過去を近くに感じて|偏愛、わたしのホテル #6
L&Gで働くスタッフや、いつも応援してくださる皆様と一緒にお届けしてきた「なくならないでほしいホテル」から派生して、新連載をスタート。ホテルの中の人を執筆者に迎えた「偏愛、わたしのホテル」をどうぞお楽しみください。
朝露で敷石が青く湿っている。杉皮が張られた塀と、杉板壁に挟まれた細い道が、奥に続いている。突き当たり左の「寄付待合」と茶室の間を潜ると、この屋敷で最も大きな庭園が広がる。飛石の上を歩いていくと「腰掛待合」があって、石の上で振り向くと、いまは水のない池の向こう側に、縁側と書院付の座敷が見える。
わたしはいま外露地の手前に立っていて、小さな看板を、少し動かしたところだ。看板には”ここから先はホテルですよ。”という意味のことが書いてある。ここから先はホテルなのである。
外露地というのは、茶庭の入口にあたる道のことで、中門を潜ると内露地がある。茶庭は二重露地になっている。茶庭は、茶室に入るまでに庭や建物を見せる演出の役割があって、二重にすることで外と内の導線の趣向を変えているのだ。
3年前、東京から美濃に移住した時には、庭や建物のことは何も知らなかったが、ホテルの支配人になり訪客をお迎えしているうちに自然と身についた。美濃、というか岐阜県は、遠い過去が近くにある。わたしの生まれ育った東京よりはっきりとそれを感じるのは、東京が雑然としているからだろうか。わたしにとっての懐かしさや思い出は、その雑然とした都市に薄く霧がかったようにぼんやりとある。遠い過去なのか、近い過去なのか、よくわからないまま全てが新しくなっていく。ここは違う。わたしは遠くにきたのだと感じる。
この建物は、大正後期から昭和初期に建てられ、先に庭から設計を始めて完成までに5年かかった。「旧松久才治郎別邸」という。主人の松久才治郎は茶道を愛し、和紙の原料問屋でなした財をこの別邸建設に注いで、稽古場を含む茶室と4つの蔵を合わせて大小11棟の豪邸となった。中庭は4つ配置され、縁側を介して全ての部屋から庭を楽しむことができる。
「別邸」なので客人を招くための建物で、自分の住む家はまた別にある。最大の蔵は桁行25mあり、当時は和紙の原料となる「楮(コウゾ)」を保管してあり、金庫蔵の前室には地元の銀行から1名が常駐しており、松久氏が買い付けに出ると和紙全体の相場が動いたというから、凄まじい財力だ。それに当時の美濃の活気も窺える。
でも今は静かな町だ。初めて美濃を訪れた時、美濃の中心部であるここ「うだつの上がる町並み」に、我々夫婦以外に数人しか人が歩いていない光景には驚いた。でも、地方移住の漠然とした不安と、東京でITエンジニアとして働く漠然とした不安と、何が違うだろう?
「旧松久才治郎別邸」は「NIPPONIA美濃 商家町」という古民家ホテルに生まれ変わった。この「NIPPONIA事業」は”分散型ホテル”という方法で、町全体をひとつのホテルとしてエリア開発していく。町の所々にある趣ある空き家を客室に改修し、その地域の食べ物と文化を大切にした”まちづくり”を行う新しい地方創生の形だ。金野幸雄氏が2009年に設立した一般社団法人ノオトによってつくられたこの仕組みは、現在日本全国15箇所に展開している。
歴史的価値のある建物を通して、訪客が美濃のことを知ることそのものが価値であるという考え方は、わたしが身をもって体験している。いままで気にも留めなかった敷石や瓦屋根や庭から、美濃だけでなく日本の風土と文化の一端が、自分に入ってくる実感がある。
昨年末、わたしたちはこの町で新しい祭りを行った。「ミノマチヤマーケット」という上質な手仕事をテーマにしたクラフトマーケットだ。たった1日のお祭りは大きな賑わいを見せた。通りには人が溢れ、陶器や曲げわっぱ、コーヒーを片手に楽しそうに町歩きをしていた。毎日このぐらいの人がいるような町にしたいと思った。これからこの町が向かうべき姿を見たようだった。
3週間前、わたしにも子どもが生まれた。東京より過去が近い美濃の町で生まれて、美濃で育っていく新しい未来だ。いい町で育てたいと切に思う。
文・写真提供:平山優貴(みのまちや株式会社/NIPPONIA美濃 商家町)
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偏愛、わたしのホテル|過去の連載一覧より
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