「GAME」「Hi-Fi」の2曲。

2006年はシングル「MIRACLE」メジャー1stアルバム「DANDYISM」をリリース。この頃には人気はうなぎ登りで、初めてライブを観た同年夏のROCK IN JAPAN FES.2006では、真っ昼間のLAKE STAGEをオーディエンスで埋め尽くしていた。裏被りがあったサンボマスターを観たかったためにドーパンが「Blind Falcon」を演奏しているのを泣く泣く抜けてGRASS STAGEに走って行った事まで覚えている。ちなみに、この時の動員が2006年のLAKE STAGEでは最多だったというネットの情報もあるが、ソースは不明だ。

2007年はシングル「Can't Stop Me」で幕開け。勢いに乗る中でのリリースだったはずが、スター(注:Vo.のフルカワユタカ)はこの曲の出来にあまり満足がいかなかったらしく、以降のアルバムに収録されないばかりかライブでも披露されない不遇の楽曲となってしまった。

6月にはミニアルバム3部作の完結編「High Brid」をリリースし、リード曲の「I'll be there」でミュージックステーションに初出演。しかしこれといった大ブレイクには至らなかった。

間髪入れず8月にはシングル「Crazy」を発売。日本語詞を取り入れた楽曲で、ライブでも終盤に大団円的に披露される事が多い。

ちなみにこの年の大晦日に出演したCOUNTDOWN JAPAN07/08では初のEARTH STAGE出演を果たしているが、ロッキング・オン制作のフェスでメインステージに立ったのはキャリア史上この時だけだった。

2008年には2年振りとなるフルアルバム「Dopamaniacs」をリリース。初回盤にはオリジナルのゲームが遊べるCD-ROMが付属する珍しい仕様だった。当時確かに今作を購入したのだが、このゲームを遊んだ覚えが全くなく、部屋のどこかに今も恐らく眠っている。

6月発売のシングル「beautiful survivor」は、エビちゃんが出演していた資生堂アネッサのCMソングに抜擢された。BONNIE PINKの「A Perfect Sky」、ケツメイシの「また君に会える」といったヒット曲を生んでいた商品なので、当然ドーパンもいよいよお茶の間に!と期待がかかったものの、又しても大ブレイクには至らなかった。

ちなみにこの年の夏にはRISING SUN ROCK FESTIVALに出演しているが、ROCK IN JAPAN FESTIVALには出演していない。(この点についてスターは「特に理由はない」と翌年のステージで語っていたが、2008年のライジングとロッキンのブッキングにあるいざこざがあったのは周知の事実だ)

10月には限定生産のシングル「majestic trancer feat. VERBAL」を発表。m-flo loves DOPING PANDAとしても楽曲を発表していたVERBALをフィーチャーした楽曲だが、聴き所は何と言ってもM3「MUGENDAI DANCE TIME」だ。約30分に渡り代表曲がノンストップでプレイされるボリュームたっぷりのトラックとなっている。この頃のドーパンはライブにも同名のブロックを設けてオーディエンスを踊らせまくっていた。

一方彼らのライブはロックフェスで輝きを放ちながらも、そこで満足してしまったファンをワンマンライブに引き込みきれなかった印象もある。ライブに定評があったバンドだが、日本武道館やそれ以上のアリーナクラスでの公演はキャリアを通して実現していない。

徐々に低迷する活動、そして解散へ

2009年は多作でシングル「beat addiction」アルバム「Decadance」、限定生産のミニアルバム「anthem」をリリースしているが、この頃にはやや人気のピークを過ぎていた印象がある。

元来ロックスターを公言するフルカワには明確な上昇志向があり、フェスでは翌年はメインステージに立つ事を宣言するなどビッグマウス的な発言も厭わないところがあった。しかしこの年のROCK IN JAPAN FESTIVALで出演したのは、2年前と同じLAKE STAGEのヘッドライナー。「これからも毎年レイクのトリなんですかね」とボソっと言ったのがやや切なかった印象がある。

またこの頃には9mm Parabellum Bulletやthe telephones、サカナクションといった次世代のロックバンドも既に台頭しており、世代交代の波は確実にうねり出していた。

2010年はデビュー以来初めてCDリリースのない年となった。この頃の彼らは2009年に設立したプライベート・スタジオで次のアクションに向けて模索しているような印象だった。

2011年にベスト盤を経て発表されたアルバム「YELLOW FUNK」はその集大成とも言える内容で、レコーディングやミックスに対するアプローチの変化はサウンド面でも大きな変化をもたらした。これまでのようなオーディエンスを踊らせるゴキゲンなダンスロックは鳴りを潜め、打ち込みを減らしたソリッドなバンドサウンドへと転換していった。

しかし試行錯誤の末に生み出した新たなサウンドはファンには届かず、今作のセールスは振るわなかった。結果的にこれがラストアルバムとなり、翌2012年には解散を発表する。

ソロ活動始動と1日復活

その後、フルカワユタカ名義でのソロ活動がスタートする。幸先良く2013年に初音源をリリースするが、程なくして新曲のリリースが長期に渡って途絶えてしまう。ビジョンがないままやるわけにはいかないという事務所の方針でソロ活動については停滞が続き、別のプロジェクトに関わっていたらしい。この頃には音楽シーンでフルカワの名を聞く事も少なくなっていた。

そんな中、2015年にDOPING PANDA時代の曲をライブでも解禁する。往年のファンを喜ばせつつも、レーベルが古巣Niw!Recordsに戻り怒濤のリリース攻勢を見せ始めたのが'10年代後半だ。この頃になるとthe band apartやBase Ball Bearなど'00年代を共に闘った盟友たちとのコラボレーションが盛んになっていく。

その集大成と言えるのが、2018年1月に新木場STUDIO COASTで行われた主催フェスティバル・5×20で、同世代のバンドを中心とした豪華な面々が集結していた。そして、アンコールに用意されていたのはシークレットアクトのDOPING PANDAだった。但しこれはあくまで一夜限りのもの。フルカワのソロ活動も軌道に乗り始めており、本格的な再結成には至らなかった。

2019年にはDOPING PANDA時代のPVがソニーミュージックのYouTubeにアップされるも、やはり再始動のアナウンスは無し。ほどなくしてコロナ禍に突入し、ロックバンドが活躍する舞台すらままならない日常に突入していくのだった...。

2022年、まさかの再結成

そして2022年、解散から10年。突然の再結成宣言と共にフルアルバムのリリースとツアーの開催をアナウンスした。YouTubeにアップされた新曲「Imagine」には解散間際のような迷いはなく、往年のドーパンサウンドを思わせる会心のダンスナンバーとなった。

今回の再結成、率直にめちゃくちゃ嬉しい。現役で活動する00年代のバンドは既にキャリア的に落ち着いているケースが多く、現状シーンの話題の中心は何世代か下に移っているのが正直なところだ。

だからこそ、ドーパンには売れて欲しい。あの頃ギラギラしていたロックスターのポテンシャルを、今こそ見せつけて欲しい。幾つもの挫折を経験して強くなった今なら、彼らが残してきたキラーチューンはあの頃よりも何倍も強靱なものになるはずだ。その姿に勇気づけられる、あの頃のロックファンは少なくないと思う。そして、'10年代以降の四つ打ちロックに踊ってきた若い世代も、その先駆けとも言えるドーパンに打ちのめされて欲しい。アップされた新曲を聴く限り、それは十分可能なのではないかと思うのだ。

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