見出し画像

この夏、いちばんやさしい青色の海で|幻のなつやすみvol.2

いつもと違う夏がやってくる。それは、今までのように気軽には遠くへ行けない夏。いつもの「夏休み」は幻となってしまいました。そんな中、日本中の素敵な観光地は今どうなっているのか。そもそも「旅行」はこれからどうなってしまうのか。「HOTEL SOMEWHERE」では、見えない観光の未来を少しでも考えてみたくて、「幻のなつやすみ」という連載を始めます。ここでは、いろいろな理由で旅をする人、観光地に関わる方々のリアルな声をお届けします。




昔から青色が好きで、青色にまつわる表現を集めていたことがあった。

“それは世界じゅうの青という青を集めて、そのなかから誰が見ても青だというものだけを抜き出してひとつにしたような青だった”
──『国境の南、太陽の西』村上春樹
"エスカレーターを降り、思わず立ち止まった。それほど圧倒的だった。泣きたくなるような青空、と最初に言ったのは誰だったのか。可能ならその人を連れてきて、「これですよね?あなたが見たのはこの青空ですよね?」と訊きたかった。"
──『泣きたくなるような青空』吉田修一
"秋になって、空が高ぁくなりますね。そしたら子供たちが遠い遠いトンボを追って、どこまでも山道を行くでしょう。空は、ちょっと哀しいぐらいの深い蒼なんです。"
──「"青"を売るお店」中島らも

「青」と一言でまとめても、その言葉で表される色には、さまざまな種類がある。青色の持つ、慈悲深さや冷静さや包容力や真っ直ぐさ。私は今まで数多くの青色に出会い、そして、それらに救われてきた。

だからなのだろうか。自分だけではなく、誰かの記憶に焼きついて離れない青色を、その人が生み出した表現で味わうことが好きだったのだ。

いつまでたっても終わらないのではないかと思うほどに長かった今年の梅雨。私は、人生で見た中で、いちばんやさしい青色をする海の近くにいた。

画像1

岡山県の瀬戸内海側の位置に存在する、倉敷市「児島」。

国産ジーンズ発祥の地だと言われている児島では、駅のエレベーターやロータリーで、これでもか、というほどデニムが推されている。

画像2

そんな児島駅から車で20分ほどの場所にあるのは、デニムブランド「EVERY DENIM」が運営する宿泊施設、「DENIM HOSTEL float」だ。

画像3

floatは、児島の中でも「唐琴」と呼ばれる地区にある。ホテルの後ろ側は王子ヶ岳という名の山、正面側は瀬戸内海。山と海に囲まれた、なんとも贅沢なロケーションだ。

画像4

画像5

floatを運営している、島田さん(左)と山脇さん(右)。通称「デニム兄弟」


5月末に緊急事態宣言が解除され、6月中旬、県外への移動が可能になったあとに私はfloatにやってきた。

その時の私は、とにかく「逃げる」必要があった。ここにはくわしく書けないのだけれど、その時は、自分のそばにあった日常から離れ、非日常にワープしないと、心がポキンと折れてしまいそうだった。

できるだけ少ない移動で、非日常の空間で暮らさなければ──。そう考えて私が取った選択が、児島で3週間暮らしてみる、というものだった。

私はフリーランスなので、ネットさえつながれば、特に仕事に支障はない。floatという非日常の空間で、日常の仕事をしながら日々を送る。非日常な日常を、私はしばしのあいだ過ごすことにした(最近、世間ではこういった働き方をワーケーションと呼ぶそうだが、いまいちしっくりこないのはなぜだろう)。

floatには、デニム兄弟のほかに、社員の草加さん、そして居候している大学生の湯浅くんが住んでいる。

今まで生きてきた27年間の中で、家族でも、恋人でもない人と一緒に住むのははじめてだった。共同生活というものをしたことがないのでうまく馴染めるかなと不安だったけれど、そんな心配は杞憂に終わった。

彼らと生活をしていると、私はしばしば、ポカリスエットの広告コピーを思い出した。

「自由は、ひとりになることじゃなくて誰といても自分でいられること。だったりして」

まさに、floatに住んでいる人たちは、みんな、「自由」な人たちばかりだった。他人と身内のちょうど中間のような、適度な距離感を持って、無理に誰かに合わせることもなく、かといって合わせないこともなく、自然体で、過ごしている。

「おたがいが他人であることを忘れない」という前提がある環境は居心地がいい。家族や恋人という関係性においては、「他人」であることをどうしても忘れてしまいそうになってしまう瞬間があるけれど、適度な距離感を保つ共同生活にはそれがなく、だからこそ居心地がいいのだな、ということを学んだ。

画像6

floatは宿泊施設なので、私の滞在期間中にも、さまざまな人たちが、さまざまな理由で泊まりにきていた。

会社が完全リモートワークになったので長期滞在をすることにしたという男性。何か悲しいことが起き、その傷を癒すために来ているという女性。会社の有給を使って遊びに来たという女の子たち。日本中を旅しているというオランダ人のカップル。ほかにもたくさん、たくさん。

一緒に、美味しいご飯を食べた。島へ出かけた。いろんなものを見て、話をした。

そのあいだにも、海は、刻一刻と表情を変える。淡い桃色が混ざったようなメロウな青色をしていたかと思えば、急に西日が差し込んでオレンジ色に発色したり、霧で一面が幻想的な白に染まる時もあった。

太陽、湿度、霧や雨など──そこにある自然が、無数に浮かぶ島々と呼応しあって、目の前の景色が作られている。

それは、出会いと別れを繰り返し、他者と他者とが呼応しながら人生を織り成していく私たち人間と、どこか共通するところがあるな、と思う。

画像7

画像8

ある日の朝、起きてラウンジに行くと、前述の長期滞在していた男性が、瞑想をしていたことがあった。

ソファの上でしゃんと伸びた彼の背筋、窓から入ってくる心地よい朝の風。凛とした空気がそこにはあって、思わず瞑想をしてみたくなった私は、彼に話しかけ、一緒に海まで出かけて瞑想をすることにした。

「僕は普段完璧主義なところがあるけれど、こうやっていると、少しずつ心がほぐれていく感覚があるんです」

彼はそう言う。

わかるな、と思った。

floatで穏やかな人たちと暮らし、同じく穏やかな瀬戸内海をぼーっと眺めたり、目を瞑ったりしていると、気持ちや行動、いろんなものがほぐれていく。

自分の醜い感情や煩悩たちの泡が、すうっと浮かんでは、パチンと消えていく気持ちがした。

画像9

そんなfloatの庭に、最終日、檸檬の木を植えさせてもらった。

私は最近「庭」に興味があるのだけれど、そのことを管理人の島田に伝えると、「苗木を買いに行こう」という提案をしてくれたのだ。

広い園芸店を見てまわり、私がその中から選んだのは、檸檬のそれ。全長50cmほどのその苗木は、だいたい1年から3年ほどで実をならすらしい。

画像10

「普段暮らしている場所とはどこか違う場所に、別の時間が流れているということは素敵だよね」

一緒にいた人が、ふいに、そんな言葉を口にした。

普段生活している東京とは遠く離れた場所にある、自分が植えた檸檬の木の存在。

たしかに、今、目を閉じてその存在を思い出すだけで、私はあの土地のやさしい気候を、そこに住む穏やかな人々を、いつでも思い出すことができる。

そこに「ある」ことを、ただ感じて想像するだけで幸せな気持ちになれる。それは、なんと豊かなことなんだろう、と思う。

夏のはじめ、いちばんやさしい、青色の海のそばで。
私は、やさしい人たちと、やさしい時間を過ごし、やさしい自分に出会うことができた。

ゆっくりと、焦らず、自分のペースで、穏やかに。そういった自分でいられる瞬間を、大切にしていきたいなと強く思う。

まだまだ遠くには出かけづらい今の世の中だけれど、きちんと恐れを忘れないように気をつけつつ、心を満たす旅を、またいつか、できればいいなあ。


📷Thank you
mami wakao, so matsumoto, kazuki kusaka, misa murata

文:あかしゆか

【過去の記事はこちら】


よろしければ、ぜひサポートをお願いします💘いただいたサポートはホテルのさらなる満足度向上のために活用させていただきます🙇🙇